【かごめ賛歌と桔梗論】

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かごめ贔屓
 格好つけて作品論をぶってみても、やはり特定キャラクターに入れ込むからこそ、のめり込み度が高くなるわけです。私の場合は、膨大な犬夜叉関連HPに掲載された数々の二次創作(小説)や原作へのリアクションを読みまくるうちに、途中までしか購入していなかった『犬夜叉』コミックスを古本屋で改めて買い揃え、頁を開いて「かごめが光って見える」ことに気付き、こりゃ重傷だ(^_^;)と自覚した次第です。
 なぜそこまで優しい心を持っているのか。土壇場の強さを持っているのか。多くのキャラに大切にされるのか。そりゃヒロインだからだろ、と言ってしまえばそれまでですが、第18巻で彼女がとった行動は、とても設定年齢15才の少女のものではありませんでした。ハマる前には「愛人宣言だ」と茶化してた自分が恥ずかしくなるほどに、ファンサイトでふくらまされた彼女のイメージは強烈でした。
 恋敵である桔梗の悲劇性を考えれば考えるほど、かごめの立場とその心には、弥勒の言葉を借りるなら「心の広さには頭が下がりますな」なんですが、人を好きになることの苦しさと辛さを抱え、犬夜叉のために一生懸命な彼女に、何らかの批判が加えられると「腹が立つ」というより「胸が痛む」のが私の心情ですね。
 私の「かごめ萌え」ぶりについては、こちらで病的に語っておりますので、引かない自信がある方はどうぞ(^_^;)。

桔梗の悲劇と哀しみ
 桔梗というキャラについて考えてみると、生前は四魂の玉を守護する巫女という立場がブレーキになって、普通の人間のような色恋にふけることが許されなかった。ましてや半妖の少年に恋をするなど、大罪だったかもしれない。辛かったでしょうね。四魂の玉を持ち出し、犬夜叉を人間にして浄化し、巫女という立場を捨ててでも一緒に生きようとした彼女が、ニセ犬夜叉によって引き裂かれた時の衝撃、哀しみ、憎しみはいかばかりだったことか。「本当に愛していたなら信じることができたはずだ」というのは酷でしょう。村を襲う犬夜叉の胸を、血まみれの体で放った矢で貫いても、殺すことができなかったあたりに切なさが表れています。
 彼女からすれば、死魂を満たしていなければ動かせないまがいものの体の身の上がどれほど辛いことか。コミックス第8巻で「犬夜叉…私がおぞましいだろう」と語った時の表情には、かつて一瞬でも本気で共に生きようとした男に対する恨みと後悔と愛着がごちゃまぜになった、言いようのない感情があふれています。ところが犬夜叉は真正面から自分の想いをぶつけ「おまえがどんな姿になってたって、おぞましいとも憎いとも思わねえ」という。これには気持ちがぐらついたでしょうが、あの口づけはまさしく「生きているうちにこうしたかった」行為なのでしょう。

女性心理
 さて、昔小泉八雲ことラッカディオ・ハーンが翻訳した日本の『怪談』の中に「破られた約束」という短編があります。どんな内容かというと、ある侍の奥方が重病にかかり、いまわの際に自分が死んでも決して新しい妻を娶ってくれるなと侍に約束させて亡くなるんですが、侍はこれを破って再婚する。すると侍が留守の夜に前妻の亡霊が現れ、新妻を絞め殺してしまう…とまあそういうお話です。これを最初に読んだ時、ハーンは怒ったそうです。「ひどい話じゃないか。復讐するなら男の方にやるべきだろう」。すると奥さんの小泉節子さんがこう言ったそうです。「ええ、男はそう考えるでしょうね。でも女はそういう風には考えないものなのです」。
 私はこのエピソードに学生時代からえらく興味を抱き、親に妹に叔母、知人に研究室の事務官、職場の方、挙げ句は某サイトの掲示板に至るまで、数多くの女性に「そういうものなのか」と聞いてみました。答えは一部の例外を除いて「節子さんの言うとおり」でした。恨んでも愛した男を憎むことができない…というよりは、男の心が他の女に移ったのはその女が男の前に現れたからだ、と感じてしまうのが多数派の女性心理のようです。

