アジャンタ 石窟寺院群 |
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AJANTA Cave Temples | |||
マハーラーシュトラ州 MAHARASHTRA |
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19世紀の初めに、英国の士官が狩猟中に 発見した壮大な仏教石窟寺院群である。大半 の仏教寺院が失われた今、千年以上密林に覆 われていたこの石窟寺院の発見は世界の注目 を浴びた。 湾曲したワーゴラー川を囲む岩山の中腹に 30もの石窟が並列している景観は壮大であ る。写真は参道からのもので、ほんの一部し か写っておらず、全長は600mにも及ぶ。 アジャンタの石窟はその開掘された時期に より前期と後期に、又石窟の用途により僧院 窟と祠堂窟に区分される。 前期/BC2世紀~AD2世紀(古代初期) 後期/AD5世紀~7世紀(グプタ王朝期) 祠堂窟(チャイティヤ窟)/ 仏塔(ストゥーパ)を中心にした礼拝堂 僧院窟(ヴィハーラ窟)/ 仏堂を中心にし出家僧達が住んだ僧房群 遊歩道に整備された参道を登っていくと、 手前の第1窟から順番に最奥の第26窟まで 見学していくことになる。 |
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アジャンタ石窟寺院 第1窟 | |||
後期(5世紀後半) 僧院窟(ヴィハーラ窟) 彫刻の美しい柱頭が並ぶ6本の柱の柱廊の ようなテラス正面廊が設けられており、正面 から僧院へと入る。 ほぼ正方形の僧院の中心には、列柱に囲ま れた中央広間が設けられている。前廊・右廊 ・左廊・後廊が広間を囲んでいる、と言えば 御理解頂けるだろうか。 四廊の周辺には開口された前廊以外の三方 に、僧達が住んだ僧房が設けられている。 こんな暗い場所でどうやって生活したのだ ろうか、という素朴な疑問が湧く。 正面奥に仏堂があり、二鹿の坐る台座に説 法相で結跏趺坐する三尊仏が祀られている。 写真は、正面後廊左側の壁面に描かれた蓮 華手菩薩像である。青い蓮華を胸前に持つ右 手の表情に、完全に魅了されてしまった。 “麗しの菩薩”とも呼ばれるらしい。 後廊右側の壁に描かれたもう一体の蓮華手 菩薩像にも、捨て難い魅力が感じられた。 壁画は左廊の宮廷生活を描いた「マハージ ャナカ本正図」など、様々な壁画が保存状態 も良く残されている。 |
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アジャンタ石窟寺院 第2窟 | |||
後期(5世紀後半) 僧院窟(ヴィハーラ窟) 第1窟に隣接しており、規模はやや小さい が第1窟とはほぼ相似形の構造をしている。 4本柱の正面廊の右側欄間に、官能的な龍 王と眷属の像や太鼓腹のヤクシャ神などが半 肉彫りされている。完成度の高い彫刻だろう と感じた。 中央広間列柱の一辺の柱の数は、第1窟が 六本であったのに対し、ここでは4本になっ ている。 第2窟内部の荘厳は、目を見張るような見 事さである。特に列柱の繊細な彫刻の壮麗な ことでは、第1窟を凌いでいるだろう。 写真は中央奥の仏堂で、本尊は説法印の仏 坐像である。量感豊かで端正な作り、向かっ て左に払子と水瓶を持つ脇侍を従えている。 仏堂の外側前室の左右の柱には、枠を区切 り龍王などが彫られている。左右の壁全面に は千仏が描かれて壮観である。 右側の壁には「ヴィドゥラ賢者本生」とい う説話が絵物語の様に描かれている。 めくるめくように壮麗な石窟といえる。 |
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アジャンタ石窟寺院 第4窟 | |||
後期(5世紀後半) 僧院窟(ヴィハーラ窟) アジャンタの僧院窟の中では最大の窟で、 正面廊の列柱8本で構成されている。 正面入口の周囲壁面は、グプタ朝期建築の 特徴である豪華な浮彫群で埋められている。 多くの仏像と共に、男女一対のミトゥナ、 男女の飛天、獅子に似た怪獣シャールドゥー ラ、などがかなり官能的なポーズをとってい る。インドの仏教彫刻では、こうしたモチー フは初期から現れていたというが、仏教石窟 のイメージとはどうしても馴染めない違和感 を覚える。 写真は、入口左側の最上部に彫られた樹下 女神ヤクシーである。違和感はともかく、ヒ ンドゥー教の神像にも通じる、インドらしい 妖艶な魅力を秘めた神像だろう。 天井は掘られたままの姿で、未完成だった ようにも見える。壁画は無い。 仏堂の本尊である三尊像や前室に彫られた 仏像群は総体的にずんぐり形で、やや端正さ を欠く造形となっている。 |
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アジャンタ石窟寺院 第7窟 | |||
後期(5世紀末) 僧院窟(ヴィハーラ窟) アジャンタの僧院窟の中では何とも変わっ たプランである。正面廊の列柱は4本で、間 口は前出の僧院窟と比べるとかなり狭い。崩 落が激しい第6窟と同じだが、第7窟の特徴 は4本の列柱が二列あり、奥には広間が無く 正面廊と中央に仏堂が左右に僧房が配されて いることである。 写真は仏堂に安置された本尊で、施無畏印 の仏坐像である。他の窟と比べるととても端 正で精悍な印象を受ける。 本尊の左右には払子を持った二菩薩が脇侍 として立ち、他にも仏立像が彫られている。 台座には他と同じ輪宝と二鹿像が彫られて いるが、更に両端に獅子が配されているのが 珍しい。 もう一つの特徴は、写真では一部しか写っ ていないのだが、仏堂の前室両側に彫られた 千仏浮彫である。単なる千体仏の羅列ではな く、一体一体が入念に彫り込まれているので その壮観な眺めに圧倒される。 小さな窟ながら優れた彫像を残す印象深い 石窟だった。 |
