八幡町ものがたり―ある都営住宅の戦後史、脇坂勇、河出書房新社、1988


地域の歴史が、自分史を適度に織り交ぜながらバランスよく書かれていた。住まいをめぐるさまざまなエゴイズムを涼しく見つめる著者のまなざしにも好感が持てた。地域に根ざした生き方が明治生まれの人々は自然にこなせたが、昭和ヒトケタ世代はすでにそうした生き方は苦手としているなど、示唆に富む指摘もみられる。


戦後の焼け跡で一般市民はその日を生き延びることで必死だった。だから、今日は食い物にありつけた、今日も家族は無事だった、そういった些細な安堵も大きな幸福と思えただろうし、それこそが生きる糧になっていたに違いない。高度成長を経て、いつの間にか経済的な成功体験にしがみつき、基本的な生活に根ざした幸福感をなおざりにしているのではないか。

水準の低い生活だから小さな幸福をわかちあえるというわけではもちろんない。当時は全体が貧しかったから、自分だけが苦しいと思わずにいられたのだろう。


本書を読んでみて戦後の住宅政策はつねに行き当たりばったりだったようにみえる。政治家や官僚には欧米諸国の生活水準を知っていた者も少なからずいただろう。敗戦直後はいつか国力が戦勝国に追いつくなど想像も出来なかったかもしれないが、経済成長とともに人々の暮らし、なかでも住宅インフラがどうあるべきか、将来まで見据えた展望が足りなかったのではないか

国民総生産が大国並みになっても、同じ収入、同規模の企業で働く人の住宅環境ははるかに劣っている。仕事を優先し地域での生活に根ざした幸福感がなおざりにされている一因は、国家の政策じたいが産業を優先し、住環境の整備を立ち遅れさせてきた点にあるのではないだろうか。


碧岡烏兎