桔梗は少数派?
 桔梗にとっては、二度と目覚めるつもりはなかったとしても、自らの人格と意志をもち、まがいものでも動く体をもって復活した以上、かごめは「自分がいない間に犬夜叉の心を奪った女」なんですね。嫉妬に苦しむのはかごめだけじゃない。
 コミックス第8巻の桔梗はまさしく小泉八雲が訳した怪談における前妻の立場だったわけですが、彼女がやろうとしたのは「男との心中」なんですね。復讐とはニュアンスが異なりますが、少なくともかごめを殺そうとしたわけじゃなかった。桔梗は少数派ということでしょうか。しかし「私を忘れられないで生きるより、今ここで一緒に行った方がいいだろう?」はやはり女性ゆえの怖さというか(失礼)、こんな身の上の自分がそれぐらい望んで何が悪いのか、という心情から出た言葉でしょうね。
 しかし彼女のその行為は、かごめの「犬夜叉にさわらないで!」の怒りの言葉で阻止され、犬夜叉はかごめのところへ走っていってしまう。「その女の方が、大切なのか…」の表情はやりきれない寂しさに満ちています。…楓から真相を聞いた後の「私がしたかったことを、かわりにあの女がやっているのか」「生きていれば、この私が犬夜叉の心を癒すはずだった」という言葉に、彼女はある決意を固めたのではないかと伺えるのです。自分の嫉妬の心を封じ込み、悲劇の元凶である奈落を滅ぼすという決意を。

桔梗は悪役・仇役?
 そして、一時かごめの矢で深手を負った奈落が新しい体を作った際に、わざと囚われた桔梗は、犬夜叉一行が幻影殺で全滅の危機に瀕する中、かごめから四魂のかけらを奪って奈落に渡すという行動に出ます。やはりその狙いは、完全な四魂の玉を手にした時に、玉ごと奈落を葬り去ることなのでしょう。
 結果的には、四魂のかけらの大部分を手に入れた奈落が次々と強力な分身を生みだし、犬夜叉一行を度々窮地に陥れます。かごめがいなかったら命はなかった(神無に風の傷をはね返された時)という場面もあり、「殺されるな」もないもんだというかごめ派読者の批判も無理はないんですが(-_-;)、あえて犬夜叉と別行動をとり、単身で奈落を追う桔梗の行動には、哀しくも壮烈な決意が垣間見えます。
 で第18巻。巨大死魂虫によって死魂を抜かれ、これまでなのかと絶望しかけた時に犬夜叉がかけつけて救う。「誰がおまえを守る? おれしかいねえじゃねえか!」の言葉に再び心は揺れる…つくづく犬夜叉も罪な奴だけど、悪気がないどころか熱愛体質ゆえの言動だから、膨大な数の読者が涙するんですね。その直後に、奈落に真っ向から宣戦布告し、「人間の心を残す限り、おまえは私を殺せない」と挑発したけれど、まさか七人隊を復活させて時間を稼ぎ、白心上人の魂を籠絡して結界を張らせてまで、人間の心を分離してくるとは予想外だったのか、2002年少年サンデー42号の状況に至ると。やはりこれで死んでいただきたくはないですね。

