ダイスケ の 日だまり日記

(11)

2003年 1月5日〜1月31日

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1月5日(日)  「猫賀新年!」

日記をサボっているうちに年が明け、あっという間にもう5日。サラリーマンのおじさん達はあしたからまた憂鬱な通勤地獄が始まるんだね。定年を迎えたオドはその心配がないのでいまだに正月気分でいるみたい。もっともボクだって暮れも正月も関係ないけどね。

今年はひつじ年なんだって。ひつじなんて地味な動物が干支にあるのに猫が入ってないのはおかしいよね。猫はネズミにだまされてお釈迦様の決めた招集日にまにあわなかったんだけど、考えてみると干支に入ってなくてもべつにどうでもいいや。だって干支を気にするのは年末に年賀状を書くときと年始の数日間だけだもの。あとは今年がなに年なのかみんな忘れているもんね。

Dorian家がいちばん賑やかだったのは大晦日の31日だった。遠くで一人暮らしをしているオネエサンも帰ってきて、久しぶりに家族5人と1匹(ボクのことだよ。あ、犬のエスもいた)顔をそろえての年越しとなったんだ。特大の特上寿司15分でみんなのお腹におさまっちゃった。年越しそばとビールで除夜の鐘をきいて「ハッピーニューイヤー!」

ぼくもタマゴとエビのシッポをもらって食べてから、初パトロールに出かけた。気のせいか身の引き締まる思いだったよ。

 

1月6日(月)  「初風呂」

きょうは最悪の日だった。お正月そうそうひどい目にあったよ。

夜、いつものように裏の駐車場をパトロールしていたらいきなり野良のフーとはち合わせしたんだ。フーはこの辺のボスなのであまり関わりたくないんだけど、暗やみで顔を見合わせてしまってはもう後には引けない。しばらく鼻を突けてうなり合っていたけどボクに勝ち目があるはずないよね。情けないけど一目散で家まで逃げてきたんだ。そしたら足を踏み外して庭の池にずぼんと落っこっちゃった・・・こういうのを「ドジを踏む」というんだね。

濡れねずみで家に入ると、ちょうどDorianさんがお風呂から出てきたところで、ボクはDorianさんに捕まってそのままお風呂に入れられちゃったんだ。何年ぶりのお風呂だろう・・・だいたい短毛の猫は自分でなめてきれいにするのでお風呂に入る必要はないんだよね。でも久しぶりのお風呂はけっこう気持ちがよかったよ。熱いシャワーをかけてもらったときなんか思わず居眠りしそうになっちゃった。

でもその後がたいへんだ。ドライヤーってやつをかけられたけど熱いし音がうるさいし、ギャーといって逃げ出した。でも濡れた身体は冷たくなるしくしゃみは出るし、仕方がないのでこれからコタツに入って、体を舐めて乾かすことにするよ。

まったくひどい一日だった。

 

1月8日(水)  「交通事故」

Dorianさんちには車椅子に乗ったお兄さんがいるんだけど、冬休みで家に戻っていたお兄さんがまた施設に帰っていった。

正直言ってボクはホッとしたよ。狭い家の中であの大きなタイヤがぐるぐる動いているんだもの、危なくておちおち寝てられないよ。ボクのテリトリーを荒らされただけじゃなく、家の中で交通事故にあう危険もあるんだから。台所でご飯を食べていたらシッポを思いきり踏んづけられた事もある。あの時はほんとうにびっくりしたよ。

交通事故といえば、そのお兄さんも交通事故だったんだって。ボクも表の道路を横切るときは充分注意しなくちゃ。テレビで車椅子に乗った猫を見たことがあったけど、ああいう風にはなりたくないものね。

 

1月9日(木)

トップページをいじってたら日記を書く時間がなくなっちゃった。特に書くこともないけどね。トップページ少しすっきりしたでしょ。 

 

1月10日(金)  「ネズミ騒動」

去年の暮れにお隣の家を壊したら、そこにいたネズミがみんなうちに引っ越してきた。畑でとれたジャガイモ落花生を物置にしまっておいたんだけど、ネズミにみんな食べられちゃったんだ。落花生なんか殻だけ残っていて、殻を剥いて食べたみたい。

古い物置であちこちに穴があいているからネズミが入ってくるんだね。そこでオドが大きな「ゴキブリホイホイ」みたいなネズミ取りシートを買ってきて物置の中に置いてみたんだ。そしたら次の日に大きなネズミが3匹もそのシートに貼り付いていたんだって。ギェー!ボクは怖くてとても近づけなかったよ。

