10. 教育改革

 作家でエッセイスト、そして本邦初の沿線民俗学研究家という三善里沙子さんから今年の六月、彼女が所属している ユニークな会から馬術と彫刻と心臓手術の話をしてもらいたいという依頼があった。
 なにやら三題噺のような気がしたが、若い御婦人から頼まれる「いや」と言えない私は、なんとかなるだろうとお引き受 けして、どうにか馬脚を現すこともなく二時間程の時間を無事につとめることができた。
 ところが、それから二日後、私は奉書紙に毛筆で書かれ落款まで捺してある一通の手紙を受け取った。
 差出人は風間健氏、彼は毎朝八時十五分からNHKの連続テレビ番組「私の青空」の健人君の実父とのこと。
 手紙に同封されていた彼の経歴書によると、彼は元キツクボクシング東洋ミドル級チャンピオンで連続KOの記録保持者 であるばかりか、フルコンタクト・プロ空手世界ミドル級初代チャンピオンでもあったらしい。
 さらに第一回アビリンピック(六十四カ国参加)のジャパンスピリッツ代表として今上天皇の御前で彼の提唱する 「武心道」の真剣白刃取りの演技を披露するという知る人ぞ知る大変な人のようだ。
 また彼は青少年教育にも情熱を燃やし、現代の若者たちに新風を吹き込もうと武士道ならぬ武心道によって武道を人間道、 人類道にまで昇華させ、武士道の精神、武士道の心の教育を行うための修練道場まで開設しているという。
 彼は私の拙い話を聞いて何か感ずるところがあったのか、ひょっとして近代馬術も武道の一つととらえ、「武士たるもの 弓馬の道は武士の常なれば、これを片時も怠るべからず」を思い出したのか、とにかく、今後とも何卒御 昵懇(じっこん) に願いたいというのだ。
 さらにつけ加えて七月十七日に明治記念館で彼の著書『武士道教育論」の出版記念パーティを催すという。
 私も以前『馬耳東風』で武士道について書いたことがあり、武士道には非常に関心があったので彼の本を読んでみたく なり、その会に出席した。
 その本の内容は、新渡戸稲造の武士道を初め、中江藤樹、熊沢蕃山、貝原益軒、吉田松陰等の武士道の教育論を紹介する と同時に、山鹿素行、上杉鷹山、山岡鉄舟の武士道論にもふれて、武士道が求めた倫理や、人間像について 縷々(るる) 述べている。
 そして彼の提唱する武心道とは、かつての武士道といわれるもののなかから、現代に適応するものだけを取り出し武道を 通じて倫理道徳を養い、武道における黒帯は力の象徴でなく人格の黒帯を締めることにあると締めくくっている。
 武士道論といえば新渡戸稲造しか知らなかった私は、先人達の武士道の教育論を知り、まさに我が意を得たりの感を深くした。
 近年の我が国教育の最大の問題は、青少年のみならず社会全体に広がる道徳とモラルの低下にあり、早急な教育再生策を 講じない限り、このままでは社会の混乱は避けられず、ひいては国力の衰退にもつながりかねない。
 今年の初め、政府は一応教育改革を最重要課題として取り組むことを公約し、教育改革国民会議なるものを発足させると 言明、「必要なときに先生も親もきちんと子供を叱る、悪いことをしている子供がいたら他人の子供でもきちんと諌める、 そんな社会をつくりあげたい」と言い、「知識と心の均衡の取れた教育」が必要であり、「大人自身が倫理やモラルに普段 から注意しなければならない」とも言っている。
 偉そうなことを言うだけなら誰でも言えるが、そのための具体策には何一つふれようとせず、一体今の政治家達は私語 や立ち歩きなどによって小学校の授業が成立しない「学級崩壊」が全国に広がっている現状をどこまで真剣にとらえている のか甚だ疑わしい。
 教育する者の自信のなさ、積極的に「なすべし」と命ずることのできない、また「教育する勇気」のない教師や父兄を まず再教育する必要がある。
 武心道が武士道の現在に適用するものだけを生かそうとしているように、何故、文部省は教育勅語の現在に適用する部分 を教育基本法の人前提として、「人間としての在り方」「人格の完成」のための指針としないのか。
 学級崩壊が全国的状況となった現在、国立教育研究所の調査中間報告では、その原因の約七割が「担任教師の指導力不足」 だという(産経新聞平成十一年九月十四日)。
 私に言わせれば小学校の学級崩壊の約七割りは父兄の責任だと思うのだが、その父兄の姿を見て育ったのが現在の子供達 だとすると、現在の父兄や文部省の役人達と子供達の倫理観やモラルにはそう大差ないように思えてくる。
 私の小学校の同級生で数々の学校長を歴任した、有名な教育者が学校教育のための本を出版した。題して『水辺の馬」。
 馬を水辺まで引いて行くのは容易だが、水を飲ませるのは難しいという(たと) えで教育がいかに難しいかと言いたかったの だが、私なら、五分もあれば馬にバケツ一杯の水を飲ませる事等何の造作もないことだ。
 教育のプロを自認する男がそんな情けないことを言っている以上、教育改革など夢のまた夢と言わざるを得ない。

