6. 最大積載量

   「最大積載量
    女房、子供の食えるだけ」

 それは国道16号線を八王子から川越方面に向かって自動車を走らせていた時、前を行くダンプカーのナンバープレートの横に小さく 白い字で書かれていた言葉です。
 なかなか味なことをするじゃないか、一体どんな男が運転しているのだろう。
 しかし、その男の顔を見ようにも、何分にも田舎道のこと、ついにその人の顔を見ぬまま、ダンプカーは横道にそれて行きました。
 中野孝次氏の著書『清貧の思想』が、ベストセラーになった背景には、かつて、消費は美徳であると言われていた時代が、バブルの崩壊 によって跡形もなく消え去ったことと無縁ではないように思います。
 政治改革法案にも一応の決着がつき、失業や減俸の心配のない政治家達も、やっと景気対策にその重い腰をあげました。
 生き物である経済は、多分に心理的要因に左右されやすく、企業がリストラに取組み、消費者が雇用不安から守りの姿勢をとらざるを 得なくなっている現在、政府は姑息的な対策ではなく、国民が将来に向かって真の希望の持てるような長期的展望に立った景気対策を立 てて頂きたいものだと思います。
 かりに少々消費者の購買意欲がうすれても、立派になり立っていくような社会や、本当に日本国民に必要な企業が成長するような環境 づくりを目標とした政策を打ち出してもらいたいものです。
 『清貧の思想』がベストセラーになったもう一つの理由は、その「まえがき」にもあるように、古来日本には金儲けとか、現世の富貴 や栄達を追求する以外に、心の世界を重んじる文化の伝統があり、「低く暮らして高く思う」というワーズ・ワースの詩のように、現在 の生活をなるべく切りつめて、心を風雅の世界に遊ばせることを人間として最も高尚な生き方だと考える風習がありました。
 そしてこのような考え方に目覚めた人達が、バブルの崩壊によって増えてきた証拠でもあるのです。
 将来のことも考えず、目先の利益のみを追求するあまり、設備を増やし、人を無計画に採用して、消費が更に増加しなければ会社が成 り立たなくなるような会社機構をつくりあげてしまった企業には申し訳ないけれど、私は政治家や一部企業家の無策によって、せっかく 冷えた消費ならなお一層消費を控えて、もう一度戦時中のように「欲しがりません、勝つまでは」ならぬ「欲しがりません、これからは」 といきたいものだと思うのです。
 ありあまる物に埋まりながら、しかもけっして満足感を味わうことのできなかった過去の苦い経験を思い出して、今迄の生活のあり方を 根本から見なおし、子供達にも節約の美徳、物を大切にする心を植えつける又とない機会でもあるのです。
 「足ることを知らば、貧といえども富と名づくべし、財ありとも欲多ければ、これを貧と名づく」です。
 心臓の手術のあと、私は健康診断ならぬ心臓診断のために月に一度必ず新宿駅南口から東京都庁に通じる長い地下道を通って病院に行 きます。
 そんなある日、何気なく柱の影で将棋をさしているホームレスの二人の老人の顔を見た瞬間、私は愕然として足をとめました。
 なぜなら、そこに私は、まぎれのない顔輝(がんき) 画くところの寒山(かんざん)拾得(じっとく) の姿を見たからです。
 この二人の老人の周囲には、完全に欲を捨て去り、何の屈託もなく、清貧にあまんじ、超俗人的生活を送った寒山と拾得の (かも) し出すあの何ともいえない雰囲気が漂っていました。
 そしてその二人の前を足早に通りすぎてゆく人達と、この二人の老人の顔を見較べた時、はたしてどちらが幸福(しあわせ) なのか考えさせられてし まいました。
 「最大積載量、女房、子供の食えるだけ」と書いて仕事をしていたダンプの運ちゃんの顔も、ひ ょっとして寒山や拾得に似ていたかも知れない等と楽しい想像もしてみたくなりました。

    「一握りのお米をいただいて日々の旅」
    「いただいて()りて一人の箸を置く」
    「食べるだけはいただいて雨となり」
    「一つあれば事足(ことた)りる鍋の米をとぐ」

 私は一人、山頭火(さんとうか) のこれらの句を思い出しながら、しばらくの間、地下道の太い柱の影から新宿の寒山・拾得をじっと眺めておりました。

(1994.3)