一、
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人と馬との関係、それは「二重の結合」・「二心同体」である。
(夫と妻・経営者と社員等まさにこうありたいものである。)
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一、
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馬は、動物中で最も傲慢である。即ちその主人に対してさえも、媚びへつらわない。また彼は、最も礼儀正しい動物である。
即ち未知の人にさえも不機嫌でない。・・・馬にとっては両者は同一である。
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一、
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五十年も馬に乗って、なお拙い騎手がいる。虚弱者が、必ずしも若死とは限らない。
(耳が痛い)
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一、
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拙い騎手が、人目を誤魔化して難事を免れようとするのを阻む証人が、只一人いる。
・・・それは馬である。幸いにしてこの証人は、物が言えない。
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一、
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騎手は、馬が「思うように動いてくれない」と怒る前に一度主客の位置を変えて「自分の肩に子馬を背負って試験を
受ける」と想像して見る必要がある。そしてなお一度よく考え直して見るがよい。
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一、
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しばしば騎手は、四足者の半分の思慮も持たないことがあり、馬は、二足者の倍も考慮深いことがある。
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一、
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馬は、どの馬も常に馬である。騎手は常に必ずしも、騎手ではない。
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馬を拙い騎手に慣れさせてはならない。拙い騎手を良い馬に慣れさすべきである。
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馬を悪くする騎手があり、騎手を良くするがある。
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馬は、騎手に対してできるだけ不機嫌を見せぬようにする。騎手にもこの心掛けは必要である。
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騎手と馬とはあわせて四眼となるが、六脚とはならない。
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良く乗りこなされた馬は考える四本の肢である。反対に拙い騎手は分別なき四肢の後を追う酔っ払いである。
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馬と騎手との間には、尊敬がない限り愛情はない。
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一、
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女性と同じく馬は弱い者を愛さない。言うまでもなく尊敬なんて!
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馬は手綱によって騎手に支点を見出す。この逆は不可である。
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馬が良くて騎手が平凡な場合の方が、馬が平凡で騎手が非凡な場合よりも、勝利を占めることが遙かに多い。
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一、
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馬に乗りこなすことは、躾である。馴らすことは、撫育することである。
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一、
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いにしえのローマのある大詩人が、「四足の騎手」という珍しい奇言を吐いた。この詩人は人馬一体の姿をその騎手に見たのである。
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一、
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馬が不安になる場合には、騎手自身が、まず馬の恐れている物体に手を触れるのが最良の方法である。次いで馬を、
次第にこれに近寄せるが良い。
さもなくて、馬を打ってこれを強迫するすることは只、馬を益々驚かすのみである。何となれば、この際に与えられる
懲戒は、自分の恐れている物から来たと信じるからである。
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一、
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馬が、力の強迫によってやることは、持続するものではなく、またその作業も決して巧みではない。大自然の恵みを充分に受けて
樹上で熟した果実は、室の中で不自然に熟した果実より遙かにうまい。
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一、
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馬術成績が悪かった場合、多くの騎手は馬の長所を認められるよりも、その短所について慰めの辞を受けることを望み、
馬の短所を誇張して成績不良の責任を馬に帰そうとする。
(その馬を調教したのは騎手本人の場合が大半である)
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一、
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温順でない馬について、「これが反抗する」とするのは騎手の無責任を証拠付けるものである。馬は唯、防御のために
騎手に「抵抗」しているにすぎず、それを敢えて「反抗」というのは誤りである。
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一、
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馬にとって拍車や鞭による刺激は苦痛以外の何物でもないのに、騎手はそれを「扶助」という。これを「言葉の乱用」という。
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以上、馬と騎手との関係についての格言を幾つか拾い出してみたが、これらの格言をまつまでもなく、馬とより良い
関係を保つための秘訣は唯一つ、「馬に対する絶対の愛情」これ以外にはありえない。