それでもまだまだネズミは出没するので仕方なく、思いきって物置を買い換えたんだ。オドが3日がかりで組み立てて、これで一安心。そしたらきょう物置のまわりを「スチュアート」みたいな大きなネズミが入り口を探してウロウロしているのを目撃!Dorianさんは「ダイの出番だよ」と呼ぶけど、ボクは聞こえないふりしてこそこそと逃げ出した。トホホ・・・(=^^=;

でもあんな大きなネズミははじめて見たよ。ジャガイモ太りのねず公だね。

 

1月11日(土)  「コロ」

夕方帰ってきたらまたまた部屋が騒がしい。物置を造るとき近所の人が手伝ってくれたんだけど、きょうはその人達を招待しての宴会なんだって。まったくいつまでも正月気分が抜けない人間達だ。

誰が来ているのかとそっと部屋を覗いたら、その中の一人が「あ、この猫うちのコロをいじめていた猫だ!」だって。ヤバい、コロのオヤジさんだ!コロはボクと毛並みがよく似ていて、Dorianさんもときどき間違えるくらいなんだけど、性格は大違い。家ではおとなしくしていても外に出ると近所のノラをいじめてばかりいるんだ。平和主義のボクもついにキレてときどきコロを懲らしめてやるんだ。それをオヤジに見られたんだね。

「コロのやつ、家では猫をかぶってるんだよ、ほんとだよおじさん」って言ってみたけどもちろん通じるはずないよね。でもDorianさんは分かってくれたみたい。だからいいんだ、ボク。

 

1月13日(月)  「成人」

きょうは成人の日だって。この辺でもきれいな着物を着たおねえさんがあちこちで見られたよ。やっぱり馬子にも衣装、いつもとちがっておしとやかで女性らしいね。でも晴れ着を着た2人のおねえさんの会話。
 「キャー、ゆっこ、ちょーキレイ〜!もしかしてそれ自前?」
 「自前なわけないじゃん、レンタルだよレンタル、ガハハハ・・・」 
なんだ、ちっとも変わってないや・・・(=--=)

少し前までは「ハタチになったので酒タバコはやめよう」なんて笑い話があったけど、酒タバコをやめようと決心するなんてまだ偉いとおもうよ。近ごろはそんな殊勝なことを言う者さえいなくなったもんね。しかも親のお金で遊び歩いて学校出ても就職もせずプータローやってる若者が街に溢れているんだって。まったく日本の将来は真っ暗だね。

ボクたち猫は、最初の1年で人間の20歳ぐらいに成長するんだ。だから生後10ヶ月ぐらいで発情期がきて子供を産むこともできる。でも猫はいくつになっても働かないし人間を親だと思って甘えてご飯をもらって生きていく。子どもを作ることだけできてあとは親に依存して生きている・・・あれ?今の若者と同じじゃない。そうか、今どきの若者は猫化しているんだな。

 

1月18日(土)  「死に場所」

チビが姿を消して7ヶ月、Dorianさんは最近やっとあきらめてチビのことを思い出すこともなくなったみたいだけど、チビはどうして弱った体で家出をしたのだろう。

ボクにはチビの気持ちがよくわかるんだ。つまり死を予感したチビは野生に戻ったんだね。猫は本来一人で生きて一人で死ぬものなんだよ。弱った体で人間の臭いをかぎ、人間の声を聞きたくないんだ。誇り高い野生動物の死にふさわしい場所を探して、最後の力をふりしぼって家出をする。だから無理に探し出され明るい場所に連れ戻されることは猫にとって、とても屈辱的なことなんだ。死ぬときぐらい静かに死なせてほしいもんだよ。

外に自由に出られる猫なら人目に付かずに死ぬこともできるけど、室内飼いの猫はそうもいかないよね。だから押し入れの奥とかタンスの中とか、暗くて静かな場所に隠れようとする。入る場所がないと洗濯機の中に隠れようとする猫もいるらしいよ。それほど一人で死ぬことを望んでいるんだ。飼い猫の最期を看取りたいという気持ちは人間のエゴで、猫にとってはありがた迷惑なだけなのさ。

なんだか暗い話になっちゃったけど、人間はいつか来る猫との別れを思って悲嘆にくれるらしいから、猫にとって「」とはどんなものなのかをはっきりさせておこうと思うんだ。あしたは猫の死生観について書いてみよう。

 

