エローラ石窟寺院群 |
ELLORA Cave Temples |
マハーラーシュトラ州 MAHARASHTRA |
エローラ第16窟 デカン高原の岩盤を上から掘り進み、くり抜い て構築された。建築ではなく全体が彫刻という、 まさに奇跡としか言えない驚愕の石窟寺院だ。 |
アジャンタと並んで著名なこのエローラ石窟寺 院群は、6世紀から10世紀にかけて開掘された ものである。最も特徴的なのは、仏教、ヒンドゥ ー教、ジャイナ教という、インドの三大宗教が集 結していることだろう。 全34の石窟がほぼ横一列に並ぶ偉容はアジャ ンタに匹敵する、と言えそうである。当時は三つ の宗教が、穏やかな共存関係にあったことを物語 っているのだろうか。 第1~12窟が仏教、第13~29窟がヒンド ゥー教、第30~34窟がジャイナ教で、右側南 端から順番に並んでいる。 |
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エローラ石窟寺院 第2窟 |
仏教窟(7~8世紀) アジャンタで見られた様な僧房窟(ヴィハーラ 窟)で、エローラでも最南端に位置している。時 間不足のため、第2窟しか見ることが出来なかっ た。 装飾された円柱と角柱が組み合わされた列柱が 並ぶ広間が印象的だった。 僧房の間の側壁に仏龕が彫られており、写真の 仏陀像はその中でも白眉であった説法相の倚坐像 である。 仏教窟へは余り人が来ないこともあり、静寂に 包まれた流麗な彫刻であった。 別の龕には、観音菩薩の様な脇侍を従えた三尊 像も見られた。 仏堂の本尊は、やはり似たような仏陀倚坐像で あった。 |
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エローラ石窟寺院 第10窟 |
仏教窟(7世紀ごろ) アジャンタで見られた僧房窟(ヴィハーラ窟) の様なファサードで、二層構造になっている。こ の窟は Viswakarma ヴィスヴァカルマと呼ば れている。 しかし、内部は写真の様なストゥーパを中心に した、エローラでは唯一のチャイティヤ窟(祠堂 窟)だった。 インド石窟寺院史上、最終期に近い事例だそう だ。エローラ仏教窟群の中では、中心的な存在で ある。 高い天井の梁構造が美しいが、木造天井を模し た石造の半円筒ヴォールトを岩盤から彫り出した ものである。 ストゥーパは、饅頭を押しつぶしたような扁平 な球形の覆鉢と、その下のかなり巨大な胴体(鼓 胴)部分から出来ている。時代が下がる程、鼓胴 部分が大きな比重を占めるようになったようだ。 塔前のアーチ内に、両脇侍を従えた仏陀の倚坐 説法像が彫られている。古代アジャンタの事例と 違い、仏陀像とストゥーパとは一体化しておらず 離れた存在となっている。 信仰の対象が、ストゥーパから独立した仏像へ と移行しつつある時代の所産、といえるだろう。 |
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エローラ石窟寺院 第12窟 |
仏教窟(8世紀ごろ) 正面のファサードは、八本の列柱の並ぶ玄関間 が三層にそびえる大きな僧院窟である。 三層を意味する Tin Thal ティン・タル窟と 呼ばれている。 第一層から通路を巡って第三層に至る道筋の壁 面には、様々な仏像が絵巻物のように次々と展開 してくるので飽きない。 第二層目で印象に残ったのは、アーチの中に彫 られた孔雀明王像と、同様の様式で飾られた菩薩 (まるで観音様のよう)三尊像だった。仏陀(釈 迦)以外の仏像が多様化してきた時代なのか、正 体は不明ながら魅力的な像容の多くを見ることが 出来た。 第三層目の広間には、後壁左右に七体づつの結 跏趺坐した仏陀像が並んでいて壮観である。連続 する壁には、仏陀の初転法輪坐像や禅定印の仏陀 などがずらりと並んでおり、一体づつの完成度の 高さに驚愕され続けた。 写真は最も気に入った倚坐像で、脇侍や飛天と 共に描かれている。穏やかで気品に満ちた表情は 日本人の美意識にも沿った表現であるかのように 感じられた。 それにしても、ヒンドゥー教の影響なのだろう か、密教的な発端なのだろうか、豊満な胸をさら け出した女尊像には、仏像としては馴染めない。 |
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エローラ石窟寺院 第16窟 |