桔梗とかごめ…二人はやはり敵になるのか?
 一部の読者には「桔梗とかごめの二人の等価の幸せはありえない。一方が犬夜叉と結ばれれば一方は別れざるをえない」と考える方が目立っているようです。はたしてそうでしょうか。
 私が気になるのは、コミックス第5巻第10話での桔梗の言葉です。
『私は、二度と目覚めるつもりはなかった…』これは何を意味しているのでしょうか。奈落の化けたニセ犬夜叉によって心身を引き裂かれ、悲しみと憎しみの極致になりながら、桔梗は犬夜叉を破魔の矢で封印したものの、命を奪うことができず、四魂の玉を抱えて自らの体を焼かせた。この行為には、裏切られた怒りと憎しみにまみれていても、本気で愛した男を殺せなかった彼女の優しさと、村と玉を護ってきた者としての誇りが感じられます。
 鬼女・裏陶が桔梗の霊骨を盗み出し、復活させようとしたのは自分に都合のいい「強大な霊力をもつしもべ」を創り出すという邪な企みからでした。事実、桔梗の魂はかごめの体から離脱するのをとことん拒んでいますし、皮肉なことに犬夜叉が名前を呼んだことではじけ飛んで、骨と土で作られた体に入ったわけです。そして復活直後には、自分をひきずり出した張本人として、まず裏陶を抹殺しています。
 恨みと怒りは犬夜叉にも向けられましたが、土壇場で本体のかごめの力が「あらかたの魂」を引き戻したので、怨念の部分だけが残って骨と土で作られた体になじんだ(裏陶談)。その後の桔梗の行動をみる限り、この裏陶の言い方は中傷(単に生みの親たる自分を殺した者への捨てゼリフ?)としか思えないのですが、少なくとも第5巻の蜘蛛頭事件までのかごめには、桔梗の魂が融合していたのは間違いないわけです。
 一つであるべきだった、一つであろうとしていた魂が、裏陶の野心によって引き裂かれた挙げ句、恋敵同士として対立する羽目になったのです。たしかにもう一度一つに戻る(つまり、桔梗の魂がかごめの中に還る)ことが両者の幸せだという発想は、ご都合主義なのかもしれません。『あの女の中に還るということは、私が私でなくなるということ…』いかにまがいものの体といえど、独立して自我を持った桔梗には、我慢のならないことなのでしょう。
 しかし、それをもって50年前に死んだ桔梗の本心まで誤解すべきではありません。今の自分が「この世にはいないはずの存在」であることを、彼女は自覚しているはずであり、だからこそ一時は犬夜叉との心中(?)を図ったのですから。四魂の玉を抱えて死んだ桔梗の、すべての怒りや悲しみの奥底にあった「願い」とは何だったのか…実は私自身の発想ではないことをあらかじめ述べておきますが(^^;)、次のような想いがあったのではなかろうか、と。
…もう一度生まれ変われたなら、今度こそ犬夜叉と信じあえる仲になりたい。

かごめの存在の意味
 かごめは四魂の玉を体内に持って生まれ、それを見ることのできる目を持って育ち、犬夜叉を封印した破魔の矢を消し去り、彼の暴走を封じる言霊「おすわり」を生み出します。四魂の玉が粉々になった後、犬夜叉とかけらの一つ一つを探す旅を始める中で、彼の父の形見である妖刀・鉄砕牙を抜き、それが発動するきっかけを作り、七宝や弥勒や珊瑚という仲間を呼び込んでいきます。犬夜叉とはそりゃもうケンカ三昧の毎日でしたが、本音をズバズバ言い合い、互いにまるで遠慮のない間柄でありつつ、次第に心を通わせていきます。…これこそ桔梗が欲しかった「過程」であり「絆」ではなかったのでしょうか。
 桔&犬&かごの三角関係は、ただの三角関係ではありません。二股二股と言われますが、少なくとも「めぞん」の五代君や「らんま」の乱馬の時のような状況とは相当異なっている、複雑千万な関係です。桔梗と一緒に死を選ぶのか、かごめと一緒に生きていくのか。生死に直結する選択なのです。だから重いし、安易な進展も起こりにくいんですね。
 コミックス18巻で、ご承知のようにかごめは、桔梗と犬夜叉の仲の重みを思い知らされるわけですが、それを背負う覚悟で犬夜叉のそばに戻ります。(私は、犬夜叉に生きててほしい)…桔梗の望みが犬夜叉とともに死ぬことである限り、たしかにかごめと桔梗は何らかの形で戦わなければならない宿命になります。桔梗贔屓の方を中心に言われている「かごめは努力不足」論や「犬夜叉一行は桔梗の安否に対して冷淡すぎ」論は、この作品のさまざまな側面のうち、一面だけを極端に強調した解釈です。特定のキャラに入れ込めば当然そうなるわけですが、この作品における桔梗とかごめの関係には「人間は恨みや憎しみ、悲しみを乗り越えられるか」「人を愛するという感情は、自己愛を凌駕できるか」という問い掛けが隠されているように思うのです。主要キャラ共通の敵である奈落が、野盗・鬼蜘蛛の嫉妬心という邪念にむらがった妖怪達の集合体であるという設定も、逆の意味からの問い掛けなんですね。
 コミックス20巻の桔梗の独白「私に負けたおまえが、かごめに勝てるわけがない」。これは直接的には椿に向けられた言葉なんですが、桔梗自身がかごめという少女の存在の意味を悟りつつあるのではないか、そんな気にさせてくれます。
 白霊山において、人間の心を分離した奈落によって体を壊された桔梗。この衝撃の展開から約四ヶ月が過ぎました。未だ原作の展開上では桔梗の安否が不明のままですが、最後の四魂のかけらが「あの世とこの世の境」にあるというのがなにやら暗示的です。地割れの中に落ちていった桔梗、あれが最期の姿だったとはどうにも考えにくいゆえ、おそらく再登場(ひょっとしたら魂だけ…?)があると思いますが、どんな形になるのでしょうか。

