4. 二足の草鞋(わらじ)

 1992年5月、心臓の手術が無事に終り、集中治療室から見舞いの花にかこまれた自分の病室に帰った時、生きていることの素晴しさを 一人しみじみと噛みしめていました。
 そして、せっかく与えられた命なら、命のある限りけっして悔いの残らないように生きなければ仏様の罰があたると真剣に考えたもの です。
 悔いのない人生を送るためにはどうしたらいいか、当時の日誌を開くと、やりたい事、やらなければならない事が十幾つも個条書きに してあり、最後に「それにしても、そんなに時間が残されているのだろうか!」と書いてありました。
 しかし考えようによれば、時間とは誰もが持っているユニークな資源であり、何人もこれを取りあげることも又盗むこともできない 貴重な財産です。
 自分の人生は自分の時間によって造られていくわけで、その時間も又自分自身の心掛け次第でいくらでも創り出すことができます。
 私達が本当に自分の人生を愛したいのなら、自分で造った自分の時間を真剣に愛するべきではないでしょうか。
 心臓の手術をする迄の約半年間、私は「幸福とは一体何なのか、死んだらどうなるのだろうか、又長生きにはどのような意義があるの だろうか」等とまったく取り留めもない思いが交錯して、実に情緒不安定な毎日を送っておりました。
 しかし、一たん手術の日時が決まり、病院に入院してからは、そのベッドが私の心の道場になりました。
 今更、じたばたしても始まらないという開き直りの思いも手伝って、入院する前にはわからなかったことが、ベッドの上では意外に よく見えるようになりました。
 「六尺床上是れ道場」とはよく言ったものです。
 そして手術の後、痛む体を一人床上に横たえながら、「人の生涯何事によらず、もう終りだと思うなかれ、未だかって始めらしき始め を持たざるを思うべし」といった安岡正篤の言葉を思い出しておりました。
 始めらしい始めを持つにはどうしたらいいだろうか、私のように大手術をした体では、明日のために今日努力するというような 暢気(のんき) なことは言っておれず、これからはその日その日がゴールとなるような、いいかえると今を最大限に楽しみながら、その楽しんだ瞬間が私の 人生の目的であり、そこに私流の価値を見つけて満足する以外にないと考えたのです。
 そして、とりあえず病床で個条書きにしたことに片っぱしから挑戦することにしました。
 なにも百歳迄生きたからといって長生きとは限らない、むしろ生き甲斐を感じながら過す時間 の多い人が本当の長生きのような気がしたからです。
 そこで、とりあえず今迄何十年もけっして欠かしたことのなかった晩酌とそのあとのテレビはやめることにして、それでもやめられない 晩酌は一日の締めくくりとして寝る前の夜酌(ナイトキャップ)に切りかえました。
 その結果、夕食後の貴重な数時間は、余暇ではなく与暇として自分の今一番やりたいことに本気で挑戦することができました。
 しかしこの習慣も実は入院中の禁酒生活があったからできたことで、あまり人様に自慢できるようなことではありません。
 1995年の日本人の平均寿命は、男76.36歳、女82.84歳と発表されました。
明治中期の男42二歳、女44歳と比べると大変な長生きになったものです。
その上、平均四人の子供を生み育てた明治時代の夫婦と比較すると、おそらく子育てに要する時間は当時の四分の一以下になったはずです。
 要するに、幸か不幸か余暇はありあまる程できたわけで、私と違って健康にめぐまれている人達は、長い長い老後にそなえて今のうちから アフターファイブを有効に使って、二足、三足の草鞋をつくる必要があるように思います。
 一足の草鞋がすり切れて履けなくなっても、年相応の新しい草鞋があれば、老後の悪路もそれ程苦にはならないはずです。
 「人生八十年台」の今日、その長い人生を終生現役で暮らすために、何足かの草鞋を常に用意しておく必要があります。
 ところで、「二足の草鞋」という言葉がありますが、その語源はあまり感心したもの山ではなく、昔、ばくち打ちが、自分たちを取締る 目明しの役を兼ねて、十手捕縄を預ったことから出たことば、だそうです。
 暴力団を取締る法律を暴力団自らがつくっているような今の国会議員も、何やら二足の草鞋履いて我が者顔に江戸の町を闊歩していた 博徒によく似ているような気がして、何時の時代も悪いやつはいたものだとおかしくなります。
 こんな「二足の草鞋はあまり感心しませんが、とにかく、私は生きている限り常に新しい草鞋造りに挑戦し続けようと、退院後大いに 張り切っております。

(1996.11)