12.26.04
第8話 逃亡 |
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第7話は、筋書きの面白さ、いわゆるストーリー・テリングの巧さが光る展開だった。船室のカーテンを開けてラナを脅すつもりが、灯りをもらして追跡中のモンスリーに発見される。流されていくコナンは大声でラナの名前を叫ぶ。でも船窓に顔がさまっているジムシーが邪魔で声ははっきり聞こえない。 偶然の積み重ねを見ていると、彼らの旅がただの逃亡でなく、運命に導かれているように感じられてくる。 ところが今回は少し違う。今回の山場は、よく知られた水中のラブ・シーン。はじめて見る人は驚きと、きっと感動を覚えるに違いない。 何度も見たことがあると、この場面は初めに山場が設定してあり、前後を取り繕ったように見える。 コナンを拘束していた鉄の腕輪は電磁石でくっついていたのだから、船が爆破した勢いであっても、他の鉄材があいだに入ることは考えられない。それでも、ラナへの強い思いが超人的な力を呼び覚まし、鉄骨から腕輪を外すという展開はわかる。その拍子に腕輪が腕から外れることもわからないことではない。 けれども、足を拘束していた縛めがなににも引っ掛かったり、こじられたりもしていないのに「エイッ」と力んだだけで外れるのは、すこし奇妙ではないか。両手は自由になっても、両足が鎖で縛られたままでは次の場面に進めないから、さっさと片付けたように感じられる。 空想物語の揚げ足をとるつもりはない。むしろ、何度も見なければこんな風に物語を外側から見ることができないほど、この辺りの展開は吸引力が強いことを強調したい。この先、次回が待ちきれない場面で終わる回が続く。ビデオだと、つい続けて見てしまうことになる。 物語にとって、もう少し一般的に作品にとって、言葉の上で論理的であるとか歴史的事実に即しているとか、科学的真理や自然法則と整合性があるかといったことは、実はそれほど重要ではない。 大切なことは、いかに荒唐無稽であろうと、それを見たり聴いたり、読んだり眺めたりしているあいだ、鑑賞者になんの疑いをもつ隙をまったく与えないほど強い力で、しかも引き込まれていることさえも気付かせないうちに、作品世界に引き込むこと。 こういう技法や現象について、文学や演劇、映画の理論では適当な術語があるのだろうか。 私は勝手に「城戸誠、あるいは9番のターザン・ロープ」と呼ぶことにする。 さくいん:『太陽を盗んだ男』 |