桔梗、瀕死で再登場 
 今年の少年サンデー19号「滝壺」でついに桔梗は姿を現しました。奈落の瘴気の中に落ちても、鬼蜘蛛の心が染み込んだ土の結界が、彼女の体を壊させなかったわけです。しかし瘴気は傷口から体内に入り込んで、魂を消しかけていました。それでも桔梗は動かぬ体を隠し、魂だけで人形(ひとがた)を操り「聖さま」として戦い続けます。あまりに壮絶です(;_;)。鬼蜘蛛の心はあくまで奈落に逆らい、結界破りの赤い鉄砕牙でも斬れない白童子の結界を突き破る…つくづく人間の心とは業が深いもので、奈落もまた複雑極まる悪役です。
 さて、死魂虫を追ってその桔梗の元にたどりついたのは、犬夜叉ではなくてかごめでした。「聖さま」の従者は事情をかごめに伝え、命は尽きかけている、お救いするかしないかをお選びください、と話します。かごめは滝壺の中に身を投じ、桔梗の傷口をふさいで、抵抗する瘴気を浄化、桔梗は一命をとりとめ、目覚めます。なぜ助けた、選べたはずだと訊く桔梗に、眼前に助かるかもしれない人がいるなら助けるに決まってると答えるかごめ。この噛み合わない会話は、二人の生き方を表わしているかのようです。この展開には相当数の読者があちこちで様々な反応を示しましたが、桔梗寄りの発想にもかごめ寄りの発想にも、なにかが間違っているという感を抱いてしまいます。

 生前の桔梗は、並はずれた霊力を持った巫女として村を守護し、妖怪・物の怪達を滅する強靱さの裏に、普通の人間と異なる身でなければならない孤独感を抱えていました。だから同じような身の上である半妖の犬夜叉に恋情を抱いたわけです。しかし、童子たちへ向ける優しい眼差しや、病人・怪我人を分け隔てなく介抱する慈愛の心も、間違いなく彼女の本性であったと思われます。まがいものの体で復活「させられた」後でも、その心は変わっていませんでした。奈落への怨念や、犬夜叉への慕情だけで彼女を解釈すべきではないと感じるのです。なぜ魂だけでも戦い続けるのか、これは世に災いをもたらす奈落や、阿毘姫のような勢力から、罪のない人々を守護するためでしょう。奈落を滅するため四魂の玉の大部分をあえて彼に渡した自らの行為への、悲壮なる使命感であり、巫女としての矜持でしょう。奈落が人間の心を分離し、直接自分に手を下してきたことは”不覚”であるとともに、なんとしてでも奴を滅さなければならないとの確信でした。自らが招いた結果であるゆえに、魂が消えゆくまで戦おうとする…実妹の楓が、なぜそこまで苦しみを重ねなければならないのか、と悲しむ所以です。
 しかし奈落の瘴気の中に落ちていく時、桔梗は犬夜叉の名を呼んだ。これは彼女自身があえて封じようとしていた彼への想いの表れでしょう。巨大死魂虫によって危機に追い込まれて犬夜叉に助けられた時、自分が一言「私のところに来てくれ」と言いさえすれば、間違いなく彼はそうした。桔梗にはそれがわかっていたはずです。なのに彼女はそれを言わず、彼を今の仲間達のところへ帰した。白霊山の山麓で犬夜叉達に再会した時も、必要以上の会話をしなかった。「聖さま」として白童子の結界を破り、苦戦する犬夜叉を側面支援した時も、その場から去って里の結界を襲う妖鳥群を滅し、さらにその巣を潰すべく動いた。これはなぜなのか。私には、今の桔梗は”犬夜叉を死なせたくない”との本心を懸命に隠しているように思えてならないのです。
 自分は死人である…七人隊の一人で二重人格に苦しんだ睡骨の最期を看取る形になった時、そして白心上人の哀しみの魂を鎮めて成仏させた時、自分は彼らと同じ身の上だということを、彼女は嫌でも実感したでしょう。いずれ骨と土に返る身であるなら、自分はなんのために今”生きている”? この問いかけは、無常観を誘います。瘴気が体を蝕んでいく、今更”死にたくない”と思うのか、元々死人の自分が…彼女は無意識に、自分の魂が転生した依りしろであった少女を呼んだのでしょうか。

