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私の物語り


 誰にでもあることかもしてませんが、私は19のとき、自殺を考えたことがありました。

 本気でクビをくくろうと思い、ロープを探したことがありました。けど、運良くクビを括れるようなロープが無く、泣き崩れました。そして、何を思ったのか、音楽を聴こうと考えました。

 その時、聞いた曲はラヴェルの『ボレロ』でした。

 あのテンポ、メロディーを聞いていくうちに、ふと中学時代片想いだった女の子のことを思い出しました。彼女の笑顔…。そして、1度だけ自転車で2人乗りした時のことを思い出しました。

 そして、もう1度だけでも会いたい…、そう考えました。

 

 人は死のうと思うまで追い詰められた時、周りのもの全てが陰鬱で、マイナスに感じられてしまうのです。否定的な結論、考えばかりが次々に思い浮かぶものなのです。無責任な人間が『プラス思考で行こう!』なんて言いますが、それができれば死のうなんて考えないものです。この世の全てがマイナスに見えてしまい、そこから逃れられなくなるのです。全て灰色に見える世界をのたうちまわるのです。

 全てが灰色にうつる世界の中で、ふと思い浮かんだ彼女の顔…。

 別に恋人にしたい、なんて考えませんでした。

 ただ、1度でいいから、もう1度だけ会いたい。

 死ぬのなんていつでもできるんだから、とりあえず、彼女に会ってから死のう。そう考えてその場では自殺を思いとどまりました。

 しかし、彼女に会いたくても電話すらかけられません。そんな度胸もありませんし、電話番号もわかりません。ささやかな夢さえ叶えられませんでした。

 けど、マイナスが全てを支配していたときからは脱出できました。そして、考えました。

 『死ぬことなんていつでもできるんだ』と。

 そうこうしているうち、マイナスに片足を突っ込んだ状態で月日が経ちました。その間、様々な人と出会いました。もちろん自殺をしようとしたことなど口にしませんでした。ただ、気がついたことがあります。めぐり合う人という人たちは、結局、世間で『よい』と思われていることを言っているにすぎないと。その人たちの価値観ってものは、ただ、誰かがつくったもので、それを受け入れているだけだ、と。

 可能性や選択肢は無限大にあるのに、なぜ私はその中の1つしか選べなかったのか、考えてしまいました。私自身、誰かが作った世間で『よい』と言われている基準に支配されていたのです。自殺を志願したくらいでしたから、新しい希望などありませんでした。けど、気がついたのです。誰かに擦り込まれたり、たまたま耳にしたり、ただそれだけのくだらない価値観を信じていたのが馬鹿だったと。

 周りの目を気にしすぎ、『人並み』という言葉に支配されてしまいます。そして、その支配している価値観から外れるような結果になってしまうと、それを失敗と思いこみ、自分を責めてしまいます。全てがお仕舞いだと思ってしまいます。世の中には『そういう性格の人間』がいるのです。私はその1人でした。

 固定された価値観に支配され、それに外れることは決して悪いことではないのです。親がどうこう言おうが、先生がどうこういおうが、そんなことは全て、彼らが考えたものではありません。彼らも知らず知らずに固定された価値観に支配され、それを押し付けようとしているのに過ぎないのです。

 よく『学歴なんて関係ない』という人がいます。

 けど、そう口にする人間ほど、思いきり学歴にこだわるのです。

 本当に『関係ない』と思っている人間はそんなことをいちいち口にしません。

 中卒?

 だから?

 自分が何かをしようと決意し、その時に必要なら初めて学歴を手に入れればいいのです。

 どんな馬鹿でも大学なんて行ける時代です。明治維新後の超エリートが行くような時代ではありません。中卒なら高認(旧大検)を受ければいいのです。

 難しい?

 そんなことありません。やり方を間違えなければ誰だって合格できます。暴走族だって大学へ行けます。必要なら学歴を手に入れればいい。ただそれだけのことです。

 自殺を救ってくれた彼女とは、結局、1度も会いませんでした。けど、会ってから死のうと考えているうちに、親友が離婚しました。奴も絶望に落ちました。そして、再婚し、日本を離れました。再婚相手は国際結婚。

 そいつの家に行こうと言い出した友人たちと何度か彼の家を訪ねました。『類は友を呼ぶ』で私の周りにはこんな愛すべきクソ野郎ばかりいます。そいつらも、既成の価値観なんぞ屁とも思っていません。『社会不適任者』という言葉があるそうですが、それも全て誰かが作ったくだらない基準です。だから、そんな基準に囚われず、彼らと共に夢を見ます。すると命が惜しくなります。

 

 ちょっとした縁で参加した某テレビ企画でギャラをもらい、まとまった金が入りました。とりあえず、この金を使うまで死ねないと思いました。何に使うか考えながら海を眺めていると、クルーザーが走っていました。それを見て『船舶免許を取ろう』と考えました。どうせとるならと1級をとりました。星を読んで自分の位置を確認するレベルの試験で、これを手に入れると世界中どこへでも船で行けるようになります。そして、免許を取りました。免許をとると次の夢が出てきます。そう。日本を後にしたダチのところまで船で行こう。

 人間、誰でも最後には死んでしまうのだから、その時まで、精一杯、夢を追いかけよう。夢があるから命が惜しくなる、夢があるから生きられる。普通なら子どもがいて、子どもに夢を押しつけて苦しめるような年齢ですが、相手に恵まれず、苦しめることができません。だから、自分で夢を果たそうと考えています。

 どんなに生ける屍の人間でも、一度、夢を持つと、その命が惜しくなります。

 

 閉塞された社会?

 夢の無い日本?

 とんでもない!

 それが固定された誤った価値観であることは、前述の如しです。

 絶望が支配したら、とりあえず、何も考えないようにしましょう。

 何も考えず生活していても、ある日、ふと自分の隣に誰かが座っていることに気がつきます。

 それは、『希望』という名の誰かです。

 

 

スドンケン・シュタイン

 

 

 


心が全てのはじまり

 

 
 
 
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