勧進帳 團十郎の家の芸 2002・12・5

11月30日、京都南座の顔見世初日の夜の部を見ました。

「勧進帳」のあらすじ
讒言によって源頼朝から追われる事になった義経主従は奥州に逃れる途中で、安宅の関にさしかかる。詮議が厳しい事を予想した弁慶の提案で義経は強力に身をやつす。安宅の関をまもる富樫は知勇を持って知られた人物。勧進をしているという弁慶たちの言い分を聞いても、はじめは「たとえ本物の山伏でも通す事は出来ない」とつっぱねる。

そこで弁慶一行が「それならば最後の勤め」といって祝詞(のりと)をあげると、もしかして本物の山伏かと思い始めた富樫は、勧進帳を読むように言う。「もとより勧進帳のあらばこそ」で別な巻物をさもそれらしく読み上げる弁慶。(読み上げ)

あまり見事に読み上げたので富樫はすっかり不安を抱き、山伏のことについて弁慶に問いただす。(問答)それにもすらすらと答えるので富樫は一行を本物の山伏と認めて関を通そうとする。その時関所の番卒の一人が「強力が義経に似ている」と進言し、富樫は刀を構えて一行を呼び止める。

義経の家来たちが武力で押し通ろうとするのを弁慶は押しとどめ「不審に思われたのは、お前がその程度の荷物を重そうに持ったからだ」と義経を金剛杖で打ち据える。それを見ていた富樫はハッとこれが本物の義経主従であることに気づき、主人を打ち据えてまで守ろうとする弁慶の必死の気持ちに打たれる。そして自分が責任をとって腹を切る覚悟を固め、一行に通過を許可する。

無事に関を通りすぎたところで、義経は弁慶に「よく気転を利かせて自分を打ち据えて助けてくれた」と心から礼を言う。弁慶はいくら助ける為とはいえ義経を杖で打ち据えたりした事をわび、涙を流す。そこへ富樫が酒を酌み交わそうとやってくる。弁慶は感謝して酒を飲み、延年の舞を踊る。そして一行を先に発たせ、富樫に感謝しつつ後を追う。

今回は弁慶を團十郎、富樫を仁左衛門、義経を菊五郎という当代のベストメンバーで演じるという事で見物の期待も非常に高かったと思いますが、期待にたがわぬ素晴らしい出来でした。

まず仁左衛門の富樫の名乗りは仁左衛門にとっては楽な甲の声、格調があって出だしから舞台がピリッと引き締まります。そこへ登場した義経の菊五郎、花道で「山を見下ろす型」はさすがに綺麗でしたが、「いかに弁慶」の第一声はちょっと不安定でした。このごろ菊五郎は立ち役の方が圧倒的に多くなって今や加役といった感がある女形などをやる時、声がざらざらしてあまり調子良くありません。義経の声も高めなので最初、綺麗に決まらないなと思いました。

家来の面々(四天王)も團蔵、松助、十蔵、右之助で脇を固めいよいよ弁慶、團十郎の登場。どっしりとしていて声に充実感があり、申し分ない出でした。なんといっても朗々と響く呂の声が素晴らしく、團十郎を襲名した時から、いかに修行をつんで今日に至ったかと言う事がよく判リます。弁慶を演じる團十郎からは一種の気が感じられ、一瞬も緩むことなく最後まで続くのには感動しました。

勧進帳読み上げの時、市川宗家の解釈(歌舞伎十八番:十二代團十郎著)によると「富樫は勧進帳を覗き込まないで様子をうかがうだけ」ということですが、仁左衛門は少し上からのぞいていました。、「畏れ多い巻物を地方の一武士が覗いてみたりするはずがない」というのがのぞかないとする理由だそうですが、「義経一行では?」と疑っていれば、ここは人情としてのぞきたくなる所ですね。「いつ義経一行だと確信するか」という点で、富樫の肚というのはなかなか難しいものなのだそうです。

ついで「山伏問答」では弁慶は終始落ち着いて答え、富樫はだんだん熱くなって詰め寄ってきます。ここで、この後の四天王の「詰め寄り」と同じようなるのを避けるためでしょうが、弁慶が裏になったり表になったりするだけで、ほとんど居場所を動かないのはやはり面白みにかけるなと思いました。

弁慶が、疑われた強力姿の義経を打嫡する時わずかに逡巡するのを見て、富樫は真実を悟るのだそうですが、舞台の上でも少し離れている、弁慶と富樫の芝居の両方共見るのはなかなか難しいです。やはり弁慶が逡巡したのは見ましたけど富樫の反応までは気がつかず、残念。

関を通過した一行が富樫と酒を酌み交わすところでは、團十郎のおおらかでユーモアのある芸風が真価を発揮します。延年の舞も申し分なかったのですが、仲間に合図するところはちょっとやり過ぎではないでしょうか。十一代目のビデオを見てもそんなにやっていません。

最後の飛び六方、鋭さとか悲壮感はないのですが、明るくて力強い六方だと思いました。今回の勧進帳、やはり富樫が仁左衛門だったことが面白さをさらに増したと思います。最初の名乗り、そして問答の辺りの仁左衛門は素晴らしかったです。ただ見咎めて刀を構えるところで、コジリが袖に引っかかったのか形が良くなかったのが残念でした。初日にはちょっとした事故がおこりがちです。

大切りに三津五郎振り付けの「馬盗人」が出ました。民話のような味わいの愉快な話で、なんといっても馬が主役です。 この馬、みかけも歌舞伎に出てくる普通の馬とちょっと違って、たてがみが真っ直ぐ立つように分けて縛ってありおもちゃの馬のようです。 音楽にあわせて踊ったり、棒立ちになってみたりと大活躍するのですが、最後に花道に逃げていった馬が七三で、本舞台の人間達の方をキッと振り向いて見得をし、飛び六方!なんばで引っ込んでいくのが傑作です。

その少し前に弁慶が飛び六方で引っ込んだパロディかな?と思った楽しい演出。でも最初からこういう演出なんでしょうね。三津五郎のならず者悪太も面白く、鴈雀の「人の良いお百姓」も何を考えているのか判らないようなところがピッタリ。けれど菊之助のならず者すね三の太い眉毛に青ひげは、顔と声が全然合わず、ひげの濃い男性が女装したような奇妙な感じがしました。もっともご本人は結構楽しんでいたのかもしれませんけれど。

女形というのはいつも肩甲骨をくっつけるようにしていたり、立役より背が高くならないように膝を曲げて調節したり、自分の居場所についても大変神経を使ってストレスも溜まるのだとか。菊之助が「真女形(まおんながた)より兼ねる役者になりたい」と思ったとしても、その気持ちはわからないでもないですが、今ズイーッ!と歌舞伎の世界を見渡しても将来立女形(たておやま)になれそうな人材は五本の指にも足らないでしょう。

菊之助には将来是非とも立派な立女形になって欲しいと思うのは、決して私だけはないと思います。昼の部の「達陀」(だったん)の青衣の女人(しょうえのにょにん)は幻想の女の感じが出ていて美しく、「二人椀久」を見てみたいなと思いました。

この日の大向う
初日ということで大勢声を掛ける方がいました。一人、女の方でかけていらっしゃる方がいました。松嶋屋のファンらしくて勧進帳で仁左衛門の台詞の途中で掛けられましたが、タイミングは良かったようでした。ただやはり声が高く、もう少し低い中性的な声で掛けるようにすれば他の声に違和感なく溶け込むのではと思いました。

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