ヒンドゥー教窟(8世紀中頃~9世紀) 当サイトの表紙にも記した通り、岩盤を彫り進 めて立体化させた奇跡の彫刻石窟建築なのだ。 正式には Kailasanatha カイラーサナータ寺 院という。 回廊に囲まれて多くの堂宇が彫り出されている が、写真はリンガが祀られた聖所の拝殿である。 細密なレリーフも含め、すべてが大きな岩盤から くり抜かれたものと気付くと、震撼するほどの感 動となるのである。 リンガはヒンドゥー教主要神シヴァのシンボル であり、男根崇拝からきたものである。 仏教が俗を超越した死(涅槃)を崇めると同様 に、ヒンドゥー教では生命エネルギーの力を崇拝 したのである。 ここでは見るもの全てが驚異だが、写真のリン ガ祠堂拝殿が積み上げられた建築ではなく、柱や 梁や装飾彫刻も含め、全てが岩盤からくり抜かれ た建築だと知れば、人智を越えた仕業であるとし か思えない。 回廊に囲まれた空間には、楼門・ナンディー堂 ・前殿・拝殿・本殿(リンガ祠堂)が一列に並ぶ 伽藍を構成している。 溢れる程数々のヒンドゥーの神々の図像で飾ら れた、壮絶とも言える宗教遺産である。 |
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エローラ石窟寺院 第21窟 |
ヒンドゥー教窟(6世紀頃) Ramesvara ラーメシュワラと呼ばれる石窟 で、小規模ながら魅力的な彫刻で飾られている。 聖室と前室から成り、左右に小祠堂が付いてい て、聖室にはリンガが祀られていた。 写真は最も気に入った彫刻で、右祠堂に彫られ た踊るポーズを決めるシヴァ神像だ。 シヴァの踊りは、生成変化する世界の躍動その ものであると同時に、世界の破壊を司る役目を持 っている、のだそうだ。 垂直に立つ左足のつま先と、頭上の冠とを結ん だ軸線が美しい。 その他、天女像や七母神像等、優美な傑作に溢 れている。 |
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エローラ石窟寺院 第29窟 |
ヒンドゥー教窟(6世紀頃) Dhumarlena ドゥマルレナと呼ばれる石窟。 カイラーサに次ぐ規模の大きさを誇っている。 写真は前室の壁面に彫られた彫刻で、カイラー サ山の下に閉じ込めた魔王ラーヴァナに、恵みを 垂れるシヴァと妃パールヴァティーである。 この三者の構図は、各所で比較的多く見ること が出来る。 ラーヴァナは叙事詩ラーマーヤナに登場する悪 魔王だが、改心しシヴァに救われる。 他にも、シヴァとパールヴァティの、結婚やサ イコロ遊びの場面などが彫られている。 |
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エローラ石窟寺院 第32窟 |
ジャイナ教窟(9世紀頃) ジャイナ教は、不殺生、真実語、不盗、不淫、 無所有、という五戒を守る厳粛な宗派である。仏 教とほぼ同時代に、反バラモン勢力として誕生し たと伝わる。 王朝の保護により最も栄えた9世紀頃、エロー ラには五つの石窟寺院が造営された。 第32窟は、ジャイナ教窟最大の石窟で、入口 の門内広場にはカイラーサのような岩盤を掘り下 げたスタンバ(記念塔)や四面祠堂が見られる。 ジャイナ教特有のこの四面に開かれた祠堂は、 後世に広まった四面堂形式の原型とされている。 一階部分は未完成だが、二階には洗練された装 飾の柱で構成された中央ホールや、壮麗な彫像で 飾られた祠堂が残されている。 日本人にとってジャイナ教というのは余り知ら れていないが、彫刻の図像からはかなり仏教に近 い美意識が感じられた。 写真は、象に乗る男神ヤクシャで、インドラと もクベーラとも呼ばれる。夜叉でもあるらしい。 精緻で存在感に溢れた傑作だ。 対となる女神ヤクシニー像も、獅子に乗った官 能的な像で、インドならではの生命力に満ちた表 現に圧倒される。 |
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エローラ石窟寺院 第33窟 |
ジャイナ教窟(9世紀頃) 第32窟と第33窟とは二階の通路で繋がって いるので、両窟の建築や彫刻の密度の濃さを連続 的に味わうことが出来る。 写真は聖堂前室で、右側の壁に二体の坐像が見 えるが、ティールタンカラと呼ばれる始祖聖者像 である。聖者は二十四人いて、32窟にもその像 が見られた。 宗旨である五戒の清貧な思想とは必ずしも結び 付かないのだが、石窟造営が仏教窟やヒンドゥー 窟より数世紀遅れた分だけ、密度の濃い造形が施 されているように感じられる。 建築と彫刻が見事に調和した華麗な空間となっ ており、異次元を浮遊する気分が味わえる。 |
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