金森 通倫         1859−1945


<やりかけ>
明治5年(1872)熊本洋学校の第二期生として入学。ジェーンズ,L.L.の薫陶を受け、(1876)の花岡山奉教結盟に参加。同年秋、同志社に入学し、新島襄から受洗。(1879)6月予科を終えてどん同活動を行い、翌年10月に岡山教会の創立時に牧師としての按手礼を受けて初代牧師に就任。(1886)には同志社に戻り、新島襄の大学設立の夢に募金活動などで大いに貢献。

 やがて新神学の信仰を公表して日本組合基督教会を脱会、自由党に入党、三井鉱山その他の実業界で活躍。全国的に貯蓄遊説などもしたが、妻・小寿の没後は回心して組合教会に復帰し、山室軍平の救世軍に入隊したり、中田重治の東洋宣教会日本ホーリネス教会に入会、百万救霊を展開するなど積極的に活動をした。

 海外にも出向いたが、結局は救世軍もホーリネス教会からも脱会して、(1933)湘南の嶺山に隠居して洞窟生活を送り、<今仙人>と称された生活後、福島県郡山で(1945)3月4日に永眠。
出 典