在宅勤務の隙間時間に読むために小川洋子のエッセイ集を借りてきた。エッセイ集を読むのはこれで5冊目。小説は相変わらず手に取っていない。
小川洋子は日常の小さな出来事に大きな関心を寄せる。そういえば聞こえがいいけれど、小心者で心配性が過ぎるとも言える。本書ではその心配性が妄想にまで発展した文章がたくさん集められている。
そんなことにも気づくか、そんなことまで心配するか、そんなところまで想像するのか。驚くことしきり。
一番驚いたのは、高校の修学旅行で泊まる部屋のリストに入っていなかったという逸話。売れっ子作家がそんなに存在感のない人だったのか。彼女は、その孤独を悲しむどころか、むしろ楽しいという。一人の世界が好きという点で妄想癖は孤独癖と共存する。
余談。孤独と孤立と似て非なるもの。前者は一人で充足している。後者は周囲からも自分自身からも疎外されている。
過剰な想像力である妄想は繊細な気遣いということでもある。とくに本と人への気遣いは細やかで奥ゆかしい。辻邦生・佐保子夫妻について書いた文章は尊敬の念がにじみ出ていて味わい深い。
奥付の著者略歴を見て、小川洋子が姉と同い年であることを知った。『アンネの日記』と『赤毛のアン』を姉も愛読していた。彼女も妄想癖があり、それは病的なほどだった。そして病的な妄想を言葉で表現して解消することはできなかった。
日常の妄想をエッセイに、さらに過剰な妄想は小説に昇華させてしまう作家には、やはり特別な才能があると思わないではいられない。
本書は図書館で単行本を借りた。らせん階段の表紙写真のきれいだったことも書き添えておく。
小川洋子は来年60歳。本作は40代後半に書かれた文章が多い。還暦を迎えてどんな妄想を発揮するのか、エッセイ専門読者としては今から楽しみでならない。
同時に、60歳の姉はどんな人になっていたか、その妄想を私は止められない。