1. 馬術 その格言と逆説

 1924年のオリンピックに総合馬術競技の選手としてイタリアから出場したアレッサンドロ・アルビゾは永年の騎手生活 の経験を生かして『馬術の格言と逆説』と題する小冊子を出版した。
 その内容は、人馬についての機知に富んだ考察と反省を極めて簡潔に、しかも格言と逆説という形式をとって述べており、 彼の馬術に対する造詣の深さと愛情が並々ならぬものであったことが容易にうかがえる。
 従って、私のように多少なりとも馬術を志す者にとって、その一語一語はまさに千金の重みがあると言わざるを得ない。
 スポーツの中で唯一(ゆいいつ) 生き物との協同作業によって優劣を決める馬術競技にあっては、馬の気持を理解し、自我を抑えて 馬の「ヤル気」をいかにして引き出すかが勝負の分かれ目であるだけに、馬に対する接し方は異常なまでに神経を使うと 同時に、馬に対する無条件の愛が必要不可欠なものとなってくる。
 そしてこのことを常に心掛けながら馬に接していると、私達が人生という長い長い旅の中で出逢う様々な人達と、より 良い関係を持続するための秘訣が馬との対話の中に非常に多く含まれているように思えてくる。
 それでは、いかにしたら、言葉の通じない馬の心の琴線に触れることができるか、格言の一つ一つを熟読吟味願うこととしよう。
 なお、この『馬術の格言と逆説』の日本語版は今から四十年前、京都のある乗馬クラブ主催の馬術大会にその参加賞として 極く一部の人にのみ配布されたもので、現在その小冊子を所持している人は何人もいないと思われるのであえてここに 紙面を割くことにする。

      馬術の格言と逆説

 一、
人と馬との関係、それは「二重の結合」・「二心同体」である。
(夫と妻・経営者と社員等まさにこうありたいものである。)
 一、
馬は、動物中で最も傲慢である。即ちその主人に対してさえも、媚びへつらわない。また彼は、最も礼儀正しい動物である。 即ち未知の人にさえも不機嫌でない。・・・馬にとっては両者は同一である。
 一、
五十年も馬に乗って、なお拙い騎手がいる。虚弱者が、必ずしも若死とは限らない。
(耳が痛い)
 一、
拙い騎手が、人目を誤魔化して難事を免れようとするのを阻む証人が、只一人いる。
・・・それは馬である。幸いにしてこの証人は、物が言えない。
 一、
騎手は、馬が「思うように動いてくれない」と怒る前に一度主客の位置を変えて「自分の肩に子馬を背負って試験を 受ける」と想像して見る必要がある。そしてなお一度よく考え直して見るがよい。
 一、
しばしば騎手は、四足者の半分の思慮も持たないことがあり、馬は、二足者の倍も考慮深いことがある。
 一、
馬は、どの馬も常に馬である。騎手は常に必ずしも、騎手ではない。
 一、
馬を拙い騎手に慣れさせてはならない。拙い騎手を良い馬に慣れさすべきである。
 一、
馬を悪くする騎手があり、騎手を良くするがある。
 一、
馬は、騎手に対してできるだけ不機嫌を見せぬようにする。騎手にもこの心掛けは必要である。
 一、
騎手と馬とはあわせて四眼となるが、六脚とはならない。
 一、
良く乗りこなされた馬は考える四本の肢である。反対に拙い騎手は分別なき四肢の後を追う酔っ払いである。
 一、
馬と騎手との間には、尊敬がない限り愛情はない。
 一、
女性と同じく馬は弱い者を愛さない。言うまでもなく尊敬なんて!
 一、
馬は手綱によって騎手に支点を見出す。この逆は不可である。
 一、
馬が良くて騎手が平凡な場合の方が、馬が平凡で騎手が非凡な場合よりも、勝利を占めることが遙かに多い。
 一、
馬に乗りこなすことは、躾である。馴らすことは、撫育することである。
 一、
いにしえのローマのある大詩人が、「四足の騎手」という珍しい奇言を吐いた。この詩人は人馬一体の姿をその騎手に見たのである。
 一、
馬が不安になる場合には、騎手自身が、まず馬の恐れている物体に手を触れるのが最良の方法である。次いで馬を、 次第にこれに近寄せるが良い。
さもなくて、馬を打ってこれを強迫するすることは只、馬を益々驚かすのみである。何となれば、この際に与えられる 懲戒は、自分の恐れている物から来たと信じるからである。
 一、
馬が、力の強迫によってやることは、持続するものではなく、またその作業も決して巧みではない。大自然の恵みを充分に受けて 樹上で熟した果実は、室の中で不自然に熟した果実より遙かにうまい。
 一、
馬術成績が悪かった場合、多くの騎手は馬の長所を認められるよりも、その短所について慰めの辞を受けることを望み、 馬の短所を誇張して成績不良の責任を馬に帰そうとする。
(その馬を調教したのは騎手本人の場合が大半である)
 一、
温順でない馬について、「これが反抗する」とするのは騎手の無責任を証拠付けるものである。馬は唯、防御のために 騎手に「抵抗」しているにすぎず、それを敢えて「反抗」というのは誤りである。
 一、
馬にとって拍車や鞭による刺激は苦痛以外の何物でもないのに、騎手はそれを「扶助」という。これを「言葉の乱用」という。

 以上、馬と騎手との関係についての格言を幾つか拾い出してみたが、これらの格言をまつまでもなく、馬とより良い 関係を保つための秘訣は唯一つ、「馬に対する絶対の愛情」これ以外にはありえない。

(1997.11、1998.1)