5. 夢(見てはならないもの)

 「人間は死んだらどうなるのだろう、はたして死後の世界は存在するのだろうか、死の恐怖から逃れるために生きている今、自分は一体 何をなすべきなのか」
 今から、五年前、心臓病が悪化して体じゅうの(むく) みがひどく、少し動いても息切れがして、何事も億劫(おっくう) になって、とうとうこれで私も 一巻の終りかと不安な毎日を送っていた時期、それでも、せっかく仏様からお預りしている命なら、これ迄に人様のお役に立つでもなく、 又家族の者達を幸福にすることもできなかった私だけれど、せめて死ぬ時ぐらい納得して死にたいものだと、宗教関係の本をいろいろと 読んで、なんとか自分の考えをまとめようとしたことがありました。
 そして心臓の手術をする迄の数か月問、毎月定期的に通う病院のあるビルの一階に、大きな本屋のあるのをいいことに、次の診療日まで の一か月間に読む本をまとめて購入するのが私の習慣になりました。
 幸いなことに手術は大成功で、とりあえず死の恐怖からは解放されたものの、薬との縁が切れたわけではなく、毎月一回の病院通いは 生涯続けなければならぬはめになりました。
 しかし、病気の時についた読書癖は自分にとって良い習慣だときめつけて、月一度の本のまと め買いはあい変らず楽しみにして続けております。
 ところが、最近その本屋の宗教関係の本棚に純粋な宗教の本以外に、「死」をテーマとした出版物が非常に多いのに気がつきました。
   『死を越える生き方』
   『安らかな死を迎えるために』
   『悔いのない終焉を迎えるためには』
   『死の恐怖からどうすれば逃れられるか』
 等々の本にまじって、人問の死後の運命を解明しようとする、「輪廻転生」とか、死ぬ瞬間や死後の状態を解明する「臨死体験」に関 する出版物が我がもの顔に並んでいるのです。
 私のように一度「死」を身近なものとして感じさせられた人間にとっては、仏様から与えられた余命(与命)をいかに悔いなく有効に 使おうかと、つい宗教や人生論的な本を買ってしまいますが、健康にもめぐまれ、一応職もあって、家族をより幸福にする責任のある 中高年の人達が、何故そのような抹香(まっこう) 臭い本を買っていくのでしょうか。
 結局のところ日本は平和で生活も安定していて暇がありすぎるからかも知れません。
 「死後の世界」は将来に対する希望を失った病人か棺桶に片足をつっこんだ老人だけが考えればいいことのような気がします。
 働き盛りの人達は、もっと前向きに、今をより有効に生きるための本をこそ大いに読むべきではないでしょうか。
 私の場合も手術が成功して、これからも生きられるとわかった時、やりたいことが次から次と頭に浮んで、まるで希望のかたまりに なったことを、今でもはっきりと覚えています。
 「希望とは何か」という問いに対して、アリストテレスは、「目覚めている者が見る夢だ」と答えたといいます。
 一見良い表現のように思いますが、実は私はこの「夢」という字が大嫌いです。
 何故なら「夢」は(はかな) いものの代名詞のような気がするからです。
 勿論、夢を描くといえば一応将来実現したい願いのことを意味しますが、将来実現したい願いも又、夢として描いてしまうと、 たちまち「夢幻(ゆめまぼろし) の如くなり」と儚く消える運命のように思えてくるのです。
 その上、夢という字が持っニュアンスが、私にはどうも非現実的な錯覚というか幻覚のようなイメージがあるのです。
  夢をみる・・・儚い頼みがたいもの
  夢のまた夢・・・到底実現しそうにないこと
  夢幻・・・きわめて儚いこと
  見果てぬ夢・・・実現しそうにない大きな理想
  夢中になる・・・自己を見失うこと
 人生は夢の如し、栄華の夢、浮き世の夢、等々かすぐに頭に浮かび、「聖人に夢なし」て止めをさします。
 聖人は妄想をいだくこともなく安眠してけっして夢を見ないということでしょう。
 ただこの場合の夢は、多分に生理的現象の夢を意味しますが、要するに少しでも良い一生を送りたいと願うなら、儚く消える夢のような 目標等を持つことなく、はっきりとした具体的な目標を常に持つべきだと思うのです。
 たとえその目標が他人の目からはつまらなく映るものであっても、当の本人が納得すればいいことであって、小さな、ささやかな目標も 時間を限って着実に一つ一つクリアした時の密かな満足感は、なかなかに捨てがたいものがあります。
 目標に向かって目を輝かせて生きている時はけっして横道にそれることもなく、又余計なことを考える暇もなく、まして誰も経験した こともない死後の世界など考えるのは愚の骨頂というものです。
 仏様からお預りしている尊い命を最後まで輝かせて生きること、それが宗教の原点ではないでしょうか。
 死の恐怖から逃れようと宗教書を読み、仏様に手を合わせても、決してその恐怖から逃れることはできません。
 常に前向きのチャレンジ精神こそが死の恐怖を逃れる唯一の道のように思います。
 昔、「砂の上の足跡」という詩を読んだことがあります。
 その詩の正確な文は忘れましたが、内容は次のようなものでした。

「旅人が砂浜を仏様と一緒に歩いていました。砂の上には仏様と旅人の足跡がはっきりと残っています。二人はだまって一心に砂浜を歩き 続けます。しばらくして旅人が今来た砂浜を何気なく振り返ってみると、不思議なことに時々その二人の足跡が一つになっています。 どうしたことかと不審に思いながら、しかし旅人はただ一所懸命に目的地に向かって歩き続けていると、彼の耳もとで仏様がそっと囁き ました。『いかなる時も私はお前の横を歩いているよ、足跡が一つになった時はね、お前が一番苦しかった時、私がお前を抱いて歩いた からなんだよ』と」

 つまらない夢をみたり、それによって苦しんだり心配したりするのは止めましょう。
 常に目標に向かって希望に胸をふくらませながら一所懸命に良いと信じた自分の道を歩き続けましょう。
 あとは仏様が抱いて歩いてくれることを信じて。

(1997.2)