車引 大顔合わせ 2019.1.12 W264

歌舞伎座さよなら公演初春大歌舞伎、昼の部を8日に、夜の部を10日に見てきました。

主な配役
松王丸 幸四郎
梅王丸 吉右衛門
桜丸 芝翫
杉王丸 錦之助
時平 富十郎

「菅原伝授手習鑑」より「車引」(くるまびき)のあらすじ 
これまで
醍醐天皇のころ、河内の国佐太村で菅丞相の別荘番をつとめる四郎九郎のところに、天下泰平の吉相といわれる三つ子の男の子が誕生する。管丞相が名付け親となった三つ子は成長して、長男の梅王丸は右大臣菅丞相、次男の松王丸は左大臣藤原時平、そして三男の桜丸は帝の弟・斎世親王の舎人となって仕える。

時平は帝の寵愛を受けている菅丞相をねたみ、なんとか失脚させようと画策。斎世親王と菅丞相の養女・刈屋姫が恋仲と知った時平は「菅丞相が帝を廃し、斎世親王を帝位につけようとしている」と帝に讒言する。そのため菅丞相は謀反の汚名をきせられ、大宰府に流される。

この時刈屋姫と斎世親王の仲を取り持ったのが三つ子の一人・桜丸だったため、敵味方に分かれた主人に仕える兄弟の仲は険悪になる。―

ここは吉田神社の社頭。梅王丸と桜丸が行きあって、お互いの身の不運を嘆きあう。ことに桜丸は自分が主人斎世親王と苅屋姫の密会を手引きしたことから、管丞相が流罪の憂き目をみることになったことに責任を感じ、切腹しようと考えているが、父・四郎九郎の70歳の賀の祝いがもうすぐなので、それを祝うまでは待つつもりだと話す。

梅王丸もまた行方のしれない管丞相の御台所を探して筑紫まで行きたいと思うが、賀の祝が済まないうちは身動きがとれないと嘆く。

そこへ時平が吉田神社に参拝するという前触れがある。梅王と桜丸の兄弟は主人の恨みをはらそうと駈けだす。

時平が乗る牛車の前に立ちふさがる二人の前に、次男の松王が現れ二人を阻む。三人が争っていると牛車の中から時平が姿を見せる。

梅王丸と桜丸は時平に討ちかかろうとするが、時平の威圧感の前に身動きできなくなる。松王丸は二人を成敗しようとするが、時平は神社の境内で血を流すことはならないと言い、松王丸の忠義に免じて二人を許す。

三人の兄弟は遺恨を残しながらも、父親の賀の祝の日に再会することを約束するのだった。

今月は、それぞれが得意な演目を出すのに大立者が共演する大顔合わせが見ものでした。中でもこの「車引」では時平が富十郎、梅王丸が吉右衛門、松王丸が幸四郎、それに桜丸を芝翫が初役で演じた大変に見ごたえがある舞台でした。

特に時平の富十郎は普通この役が取る公家荒れという藍色の隈を取らず、目の下から眉尻にかけて藍色を使っただけの白塗りでしたが、立ち居振る舞いの威厳と言い、声の威力といいとても立派で、身動きできなくなるのも不思議でないくらいのパワーが感じられ、時平があんなに格好よく見えたのは初めてでした。

桜丸の芝翫はちょっと口の端を下げて描きすぎたようで、意地の悪そうな顔に見えてしまい声も小さめでしたが、さすがにその存在は場を引き締めていました。梅王丸の吉右衛門は、声が若干上ずっていてその分力強さという点で物足りないと思いましたが、桜丸と二人で嘆きあうところでは、素朴な若々しさを感じさせました。

梅王は足を踏みならすのにも、遠慮などいらないものだと思いますが、吉右衛門は若干手加減しているように見え、荒事の梅王はやはり大変なのだと思いました。

幸四郎の松王丸は、いつもと変わらない声でしたが、意外にあっさりした台詞廻しが朗々と聞こえ全体の中でバランスを取るのが上手い人だなと思いました。錦之助のハンサムな杉王丸も加わって、とても面白く感じられた「車引」でした。

夜の部の最初は舞踊「春の寿」。おそらく雀右衛門のために用意された思われる一幕でしたが、残念なことに雀右衛門は初日から休演で、代役は魁春でした。

三幕目は勘三郎の「京鹿子娘道成寺」。勘三郎が花道を出てくると「可愛い!」という声があちこちから聞こえ、おぼこ娘という感じの花子でした。身体を惜しまずに大きく踊っているという印象で、あきさせない見事な道成寺でした。

今回は花子が鐘に入ってから、鱗四天の捕り手がずらっと花道にでてきて、「とう」づくしの台詞で笑わせ、最後に大館左馬五郎となって大竹をかかえ筋熊をとった團十郎の押し戻しが登場。舞台の華やかさが頂点に達したという感がありました。團十郎の押し戻しは、台詞も小気味よくパワーに満ち溢れていて、江戸時代の人がどうして團十郎を見たがったのかがわかるような気がしました。