かごめの選択 
 かごめという少女は、いつもまっすぐに生きています。環境も価値観もまるで異なる現代で生まれ育ち、何不自由のない世界で生きてきた人間ですが、戦国時代に飛ばされても自分を見失うことなく、勇気と直情と生まれついての社交術(?)で犬夜叉の心を開き、仲間を引き寄せ、互いの絆を作り上げていきます。桁外れの霊力を持っているがゆえに普通の人間と違った存在で”なければならなかった”桔梗には、まぶしく見える存在かもしれません。そのかごめは、眼前に命の危機に瀕している桔梗を見た時、なんのためらいもなく桔梗を助けます。実はこの行動は、桔梗が巨大死魂虫に襲われた時や、鋼牙が神楽の風刃によって危機に瀕した時に、犬夜叉がとった行動と同じなんですね。

 『ならば…礼は言わない。お前が決めたことだ。』この言葉が波紋を呼んでいますが、まがいものの体が瘴気に覆われ尽くせば、魂は行き場を失い、転生先であったかごめの体に戻るか、この世から消え失せるかしかない。前者なら再び自らの自我は消え、自分は自分でなくなる。しかし思えばそれが”自然なこと”かもしれない。今の自分が所詮”偽りの生”にすぎないのなら、早いか遅いかの違いでしかない…彼女の心にこういう哀しみがあるなら、かごめが自分を”助けた”ことは本当に自分を”救ってくれた”ことだったろうか。だから”礼は言えない”のでしょう。桔梗にしてみれば、自分を救わないという”選択”の発想をしなかったかごめの言動が理解できなかったというよりも、唯一瘴気を浄化できる存在であるかごめが自分を助けたのなら、ただその選択に従おう、との思いなのかもしれません。

離れて秘める想いとそばで支える想い 
 『まもなく犬夜叉が来る。おまえを追って…』桔梗はこう続けます。五十年前に自らが封印した犬夜叉は、まぎれもなく今、生きている人物です。そして彼は五十年前とは大きく変わっている。自分が生きてさえいれば、自分がしたかったこと…彼の心を癒し、一緒に生きていくこと。もはやそれはかなわない夢になっている。あの頃に戻れないことがわかっているなら、彼への想いは封じ込めるしかない。しかし、そんな彼女の孤独な哀しみの胸に、たしかに”ぬくもり”が残ります。『まだ、あたたかい』…他者に与え続けるだけだった人生で、彼女が他者からもらったものは何だったでしょうか。それが幼い子供達の無垢の笑顔だったとしたら、それと同じものを、たしかにかごめはくれたのです。犬夜叉にくれたものと、同じものを。またその犬夜叉が自分にくれたものと、同じものを。

 かごめはかごめで、一緒にいるがゆえに、犬夜叉の心が桔梗に向くたびに二人の仲を痛感させられることになる。これは彼女の心にできた”一点の闇”だと奈落の赤子が言うくらいの重みがあるわけです。それを承知の上で彼女は犬夜叉のそばに戻ってきたわけですが、桔梗もかごめも、犬夜叉の心が自分にあるなどという自信を持てていないんですね。去っていく桔梗の背中に『犬夜叉は桔梗に会いたがっているのよ。くやしいけど…』と独白するかごめの心情には、まるで互いに譲り合うかのような奥ゆかしささえ感じます。

