7. 諸悪莫作

     「もういくつ寝るとお正月
      お正月には凧あげて
      こまをまわして遊びましょ
      はやく来い来いお正月」

 私にとって六十七回目の希望に満ちたお正月がやってきました。
 いくつになってもお正月は楽しいものです。
 今年は四人の孫をつれて、日光の二荒山神社に初詣に行きました。
 我が家慣例のこの初詣も、今年三十九歳になる長女が生まれる前からの年中行事で、思えば四十年以上も毎年欠かさず続けてきたこと になります。
 年によって多少の差はあるものの大概は雪が凍って滑りやすい急な参道を登り、輪王寺で撞く除夜の鐘や、山伏の吹く法螺貝の音を聞 きながら、過ぎ去った年を思いおこし、この一年、はたして悔いのない年であっただろうか、今年はこんなことに挑戦してみたい等と 目標を定めて計画をたてるのは、毎年のことながら実に楽しいことです。
 去年一年間、一所懸命に努力してきたことが今日の生活の土台となって明日からの生活設計を組み立てることができるのです。
 唐の詩人、白楽天がある時、道林という高僧に「仏教とは何か」と尋ねたところ、道林は「諸悪莫作 、衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう)自浄其意(じじょうごい)是諸仏教(ぜしょぶっきょう) 」と答えたと言います。
 仏教、即ち仏の教えとは「悪いことはしないで、善いことのみを行ない、常に自分の心を清く保つようにすることだ」というのです。
 それを聞いた白楽天は、「そんなこと三歳の子供でも知っている」と反論すると、「三歳の子供でも口ではいうが、仏を信じようと 常々努力している八十歳の老人でさえなかなか実行できないものだ」と言いかえされてしまいました。
 頭でわかっていても、いざそれを実行しようとすると、なかなかむずかしいものです。
 まして無意識のうちに自然な形で常に善い行ないができるようになるには大変な修業を積まねばならないと思います。
 心臓病が悪化した六年前、私は馬術競技に選手として出場することを断念し、自分なりの乗馬を楽しもうとその方針を変えました。
 ところが、手術の結果、心臓は学生時代の若さをとりもどし、その上、馬場馬術の名手H氏と共に馬に乗る機会にめぐまれてみると、 何とかしてもう一度馬場馬術の選手として競技会に出場したいという欲望が湧いてきました。
 そして一まわり以上も歳の違うH氏に私と馬の再調教をお願いし、その指導を受けることにしました。
 非常に生真面目で、その上絶対に人馬の妥協を許さない彼は、私の扶助の間違いを遠慮勝ちに、しかし実に的確に指摘し注意をして くれました。
 ところが、彼の私に対する注意事項の一つ一つは、実は私が何十年もの間、若い選手達に教え続けてきたことと根本的にはなんら変ると ころがなかったのです。
 結局、私は自分ではできないことを長い間人に偉そうに教えてきたことになり、彼の指摘も私の指摘も、せんじつめると馬術の基本以外の何物でもなかったのです。  「馬にとって悪いことはしないで善いことのみを行なうこと」この一言につきるのです。  かつて射撃スポーツ界の三冠王(全米チャンピオン・モントリオールオリンピックチャンピオン・第四十二回世界射撃選手権大会 チャンピオン)のラニー・バッシャム氏が来日講演の折に言いました。
 「大きな試合の前に私は特別な練習は一切しません。ただ、基本を忠実に守るための練習のみを繰り返えすだけです」と。
 何事によらず、無意識のうちに基本を忠実に実行するということが、いかに大切で人変なことかを思い知らされたH氏の助言でした。
 しかしそのお陰で、私の技術はたしかに進歩したと思います。
 その上有難いことに、六十七歳の私の肉体は、鍛練次第でいくらでも体力を増し、又筋肉の構造すら変えられることを発見し、 結果として私の馬術もまだまだ上達し得るという確信を得ました。
 私の馬場馬術人生は今、青春まっただなかにあります。
 二荒山神社の拝殿で手を合わせながら、今年も私がお会いするであろう、いろいろな人達に対しては勿論のこと、馬や犬に対しても、 人間が生きていく上での基本、即ち「諸悪莫作・衆善奉行」、「悪いことは一つでも少なく、善いことは一つでも多く」を心掛けようと 誓いました。
 そして、今年の大晦日には、二荒山神社の拝殿で人馬ともに大いに進歩しましたと胸を張れることを楽しみに、四人の孫達の手を引き ながら元旦の雪の参道を降りました。

(1997.1)