1月19日(日)  「死の概念」

きのう、チビは死を予感して姿を消したと書いたけれど、それはちょっと違うんだな。ボクたち猫は「死」の概念がないから、いくら苦しくても死を予測することはできない。痛いとか苦しいという感覚は目に見えない敵で、得体の知れない敵が襲ってきて自分を苦しめていると思うんだ。だから敵から逃げるために狭い場所に隠れる。じっと隠れて敵が通り過ぎるのを静かに待っているんだ。そのうちに痛みや苦しみが遠のき敵はいなくなる・・・それが猫にとっての「死」なんだ。

だから、残念ながら死の瞬間に、お世話になった飼い主に「今まで可愛がってくれてありがとう、このご恩はあの世に行っても忘れません」なんて言う猫は絶対にいないんだね。

自分に何が起こっているかわからないうちに死んでいく猫を可哀想だと思うのは見当違いだよ。ボクに言わせれば、長い人生を死の恐怖と共に生きている人間のほうがよっぽど気の毒だと思うよ。

 

1月20日(月)  「散歩」

このあいだ、猫にヒモをつけて散歩させているおばさんに出会った。おばさんは「○○ちゃん、あっちに行ってみようね」「もう帰るの?もう少し歩きましょう」なんてしきりに猫に話しかけているんだ。○○ちゃんはうんざりした顔で、それでもしぶしぶおばさんについて行った。可哀想なやつだ。

だいたいネコは繋がれることをひどく嫌う。ネコは常に自分の意志で行動し、自由に生きているんだ。誰かと連れだって歩く習慣もないし、協力して獲物を捕ることもない。繋がれて人間といっしょに歩くなんて屈辱の極みだね。

もっとも、ボクのネット友達のクッキーちゃんは一人では外に出られなくて、いつも飼い主のお母さんと散歩しているらしい。でもそれはクッキーちゃんが自分の意志でお母さんを連れだしているんだから、あくまでも猫が主導権を握っていることになるんだね。そういうときはクッキーちゃんはお母さん猫で、飼い主のお母さんは子猫ってことになる。

なんだかややこしくてわけがわからないけど、そういうことなんだよ。

 

1月21日(火)  「三毛のオス」

チビは三毛猫でもちろんメスだった。三毛猫はほとんどがメスで、オスが生まれる確率は200分の1ぐらいなんだって。三毛というのは「赤トラ」と「黒トラ」がいっしょになった毛並みで、色の遺伝子が現れるX染色体が2本あるのはメスだけなので、オスはどちらかの色きり出ないんだね。こう書いてもじつはボクにもよくわからないんだけどね。

でもたまに三毛猫のオスは生まれるらしい。ところが三毛のオスは厳密にはオスではないんだって。オスでもなくメスでもない、人間でいうと「半陰陽(インターセックス)」ってわけだね。オス化したメスみたいなもので生殖能力もない。メス猫に興味も示さないし、オス猫とケンカすることもない。オシッコも座ってするんだって。

こう考えるとオスの三毛猫は実に気の毒な存在だね。でも数が少なく珍しいというだけで、人間はそんな三毛猫のオスをとても大切にするんだって。オスの三毛猫は航海の安全を守るといわれていて、船乗りの間では高い値段で取り引きされていたらしい。長い航海でささくれ立っている船乗り達の気持ちを、おとなしいオスのミケ猫が癒していたのかもしれないね。

半陰陽についてはこちらを。

 

1月22日(水)  「虫歯」

Dorianさんは「ダイスケは歯を磨かないのによく虫歯にならないね」と言う。ボクはあの歯磨きのメンソールの臭いが大嫌いだ。人間はよくあんな変な臭いがするものを口に入れることができるなぁ。

猫は絶対に虫歯にならない。偉い学者の先生がなんとか猫の歯に虫歯を作ろうとおもっていろいろやってみたけど、どうしてもできなかったんだって。だいたい猫は甘いものを食べないものね。なかにはチョコレートが大好物なんて変な猫もいるかもしれないけれど、毎日チョコレートを食べ続けて歯を磨かなくても、猫は虫歯にならないんだ。なぜかというと、猫の唾液は強いアルカリ性で、砂糖などの酸を中和しちゃうんだね。それに猫の歯はひどいすきっ歯で先が尖っているので、歯の間に食べ物が挟まらないんだ。ツマヨウジでシーシーやる必要がないんだね。

そのかわり、猫の歯ぐきの近くには「吸収病巣」というものができやすく、歯石がたまるとすぐに歯周病になるんだって。そういえば晩年のチビは歯肉炎になってひどく苦しんでいたな。ギェー!とかカーッ!とかものすごい、断末魔のような叫びを上げていたっけ。ずいぶん痛かったんだろうなぁ。

