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は じ め に
如是我聞
、かくの如く我聞けり。
これは『佛説阿弥陀経』の最初の文句である。
私が11歳の時、異母妹の佳子が疫痢
のために7歳の幼い一生を終えた。
1941年8月25日の朝、私と一緒に祖母につれられて元気に江ノ島へ海水浴に行った妹は、夕方家に帰りついた時には
高熱のために意識はほとんどなく、そのまま次の日の夕方たった一人であの世へ旅立ってしまった。
奇しくもその日は父の誕生日だった。
それからというもの父は毎夜のごとく仏壇にむかい、この阿弥陀経を唱えるようになった。
お釈迦様が祇園精舎で弟子達に説いた極楽浄土の大叙情詩ともいえるこのお経は、それを唱えることで今はなき愛娘が
天国で楽しそうに遊んでいるに違いないと、思いかえし、思いかえして、その悲しみを堪えていたのだろう。
一人っ子になってしまった私も、よく父の横に座って手を合わせ父のお経を聞いたものだ。
門前の小僧、習わぬ経を読むとはよく言ったもので、今でも本職のお坊さんとまではいかないが、教本があれば阿弥陀経は
唱えることができる。
この『馬の耳に念仏』は、月刊誌に毎月連載されたものをまとめたものだが、人が煩悩を払いのけようと阿弥陀経や般若心経
を唱えるように、私もまた諸々の煩悩から逃れたい一心からその煩悩を分析し、なんとか私なりの解決策を見つけて自分自身
に納得させようとエッセイを書き続けているのだ。
従って私のエッセイ(エッセイといえるかどうかわからないが)はその煩悩を払いのけるために「如是我聞」、こんなことも聞きま
した、あんなことも聞きましたが、まったくその通りですと書いているに過ぎない。
今回でこの『馬の耳に念仏』も処女作『馬耳東風』から数えて三冊目になるが、改めて前の二冊を読みかえしてみると、随分と
矛盾したところがあったり、また重複した文章があって、なんとも読みにくい本になってしまった。毎月不特定多数の読者に
読んで頂くために、一つのテーマをとりあげてその結論づけをするのには、どうしてもそこに至るまでの故事来歴をその都度
書く必要があり、心臓の手術のことや、彫刻をはじめた経緯等、何回も書くことになってしまった。
一冊目は今から8年前、主題を『馬耳東風』、副題を「馬に憑かれて五十年」としたが、半世紀におよぶ馬乗り人生で学んだ
ことは、善因善果・悪因悪果ということで、常に相手の身になって考え行動することが善因善果につながるということを
学ばせて頂いた。
二冊目の主題は『続馬耳東風』、副題は「自縄自縛」。毎月偉そうなことを書いたため、あまり悪いことができなくなって、
自縄自縛もまんざら捨てたものではないと思った。
そして今回の「百面相人生」では、馬という一つの顔で笑ってみたり、泣いてみたり、また時には怒ってみたりという具合に、
馬の彫刻を創り、馬に関するエッセイを書き、馬術競技にも出場したりと結構人生を楽しませて頂いているのでこの題を選んだ。
しかし、前にも書いたが、この三冊の本は総て私の心の遍歴、迷いの記録にすぎず、また3,4年のしたらもう少しましな
文章の四冊目を出したいと思っているが、それまで生かして頂ければの話しである。
終わりに、毎月私の拙文を我慢して掲載頂いている株式会社日本設備工業新聞社と、この本の校正から製本迄総てお世話に
なっている株式会社ジェーピー企画に心より感謝する次第である。
(2000.11)
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