13. 不楽復如何

    馬上少年過
    世平白髪多
    残躯天所許
    不楽復如何

 戦国の武将、伊達政宗の詩です。
 「若い時は(いくさ) に明け暮れて、席の暖まる暇もなく、常に馬上で過したが、幸いに今は戦もなく平和な時代になった。しかし気がついて みると私の髪にもいつのまにか白いものが目立つようになってしまった。これからは残された人生を大いに楽しみたいと思うが、きっと 神様も私のこれ迄の苦労に免じてそれをお許し下さるに違いない」
 独眼竜、伊達政宗の楽しみとは何だったのか定かではないが、一説によると彼は人変な美食家だったということだ。
 この詩が何となく私の心境に似たところがあると思い、1994年の正月、この詩を年賀状に印刷して出したことがあった。
 私の心臓も、針金やゴアッツクスという化学繊維で補強し縫い合わせて一応動いてはいるものの、いつこわれるかわからず、白髪も ふえたことだし、これからの人生を悔いのない生き方をしたいと考えたからだ。
 ところが、「お前は若い時から馬ばかり乗っていて挙句(あげく) の果てに会社を二つも整理しておきながら、私も大分年をとったから、これから は大いに楽しむことにしよう、神様も私の若い時の苦労に免じて、きっとお許しになるに違いないとはあまりにも虫が良すぎる」と妻や 娘達は勿論、数人の友人から、わざわざ異議の申し立てがあった。
 たしかに今の私の日常生活を知っている人達からすれば、むずかしい心臓手術をして生き返ったかも知れないが、あいかわらず馬に 乗ったり彫刻をしたりと一人で悦に入っているのを見ていると、つい数年前迄皆にさんざん心配をかけておきながら、「そんな贅沢は断 じて許さん」と思うのも無理からぬことではある。
 しかし、言いわけになるかも知れないが、私が年賀状に書いたときの心境はけっしてそんな現実的な楽しみを楽しみたいと思ったから ではなかったのだ。
 これから私に残された一日一日を、馬に乗り、彫刻を楽しみ、うまい物を食べ、良い着物を着て、面白おかしく人生を楽しもうという のではけっしてなく、仏教でいう人間の根本的な心の問題にふみこんだ真の楽しみを楽しみたいと考えて出した年賀状だったのだ。
 それにしても詩の最初の一節「馬上少年過」は大いに誤解を招いたことは否めない。
 良い家に住み、うまい物を食べ、美しい着物を着たい、それにはお金がいる、お金がほしい、お金はいくらあってもけっして多すぎる ことはない。
 しかし、一所懸命に働いてお金をためたとしても、これから先の老後を考えると一体何がおこるかわからないから今これを使って しまうわけにはいかない、とますます倹約し、金儲けに精を出す。
 上を望み、欲を出せばきりがない。
 「金持と火吹き竹はたまるほどきたない」とはよく言ったものだ。
 際限のない欲望にかられて苦しんでいるのがこの世の姿だとつくづく思う。
 新約聖書、マタイ伝第六章の有名な文句を引用するまでもないが、「己れの財宝を地に積むな、何を(くら) い何を飲まんと生命(いのち) のことを思い 煩い、何を() んと體のことを思い煩うな、生命は(かて) にまさり、體は衣に勝るならずや、一日の苦労は一日にて足れり、ああ信仰うす き者よ」である。
 要するに「いまあるものを、あるがままに、楽しむ」心に徹することだ。
 現に成功率50パーセントの手術を自ら望み、天井からの大きな明るい照明に照らされた手術台の上で、「今から西村さんお待ちかねの 手術をやりますよ、それでは麻酔をかけます」と執刀するK医師に言われたときも、結局は何も頭に浮かばず、唯「よろしくお願いし ます」と愛想笑いをしただけだった。
 又麻酔によって急に気が遠くなりかけた瞬間も、眠りにつく瞬間がわからないと同じように何の苦痛も悲愴感も湧いてこなかった。
 危険な手術を前にして、このまま二度とこの世にもどることができないかも知れないと思った瞬間ですら、私が鈍感なのかも知れないが 恐怖心さえおきなかった。
 人間なんてあんがいそんなものだと思う。
 だから何時死ぬかもわからないのに、死のことをあれこれと考えて思い悩むのは愚の骨頂だ、人生暢気にかまえて「不楽復如何」ときめ こむに限る。
 死に臨んで「自分は成すべきことはきちんとした、借りはない」「自分の人世は間違っていなかった」と思える生き方をすべきである、 とどこかの坊主が宗教雑誌に書いていたが、思いあがりもはなはだしい。
 自分の人生、借りがあるかないか、間違いがあったかどうか、どんなに一所懸命に努力しても所詮は人間、借りだらけ、間違いだらけ のはずだ。
 仮りに自分では仏様の様な生き方をしたと思っても、永六輔氏の詩ではないけれど、

    「生きているということは
     誰かに借りをつくること
     生きているということは
     その借りを返していくこと」

 だ。そしてただ、一日一日を充実した生を送ろうと努力する毎日が、そのまま至福の死へ通じるということを信じて。
 そんな気持で、これからの人生、大いに楽しむことにしようと結論づけてこの文を書きおえ、「ほっ」として何気なく本棚に目をやると、現代の名僧、 南無の会会長松原泰道師の『私はこんな死を迎えたい』という本が目についた。
 しまった!まずこの本をよく読みなおしてから考えをまとめるべきだったと慌てて本を開いたら、その本の見返しに、

    「無 生 死
                  泰道
       西村修一様        」

 と書いてあった。

(1997.6)