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横川 豊野          明治16年(1883)12月15日〜昭和38年(1963)11月5日
 大正〜昭和期の社会事業家。

 清水福治・千代野の2女として、山形県鶴岡町に生まれた。

 15歳のとき生家の商家が破産したために上京した。苦学してに 明治女学校に進み、そこで、キリスト教に出会った。
 明治女学校は木村熊二・鐙子夫妻が創立したキリスト教主義の女学校で、当時の女子教育界ではレベルの高い教育をしていた。が、やがて巖本善治・かし子夫妻に引き継がれた。
 
 豊野は、明治35年(1902)、明治女学校を卒業した。その後入学した同39年(1906)女子英学塾(津田塾大学)本科3年を残念ながら中退した。

 胸を患い療養中に高知県佐川の横川啓太郎を知り、結婚して佐川に住む。しかし、啓太郎は芸者を囲い家庭を顧みることが無かった。しかも、長男・源太郎が11歳のとき夫・啓太郎は、子どもと豊野を捨てて家を出た。このため資産を整理して子どもの養育に当たる一方、キリスト教徒の立場から社会事業に生涯をささげる決意をした。

 源太郎の東京大学入学を機に上京して、東京で保護司や寮母をなどをしたが、戦争が激しくなって、高知へ疎開した。そこで、終戦を迎えた。

 大正9年(1920)田岡寿子と日本基督教婦人矯風会高知支部を創立した。続けて翌10年には学生ホームを建設した。昭和13年(1938)東京保護観察所保護司、東京矯風会本部理事になった。

同29年高知県文化賞、34年藍綬褒章を受けた。

 79歳で死没。
出 典 『女性人名』 『高知県人名』
http://www.sole-kochi.or.jp/jyoho/play/place1/bbe12s3.htm
http://www.city.kodaira.tokyo.jp/watch/tsuda.html
http://www2.odn.ne.jp/sugamo-100sen/rekisi-12.htm