歯石がたまらないように今から歯ぐきのお手入れをしなくちゃ。

 

1月24日(金)  「ネコ嫌い」

Dorianさんの親戚にネコが苦手なおばさんがいる。なんでも幼児体験で恐い思いをしたらしいんだけど、お盆やお正月に親戚が集まったときなど、ボクはこのおばさんのひざに乗って指しゃぶりをするんだ。おばさんは固まってしまうけどね。

ボクはべつに意地悪をしてわざわざネコ嫌いのおばさんの膝に乗るわけじゃないんだ。これにはちゃんとした理由があるんだよ。

まず、部屋の入り口で中を見渡すとたくさんの人間の目がボクを見つめる。みんな猫が好きで喜んで見ているらしいんだけど、ボクにはそうは思えない、みんなの目が恐いんだね。それに大きな声で「ダイ、ここへおいで!」などと声をかけるけど、その声も大きすぎて耳障りだ。どうしよう・・・と迷っていると一人だけボクから視線を外している人をみつける。よし、あのおばさんならボクをそっと膝に乗せていてくれるだろう・・・というわけで、ボクはネコ嫌いのおばさんの膝に乗るってわけ。

もしネコに嫌われたかったら、猫の目をじっと見つめて手を振って、「こっちへおいで!」と大きな声で呼ぶことだね。そうすればきっと猫はコソコソと逃げ出すよ。猫のボクが言ってるんだからまちがいないよ。

 

1月25日(土)  「猫恐(ねこおじ)の大夫」 

猫が苦手な人は昔からいたらしいね。「今昔物語(1077年ごろ)」には「猫恐(ねこおじ)の大夫」という話が載っているんだって。

藤原清廉(きよかど)という人は猫が大嫌いで、猫を見るとどんな大事な用事もほっぽり出して逃げ出すほどの猫嫌いで、ネズミの生まれ変わりではないかと噂されるほどだったの。ところがこの清廉さん、かなりズルい人で年貢をいっこうに納めようとしなかった。業を煮やした国司が清廉さんを呼びつけ、狭い部屋に閉じ込めて5匹の猫をその部屋に入れたんだ。猫は震えている清廉さんのヒザに乗ったり肩によじ登ったり、最高のもてなしをしたので、清廉さんはとうとう観念して年貢を納めたんだって。

清廉さんは猫が恐くて部屋のすみでじっとしていたので、猫は「この人なら害を加えることはないだろう」と安心してじゃれついたんだろうね。「猫責めの刑」ってわけだ。

 

1月27日(月)  「バウリンガル」

最近犬の鳴き声を翻訳する器械が発売されたらしいね。たまごっちみたいな器械を犬の首につけると、犬の感情がその器械に文字になって表示されるんだって。ま、おもちゃみたいなものだからべつにどうってこともないけど、そんなものを首に付けられて勝手に鳴き声を判断される犬のほうは、たまったもんじゃないよね。

だいたいそんな器械に頼らなければペットの気持ちがわからないなんて、飼い主失格だよ。一番驚いたのが、留守にしたときの犬に何があったのかちゃんと記録されるって機能だ。それじゃあ隠しマイクを付けられたみたいじゃない。もし「やれやれ、うるさい飼い主が出かけてせいせいした」「どれ、隣の可愛いシロにちょっかい出してみるか」なんて出たらどうするんだ。プライバシーの侵害だよ。

幸いなことにまだネコの翻訳機は出てないようだけど、そのうち出てくるんだろうね、「ニャオリンガル」なんてやつが。

 

1月31日(金)  「反省」

27日の日記を読んだオドが「バウリンガルはバイリンガルの間違いじゃないか」なんて言うんだ。

おいおい・・・オドは本のムシで昔のことは何でも知っているけど、流行り物には疎いんだよね。でもボクはその時深く反省したね。ボクが知っていることはみんなが知っているものと思って書いているけど、そうとばかりは言えないってことがわかったから。

で、「バウリンガル」が何かというと、ゲームメーカーのタカラが去年の2月に発売した、犬の鳴き声を翻訳する器械で、犯罪捜査にも活躍している声の専門家が音声解析をして、犬の感情を細かく分析、表示させている器械なんだ。定価は最新型で14,500円。オモチャとしたら安くないよね。

もう1月も終わり。ボクの恋の季節がはじまるよ。

つづく