ルノワール——永遠の夏を生きた画家(RENOIR / UN ÉTERNEL ÉTÉ)、Jacqueline Loumaye文、Frédéric Thiry絵、岡田好恵訳、岩崎書店、1997


ルノワールの伝記を読みたくなり、以前アンリ・ルソーの伝記を読んだ同じシリーズを借りてきた。ルノワールの光を求めた旅を子どもたちが追体験する。かつて見た作品と伝記のなかで再会する。

「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」はオルセーで見た。「シャルパンティエ婦人と令嬢たちの肖像」はメトロポリタンで見た「雨傘」はロンドンのナショナル・ギャラリーで、舟遊びの絵は上野の西洋美術館で見たことがある。

最近では晩年を過ごした田園を作品にした「カーニュの風景」を箱根のポーラ美術館で見た。利き腕を負傷し、リューマチを患ってからもなお、それまで以上に明るく幸福感あふれる画風を目指した晩年の様子が、作品とともにたどられる。


これまで美術に興味はあっても、作家の場合ほど画家の伝記にはあまり興味は持たなかった。もっと言えば、絵を芸術作品として見てもいなかったかもしれない。広々とした美術館で名画といわれる絵を見ることは楽しいひとときで、それ以上の何でもなかった。素晴らしい絵画を見ても「すごい、すごい」と心に思うだけで、作品に込められた思想や技法、要するに画家のスタイルについて真剣に考えることはなかった。そうした知識を助けにして批評的に美術を見ることを、二年前に小林秀雄に教えられた


知識を得てから思い出してみると、過去の記憶が深まる。かつて何気もなく見ていたそれらの原画をもう一度見ることはなくても、無言で見ていた過去の自分と違う現在の自分が過去を回想することにより、過去の自分までも無言ではなかったように思われてくる。つまり、あのときもうわかっていたような気がしてくる。

おそらく事実は反対だろう。過去の感動のなかに、たとえそのときは無意識で無言であっても、感動のすべてがある。知識を得、思索を深めて、その感動を批評することはできる。そうして感動をさらに高めることはできる。しかし、最初の感動はけっして知識や思索からは生まれない。

大切なのは最初の感動、つまり出会い。