夜の部の最後は染五郎、福助のコンビで「与話情浮名横櫛」。染五郎の与三郎が予想よりはるかに良く、見染めの場の柔らかい初々しさ、難しい羽織落としも流れが自然で上々の出来。けれども落ちた羽織を着せかけられ「わかってるよ!」と言う台詞はあまりにも邪険で、あれでは金五郎がかわいそう。

源氏店になっても姿の美しさから言えば、充分合格点。「しがねぇ恋の情けが仇」からの長台詞もとてもよく研究されていて、良かったと思います。その前の「一分もらってありがとうございましたと礼を言って帰るところもありゃぁまた、百両百貫もらってもけえられねぇ場所もあらあ」の百両百貫が充分に高く張れなかったのだけは惜しいと思いました。

むしりの鬘もよく似合う二枚目で、姿もよく台詞もよく研究されていて間が良く、あとは声さえ充分なら言うことがないと思うくらいの与三郎だと思いました。

お富の福助は出てきたところ仇っぽくて綺麗ですが、お化粧する場面での声がわざとらしくて今一。しかし与三郎に責められて言う「私もあの時長らえる~」からの長台詞は録音に残されている歌右衛門一音たがわずそっくり!とても技巧的な台詞廻しなだけに中途半端に真似ることは不可能と思えるのを、忠実に再現したのにはびっくりもし、感心もしました。

金五郎の錦之助、噺家相生の吉三郎も雰囲気がよく出ていました。和泉屋多左衛門の歌六も大店の番頭らしい貫録がありましたが、蝙蝠安の彌十郎と逆の配役も見てみたかったと思います。

昼の部の最初は「春調娘七種」(はるのしらべむすめななくさ)。静御前が福助、曽我五郎が橋之助、十郎が染五郎。染五郎は与三郎と違って、この「対面」と同じような鬘着付けが全く似合わず、だれよりも顔が小さく見えてしまいとても損をしています。

この踊りは1767年に初演されたもので、曽我物と七種を一緒にした趣向に面白みがあります。静御前の福助はふっくらとした娘ぶりを、五郎の橋之助は思いっきりの良い荒事を見せてくれました。

昼の部の二幕目は、幸四郎の「石切梶原」。石の手水鉢を切るところは吉右衛門型で、後を向いて切っていました。水に映る影を二つ胴に見立てるといわれてますが、それにしてはこの型では父娘は遠いところにいるように思います。高麗屋独特のふるえるような台詞廻しの細かい音遣いを聞いていて、もしかして幸四郎は晩年特に声が震えていたという初代吉右衛門を目標としているのからなのかなとふと思いました。

それで初代の声のふるえについて興味深いエピソードを思い出しました。初代吉右衛門のおかあさんは大変な九代目贔屓だったそうで、初代の教育にあたってもしっかりとした考えを持っていた人だったそうです。

―吉右衛門のお母さんが吉右衛門の芸に対して下した批評で、最も駿烈を極めたものは、お母さんが、吉右衛門の吹き込んだレコードを吉右衛門の見ている前で叩き壊してしまったことである。これも「吉右衛門自伝」に出ていることであるが、吉右衛門がそのレコードをうちでかけていると、そばで聴いていたお母さんが、いきなり蓄音器をとめて、そのレコードを叩き壊し「このいやなふるえ声は何事だ。わたしは聴くのも気持ちが悪い。」と「烈火の如く」に憤ったのだそうである。

まったく吉右衛門の台詞には、ふるえ声が一時つきものになっていた。一面ではそれは役の心持の高潮を表現するのに極めて適切である場合もあったが、しかし一面ではそれがマンネリズムに落ちて適用を誤り、またかと思わせるような場合もしばしばあった。勿論後には吉右衛門もそれが悪い癖であることに気がつき、自分でもやめようと努めていたのであるが、しかし一度マンネリズムに落ちてしまうと、とかく足がそっちの方へ向いて行く惰性がついて、ふるえ声は随分長い間吉右衛門にくっついて廻った。―岩波現代文庫・小宮豊隆著「中村吉右衛門」より

二つ胴の試し切りの場面では、残酷さから目をそらせるように、紅白の梅の花びらがはらはらと、天井から梶原の上に散りかかりました。

ところで青貝師六郎太夫というのは実は三浦大助の息子ということを、筋書きの古井戸氏の文章で初めて知り、このお芝居の外題「三浦大助紅梅靮」とのつながりがやっとわかりました。

六郎太夫はこの後、父大助の身替わりとなって梶原平三に首を切られることになるというドラマティックな展開になるそうで、一度見てみたいものだと思います。六郎太夫の東蔵、梢の魁春、大庭三郎の左團次、俣野の歌昇の面々がお芝居を緊密に盛り上げていました。