「大人たちに告ぐ。私達は何も教えてもらっていません。
教えてもらわなければならないことを、何も教えてもらっていません。
それなのに私達が、一歩踏み出して何かやろうとすると、いつも批判が返ってくるだけです。
何一つ聞こうとしない。何一つ教えようとしない。…
私が思うに一番甘えているのは、私達に本当に教えるべきことを怠った大人だと思う。
甘えたものにはそれなりの復讐があることを大人たちはそろそろ自覚しておいたほうがよい。
いつかは自分にかえってくることを」
 十八歳の青年が書いた「甘えた大人への復讐」より(朝日ジャーナル)。
 しかし、今の大人達が教えるべきことを怠ったわけではない。何をどう教えていいかを知らないのだ。そこに現在の 教育改革の盲点がある。
 夏目漱石は「日本の近代の歴史は文明を得て、文化を失った歴史である」と喝破した。
 近代の学校は西洋が長い年月をかけて築き上げた文明を大急ぎで取り入れるのに夢中で、日常生活の中で無意図的に 伝承されてきた伝統文化の価値を見失い、伝統文化が家庭や学校から駆逐されてしまったのだ。
 日本の伝統文化は古来、私の個性を尊重しつつ、人を活かし公に奉ずる、私と公、個と全体のバランスのとれたもので あったはずだ。
 戦後、占領軍によって否定され、その口車に乗った政治家や教育者達は、今こそ教育勅語の価値を見直し、伝統と尊重 と宗教的情操教育の復権について真剣に論議する必要がある。
 関東高等学校の馬術部の学生達とのつながりと、現役の馬術選手としての経験から、今の高校生達は前記「甘えた大人 への復讐」のように教えるべきことを、きちんと誠意をもって教えさえすれば、皆素直な良い子供達ばかりだという確信がある。
 但し、その大前提として、私の馬術が彼等や上級生の大学生には到底手の届かない存在でなければならない。
 真のプロの親としてまたプロの教師としての誇りと自信をもつことが教育改革の鍵であり、これは政治家や文部省の小役人達の口をはさむべき問題ではない。
 心から子供達を愛し、子供達の将来を考えるなら、父兄や教師が甘えを捨てることだ。
 森という政治家が、前任者の遺志を継いで「教育改革国民会議」を国民運動として盛り上げたい、それには国民の同意を得なければならないと胸を張っていた。
 彼は一体どのように同意を得ようというのだ。間違いだらけの今の教育を改革しようというのに今更国民の同意でもないだろう。
 風間健氏ではないが真剣白刃取りのように、決死の覚悟で教育改革に取り組む意志のない政治家達に期待するのはやめよう。
 私は私なりに機会をとらえて馬術を志す若者達の心の教育をしようと思っている。

(2000.9)