 とはいってもかごめもまた人間の女の子です。無我夢中で行動した後で、犬夜叉のことで桔梗が邪魔だから自分が救わないと思われたのかと考えついて腹を立て、桔梗を気に掛ける犬夜叉に苛立って暴発し、直後に自己嫌悪してしまう。猛烈に人間らしいヒロインです。犬夜叉がそんな彼女に『おまえは桔梗を助けたんだろ? だったらもう大丈夫だ。おれは追わねえ』と言ったのは”信頼”の証なんですね。その後で、だから大嫌いを取り消せという彼と、言ったっけそんなことと返すかごめ…一部の読者はこういう描写を毛嫌いしますが、私は実に魅力的な仲だと感じます。

 桔梗の”離れて秘める”想いと、かごめの”そばで支える”想い。私はこの二つに優劣があるようには思えないんですね。世の中に本当のことはいくつもある…原作者の高橋氏は”心を描く”方法でそれを問いかけておられるのでしょう。【犬夜叉】のメインテーマが桔梗&犬夜叉&かごめの恋愛物語にあると解釈するのは読者の自由でしょうが、桔梗贔屓読者とかごめ贔屓読者が対立し罵り合うことなど、高橋氏は望んでいないはずです。あれだけ直接的な描写をされたのですから、一人でも多くの読者にそれを考え、わかってあげてほしいなと思います。

四魂の玉は桔梗で、鉄砕牙はかごめ
 四魂の玉はかごめの体内から出てきてかごめが砕いたものですが、なにしろ桔梗が抱きかかえて自分の亡骸とともに燃やさせたほどだから、桔梗との結びつきがはるかに強いはずです。愛した半妖の少年を人間にするために持ち出したわけで、彼女の愛情と悲哀とが魂もろとも猛烈に凝縮されたものでしょう。
 一方の鉄砕牙はまだ桔梗の魂がかごめの中にあった頃にかごめが抜いたものですが、殺生丸、悟心鬼、竜骨精、宝仙鬼…と様々なしがらみ、死闘を経て犬夜叉と一緒にバージョンアップしていきました。いつもそこにはかごめの支えがありましたし、今は犬夜叉自身の牙がつなぎになって一体化しています。

 四魂の玉と鉄砕牙は、アイテム版の桔梗とかごめなのかもしれない、と私は考えています。昔前者を手に入れようとしていた犬夜叉は、今後者を自分の相棒にしている。『玉を狙う奴と戦うことはできる。だから俺は玉を狙う奴がいなくなるまで戦い続ける』という彼の言葉もこれを暗示しているようです。前者は物凄い数の妖怪や人間が欲しがるけど、後者を欲しがるのは以前の殺生丸くらいだから‘格’では負けてます(でも登場コマ数では多分勝ってる…と思う^^;)。そして当然、天生牙はアイテム版のりんちゃんなんですね。

 「かごめの体内から出てきてかごめが砕いた」というのはいささか物騒な表現になっちゃいますが(>_<)、今の犬夜叉にとって四魂の玉は「自分のために使うもの」ではなくて「皆のために守るべきもの」と化しています。鉄砕牙は欠かせない相棒であり、父親越えを果たすまでは妖怪化を封じるための守り刀でもあった。最新の連載で犬夜叉が鉄砕牙に四魂の欠片を打ち込んだ時、あんなことになっていささか怖くもなりましたが、もしも四魂の玉と鉄砕牙が一体化して調和・融合するようなことがあれば、地上最強のアイテムが誕生するような気もするのです。

 こじつけだと思われる方もいらっしゃるでしょうが(^^;)、四魂の玉と鉄砕牙には、桔梗&犬夜叉&かごめの三角関係でしかこの作品を解釈できない人達に見えない‘何か’がある…ように思えるのです。

