作家。
露伴は受洗をしなかったが、父の勧めで聖書を読み、教会に通った。時には植村正久とキリスト教について大議論を交わす。後妻として迎えた児玉八代はあまり家庭的でなかったらしく、日記(大正2年4月24日)に妻と媒酌人船尾栄太郎に対する次のような呟きが出ている。
妻したたかに晏く起き出で、身じまひして外出す。基督教婦人会へ臨むは悪からねど、夜に入りて猶かへらず、殆ど予を究せしむ。頃日来差逼れて文債を償ふに忙しきまま、小婢まかせになし置く、家の内荒涼さ、いふばかりなし。(略)船尾栄太郎来り、青年雑誌の為に文を求む。幸のをりからなれば言はんと欲すること多きも猶忍びて言はず。此の人善意をもて媒酌しくれたるなれど、眼鈍くして人を観ること徹せず、妻をあやまり予をあやまるい近し。(後略)
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