「あなたにはあなたの人生
私にはわたしの人生
そんなあなたと私が
同じ大地に生きている」
1996年の暮、日蓮宗、護法寺の中島住職に書いて頂いた詩です。
知る人ぞ知る著名な書家の中島住職の書体は勿論のこと、その文句が大いに気に入って、早速額にして玄関に懸けました。
その額は、家を出ようとする私に、これからお前が会う人も又お前と同じように掛け替えのない人生を生きているのだということを
心に刻みこませるようにして私を送り出してくれます。
不況だ不況だといいながら今の日本には「物」があふれています。
しかしこの物の豊かさはけっして「心」の豊かさにつながってはいません。
私達は常に同じ人地に生きている多くの人達の有形、無形の恩恵に浴しながら生かされている
ということを忘れ、ともするとそれらの人達に対する感謝の気持を忘れています。
この額を横目に意識しながら、せめて今日一日私が接する人達に対してだけは、このことを忘れずにいようと思うのです。
人を思う心、そこから美しい同情心が生まれます、理解する心も生まれます。そして愛へとつながります。
「あなたの知らないところに
いろいろな人生がある
あなたの人生がかけがえのないように
あなたの知らない人生も
またかけがえがない」 (灰谷健次郎)
「人生の幸不幸は
人と人とが逢うことからはじまる
よき出逢いを」 (相田みつお)
釋尊が、まだこの世に生きていた頃、インドのコーサラという国にパセーナディーという王様がおりました。
ある時その王様が最愛のマツリカ王妃に言いました。
「君にとってこの世で最もいとしい人は誰ですか」と。
しばらく考えていた王妃は、「申し上げにくいのですが、この世の中で最もいとしい者は私自身のように思われます」と答えました。
「王様、私の最もいとしい人は貴方様です」という答えを期待していた王は、しかしよくよく考えてみると自分も又最もいとしいと思う人
は王妃ではなく自分自身であることに気がつきました。
常々「人を愛せよ」と説かれる釋尊の教えとはいささか違うように思った二人は、早速連れ立って釋尊のところへ行きました。
「私達の考えは間違っているでしょうか」と。
その質問に対して釋尊は、「自分自身が最高にいとしいと思うのは間違いではない、ただそのことを自分だけがいとしいのだ、
他人はいとしくないと結論づけずに、相手も又自らを最もいとしいと思っているということを同時に考えなければいけない。
自分が最もいとしいことが本当にわかった時、誰もが皆同じ思いでいるということがわかるはずだ」と諭されました。
自分を愛するということは、自分自身をよりよく知ることであり、自分白身を知ることが即ち仏教の真の目的なのです。
そしてその心が、ひいては他人を理解し愛することにつながると思うのです。
般若心経の有名な言葉、「色即是空・空即是色」も又、この世の中の形として存在するすべてのもの(色)は、すべて永遠には継続し
得ない(空)。
しかし永遠に継続すべき実体ではないからこそ瞬間の形あるものとして存在するのだ。
その一瞬の形として存在している人間同士が不思議な縁に結ばれて夫婦となり親子となり、又友人、知人として同じ大地に生きている。
だからこそ、私達はこの一瞬の不思議を有難しと受けとめて仲良くしなければならないと教えているのです。
「人が人でなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ」 (吉野弘)
自分を愛することをやめるとき、人は他人を愛することをやめ、そして住む世界を見失ってしまう。
(1997.4)