桔梗、笑顔で逝く…かごめに託されしもの

 もう一人のヒロインは、犬夜叉の口づけを受けてその腕の中で涙と笑顔で天に還りました。幸少ない十数年の生涯ではあったけど、その何倍もの時間を苦しんで彷徨っていた桔梗の魂は、意に反する数ヶ月の復活の間に次第に癒され、救われたのです。
 奈落の凶刃によって傷つけられ瀕死の状態であった時、何の迷いもなく瘴気を浄化して救ってくれたかごめ。自らの命を捨てる覚悟で四魂の欠片を使ってほしいとやってきた琥珀。その琥珀の命を守るため、身を挺して風穴を開けた弥勒。それぞれの意地と誇りをかけて魍魎丸と戦った犬夜叉と鋼牙。そして奈落の蜘蛛の糸を断ち切り、梓山の弓を手に入れて戻ってきたかごめ。関わった皆の頑張りが悲劇の巫女の心を揺り動かした。憎むべき天敵である奈落の腕の中でなど死ぬものかという桔梗の怒りは、動かなくなった体でも残された霊力だけでかごめの放った矢を奈落に向けて撃つ。『私が負けたかどうか、それは貴様が死ぬ時にわかる』…この言葉には、心の清い者達の力は邪気などに負けはしない、という犬夜叉達への信頼が込められているようにも思えます。

 以前このコラムで、四魂の玉は桔梗で鉄砕牙はかごめだと書きました。四魂の玉の発祥元でもある翠子の魂を体に入れた桔梗は、一段と玉との結びつきを強めたのです。桔梗が矢とともに奈落に打ち込んだ一欠片には、翠子の代からの正しき力が宿っています。かごめへの遺言『琥珀の光を守れ』とは、清い心の力を集約して奈落を倒せとのメッセージなのでしょうか。『やっと…ただの女になれた』のは、孤独に彷徨い続けた魂が精一杯の使命を終えて安息の時を迎えたことへの安堵と、愛した少年の腕の中に戻ってこれたことへの喜びなのでしょうか。

 生まれて初めて好きになった大切な女。それなのになにもしてやれなかったとあの犬夜叉が泣きじゃくる。かごめもまた桔梗を救えなかったと泣き続ける。そんな中で『おまえは来てくれた。それだけでいい…』と微笑んだ桔梗。なんと無欲で慎ましいのかと思いつつも、あんなに心の底からの微笑みを見せてくれたのにはひたすら感動しました。数ヶ月の間、桔梗の体を動かしてきた死人の魂を集める死魂虫が、光と化した彼女の魂を抱いてかごめ達に別れの挨拶をして天に昇る。『あたたかい…』と涙でそれを感じたかごめ。なぜ桔梗の魂はかごめに転生していたのか、それはきっと、もう一度犬夜叉に出会って今度こそ信じあえる仲になりたいという、桔梗の願い。そして桔梗が中で眠っていた頃のかごめは犬夜叉の封印の矢を消し、彼との旅を始めます。父の形見・鉄砕牙を抜き、刀とともに成長していく彼を支え、その心を癒し、よき友人・理解者として一緒にいるうちに互いにかけがえのない存在になっていきます。

 かごめがいなかったら、桔梗の魂が紆余曲折があるにせよこうして救われることはなかったでしょう。かごめがいなかったら、犬夜叉もまた心を閉ざしたまま永遠に封印されていたに違いないのです。桔梗も犬夜叉も、かごめが生まれて成長し、この時代にやってくるのを待っていたのです。裏陶の身勝手な都合で引き裂かれた桔梗の魂が不可思議な三角関係を作り上げはしたけれど、長い時間を経て桔梗は自分とは違うかごめの力を認め、自分の役割を託してくれました。完全に和解できたわけではなくても、自分のために泣いてくれた犬夜叉とかごめの涙は、桔梗の犬夜叉への最期の言葉として残ります。『もう悲しむな。ずっと守っている』…私にはこの作品を本当に愛する読者全員への言葉にも聞こえます。

 桔梗を失った犬夜叉は自責の念で凹み気味。しかしそんな彼に鋼牙が彼なりのやり方で気合いを入れる。落ち込んでる場合か、てめえだけが辛いと思うなという痛烈な叱咤が、かごめから身を引くという行動で犬夜叉に示される。犬かごが背負うものは一段と大きくなったけど、二人が桔梗にできる償いは琥珀を守り、奈落を滅すること。今はそれだけを願い、応援します!
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