昼の部の三幕目は團十郎の弁慶で「勧進帳」。富樫が梅玉、義経が勘三郎。團十郎の弁慶は見るからに弁慶はきっとこんな人だったのだろうなと思わせる存在感。台詞も最後までかすれたりせず、動きもきっぱりしているのを見ても、体調が良さそうだと何より嬉しく感じました。

梅玉の富樫はクールな雰囲気でした。勘三郎の義経を私は初めて見ましたが、品格があり情けも充分に感じられる「この人のためなら・・」と思える御曹司ぶりで、富樫よりもはるかにあっていると思いました。

最後は吉右衛門の「松浦の大鼓」。ちょっとわがままだけれど、可愛げのある殿さまは初代吉右衛門の当たり芸で、秀山十種にも入っているとか。当代はちょっと「あーう―」が多すぎるような気もしましたが、嫌味のない殿さまぶり。いつもながら時代に言って、ぱっと世話にくだけるところなど上手いものだなぁと思いました。

大高源吾の梅玉は松浦家の紋の入った羽織に抵抗を示すところに、赤穂浪士としての気概が充分に出ていました。基角の歌六には酸いも甘いも噛み分けたというふところの大きさが感じられ、お縫の芝雀は清純な美しさの中にほのかな色気がありました。ところで句会でごまをする近習たちは「ごま近」と呼ばれているのだとか、なるほどなぁと面白く思いました。

この日の大向こう

8日昼の部、10日夜の部とも会の方は2人いらしていて、一般の方も数人かけておられました。

「勧進帳」では飛び六方で、「たっぷりねがいます」という声が掛かり、おまけに手拍子になったのは本当にげんなりしました。「たっぷり」なんて言わずもがなですし、手拍子は演技の邪魔になりかねません。

「勧進帳」ではやはり「ついに泣かぬ弁慶も」で「まってました」と声が掛かりました。本当に待っていたのなら良いけれど、習慣で掛けるのだけはやめて欲しいなと思います。

「春調娘七種」では染五郎さんに「染高麗」という声が、掛かっていました。

「車引」の梅王丸と桜丸の出では、笠で顔が見えないのにもかからわず、「播磨屋」「成駒屋」と2~3人が声を掛けていらっしゃいましたが、ここでは二人が顔を隠しているということを考慮して、笠を取る時まで掛けるのをまった方が良いのではないかと思います。

昼の部には熱狂的高麗屋ファンがきていて、三階東二列めにずっと立って声をかけていたのがどこからでもよく見えました。たとえ周りの方にはお断りを入れてあるとしても、不愉快だと口に出して言えない人もいるでしょう。少なくとも席で立って掛けるのはマナー違反、即刻やめるべきだと思います。

「石切梶原」ではこの方がはりきって声を掛けていましたが、間はよく勉強していると思いました。がどんな時でも一番早く掛けるというのは、少々わずらわしく感じられます。高麗屋は感極まった時、ふるえるように細かく高い音を混ぜ込んだ台詞廻しをしますが、それに合わせてジェットコースターの頂からまっさかさまに落ちるような「高麗屋~~」という掛け声。^^;

梶原の花道の引っ込みの見得では、「役者千両、高麗屋」。どうして普通に千両役者じゃいけないんだろうと思いましたが、思わず下を向いてしまったので、こう掛けられて高麗屋がどんな表情をしたのか見損なったのは残念でした。

この方は昼の部をご覧になったあと、夜の部の幕見に並んでいるのを見かけました。実際私が夜の部を見た時も2幕目まで声が聞こえていました。ほとんど連日こられているそうですし、最近はお芝居全部に声をかけられるので、無視できない破壊力を感じてしまいました。

お芝居は皆で楽しむもの、だれか一人のものではないと改めて申し上げたいです。

1月歌舞伎座演目メモ

昼の部
「春調娘七種」―福助、橋之助、染五郎
「石切梶原」―幸四郎、左團次、歌昇、東蔵、魁春、秀調
「勧進帳」―團十郎、梅玉、勘三郎、松江、高麗蔵、友右衛門、桂三、玉太郎
「松浦の大鼓」―吉右衛門、芝雀、歌六、梅玉
夜の部
「春の寿」―魁春、梅玉、福助、友右衛門、高麗蔵、松江、種太郎、廣太郎、種之助、米吉、廣松、隼人
「車引」―幸四郎、吉右衛門、芝翫、錦之助、富十郎
「京鹿子娘道成寺」―勘三郎、團十郎
「与話情浮名横櫛」―染五郎、福助、歌六、彌十郎、

目次 トップページ 掲示板

壁紙:「まさん房」 ライン:「和風素材&歌舞伎It's just so so」