ジェロニモ・ネットワーク  
ホーム読み物小学生中学生高校生予備校大検外国人大学案内就職活動
 ジェロニモネットワーク パンダ村 パンダテンプル 目次 神経質
 

 

神経質


 子どもの頃、神経性の下痢に悩まされた時期がありました。

 神経質で、不眠症にもなりました。いや、不眠症というより夜眠れない病です。

 小学校4年生の頃、父親の仕事の関係で転校しました。そこでガラリと生活が変わってしまいました。

 もともと友達を作るのは大好きだったのもあり、難無くその環境に入れたかに見えましたが、心の中ではかなりプレッシャーがあったんだと思います。夜、なかなか寝つけないという毎日でした。

 中学校へ上がると、運動部に入ったこともあり、今までと状況が一変しました。夜寝つけなくて不安に襲われていた毎日から、激しく眠い毎日、夜になった、やっと寝られる、という毎日に変わったのです。

 ところが、その神経質なプレッシャーが神経性の下痢というかたちで現われました。

 もともと詰襟のガクラン制服でビシッと管理され、窮屈な規則の中で縛られるのが大嫌いで、そんな厳かな環境から逃げ出したいという心境、そして、逃げたくても逃げる度胸もなかった小心、これらが下痢というかたちで出て来たと思います。

 今でこそこんな風に冷静に見られますが、そのころは、一生このままなんじゃないか、とか思ってしまいました。

 誰にも打ち明けられず、1人で苦しんでいました。

 親に?

 言えるわけないです。

 小学生の不眠症の時、必死に『眠れない』と訴えても、『眠れないなら起きていろ』と迷惑がるだけでした。

 ですので、中学生になってからの下痢なんか相談できるわけもないでしょう。必死に隠しました。

 高校になってからは?

 中学生のころよりはましになりました。ただ、相変わらず縛られるのが大嫌いで、縛られるとすぐに下痢が始まりました。ただ、それは本当に始めの頃だけ。すぐに高校が、いや、友達が楽しくなり、変わっていきました。

 

 しかし、どうしてもここ一番、という時は逃げに入ってしまいます。プレッシャーに負けてしまいます。

 私らの大学入試では、センター試験と呼ばずに共通一次と呼んでいましたが、その共通一次試験当日、やはり、プレッシャーに負けてしまいました。試験中、ちょっとした隙に下痢に襲われました。

 模擬試験や他の大学の試験では、試験開始まで下痢の不安でトイレと教室を行ったり来たりしますが、試験が始まり、問題に集中すると収まりました。集中することで気が紛らわされるのです。

 ところが、前述、共通一次試験の時は下痢に襲われたのです。

 これは神経症の一種で、仮病でもなんでもありません。

 どんなに努力しても、ここ一番というときのプレッシャーに負けてしまう、自然のあたりまえの反応です。

 内科や外科に行っても『原因不明』と言われるだけです。

 かかる病院は『心療内科』です。

 

 人は、このプレッシャーから逃れるために必死に努力を積み重ねます。そして、そのプレッシャーを跳ね返します。けど、それができない『性格』もこの世の中にはあるのです。その『性格』を変えてくれるのは決して薬や努力だけではないのです。

 確か英語の試験でした。結局、試験官に言い、トイレへ行き、その後、保健室へ連れて行かれました。保健室の先生も、解剖学的な医療知識はあっても心療的な医療知識は必要ない時代でしたので、私みたいな人間に対し励ますことしかしませんでした。その励ましが逆にプレッシャーに追い込むことも何も知らずに・・・。

 子どもの頃信じていた常識が、どんどん覆されています。朝練やら外練やらでしごかれた中学時代、熱くて汗をかいても水を飲んではいけないと教えられました。理由は『バテるから』というものです。そう言いながら『熱中症』という死と隣り合わせの練習を強要したのです。

 励ませば励ますほど、相手を追い込んで行く・・・。

 『バケツの水がこぼれたら、また、汲みゃあいいじゃねぇか!』

 こんな発想が許されない時代でした。

 

 共通一次試験を受けた会場は、東京学芸大学でした。

 試験が終わり、泣きながら家路(新聞専売所)につきました。

 その後、成人してから自分で知りました。自分がどんな人間だったのか自分で学びました。ひたすら心理学、精神医学関係の本を読み、その度に

 『これは、俺だ!!』

 と泣き叫び続けました。

 身長が182.0cmもあり、こんな話をすると『信じられない』みたいなことを言われますが、そんなことはありません。でかいから気が強いとか気が弱いとかそんな決まりなどないのです。むしろ、気が弱いからつっぱったりはねっかえったりするのです。

 

 誰だって、こわいんだよ!!

 

 自分で学び、克服しました。知っている人間にちょっと話すだけで解決するようなことを、遠回りして、自分で知ったのです。

 その後、何にでも挑戦しました。

 中国語2級の検定試験を受けた時など、むしろ、緊張が快楽に変わり、武者震いがしました。

 1級小型船舶免許の試験の時など、実技試験中、『いやぁ、良い天気ですねぇ〜。』とか言ってしまい試験官に注意されてしまいました。

 そこにプレッシャーなどありませんでした。

 

 十数年後…。

 かつて下痢で退席し共通一次を断念し、涙を流しながら家路についた東京学芸大学のキャンパスを歩いていました。

 …その大学入学資格検定試験(現・高認)の受験会場を歩いていました。

 TOKIOの城○さん、そして、大○龍門氏と共に。

 

2005年7月6日

 

 

スドンケン・シュタイン

 

 

 


私の物語り

 

 
 
 
Copyright(C) 2001-2012 by Toru Suto All rights Reserved.