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アジャンタ石窟寺院 第9窟 | |||
前期(BC1世紀) 祠堂窟(チャイティヤ窟) 入口に障壁を残し、チャイティヤ窓と呼ば れる大きな馬蹄形の窓と、小さな装飾擬窓が 意匠されている。 石窟の形状は単純な長方形で、中央奥にス トゥーパ(仏陀の舎利を祀る石塔の原型)が でんと座っている。 天井は高く半円筒ヴォールト状に近い。二 列の柱があたかも三廊式の身廊を構成してい るかのようであり、ストゥーパの後ろで半円 形に連結して周歩廊を構成しているのだ。ま るで西欧のバシリカ聖堂を見るかのような印 象を受けた。 ツアーの仲間は通過してしまったが、石塔 には格別の興味を抱いている小生には決して 見逃せない窟なのである。 ストゥーパはサンチーに似た、やや扁平な 土饅頭形である。上に箱型の平頭(ハミルカ ー)という台座が載っている。本来は更に、 この上に相輪のような傘蓋(チャトラ)が立 つのだが失われてしまった。 何とも素朴で美しい空間である。柱に描か れた壁画は後期に描かれたものだ。 |
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アジャンタ石窟寺院 第10窟 | |||
前期(BC1世紀) 祠堂窟(チャイティヤ窟) 第9窟と第10窟の間の石壁に数体の仏像 が彫られているのだが、やや定型化しており 後期に入ってから制作されたものだろう。 正面は馬蹄形の大きな入口になっており石 窟のプランは第9窟に似ている。しかし窟の 奥行が倍近くあり、窟の奥壁も半円形になっ ている。丸で西欧教会における半円形後陣の 元祖、のようだ。 アジャンタでは最も古い祠堂窟の一つで、 写真でも判る通り、半円筒ヴォールトの天井 に、垂木の渡してあった痕跡が残っている。 ストゥーパは第9窟に似ているが、やや扁 平度が強いかもしれない。 頂部の平頭はやや細長いが、小さな台座を 残して、ここでも傘蓋は失われている。 周囲の列柱は八角形で、各面に壁画が描か れている。大半が後期(6世紀後半)の制作 と思われるが、塔の左後方に見られる「仏と 片目の比丘」などの傑作が含まれている。 左側廊の壁に描かれた供養図は、アジャン タ最古(紀元1世紀前後)とされるが、剥落 が激しく落書きまである。 |
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アジャンタ石窟寺院 第17窟 | |||
後期(5世紀末) 僧院窟(ヴィハーラ窟) 中央入口の左右の壁は、ミトゥナや飛天を 描いた彩画で飾られている。「王の行列」や 「後宮の恋」といった主題の壁画が見所にな っているが、いささか通俗過ぎて好かない。 酔象降伏、飛天供養、三道宝階降下、舎衛 城の大神変、六牙白象、などの他に様々な本 生譚が描かれているが、詳細に眺めていたら 日が暮れてしまいそうだったので、結果的に 上辺だけの見学になってしまった。 写真は壁画に囲まれた石窟寺院らしいショ ットで、正面仏堂と前室を撮ったものだ。ア ジャンタ石窟の構造の美しさを見事に象徴し ている、と言える。 |
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アジャンタ石窟寺院 第19窟 | |||
後期(5世紀後半) 祠堂窟(チャイティヤ窟) 正面前庭を深く掘り込み、二本の柱とチャ イティヤ窓が特徴的なファサードとなってい る。数多くの仏像が壁面を飾っており、グプ タ期の彫刻を代表するほど優れたものも見ら れる。 正面上部のヤクシャ神像や、前庭左壁の龍 王夫妻像などが傑出している。 平面プランは前期の第10窟と同じ三廊式 で、最奥は半円形になっている。木造建築を 模した、石造の天井の梁が特徴的である。 どっしりとした太い円柱や豪華な彫りの柱 頭群、その上の長押部分に彫られた仏像群は 圧倒的だ。後期の祠堂窟としては、第26窟 と共に最も爛熟した時代の表現であった。 覆鉢(球体)部分に比べ鼓胴部(基礎)も 平頭も大き目である。天井まで届きそうな傘 蓋の完存する姿が美しい。傘蓋には細やかな 彫刻が施されている。 仏塔正面には、二本の柱とアーチに囲まれ て仏陀の立像が彫られている。 このような装飾は、前期のストゥーパには 見られなかったものであり、仏塔(仏舎利) を崇拝した従前の信仰から仏像崇拝が優位を 占めるようになってきた時代性を物語ってい るように思える。 |
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アジャンタ石窟寺院 第20窟 | |||
後期(6世紀?) 僧院窟(ヴィハーラ窟) 小型の僧院窟で、面の二本の柱の奥に正面 廊がある。続いて広間があるのだが、支柱の 無い矩形の空間になっている。アジャンタ唯 一の形式だ。 写真は広間から見た正面の前室と仏堂で、 前室を仕切る角柱と横石(まぐさ石)が珍し い。 正面左右両柱には上に龍王像、下に次女を 連れた樹下女神像が彫られている。妖艶な女 神像には誘惑されそうである。 二鹿と輪宝が彫られた台座に載っている仏 陀座像には、定型化してしまったような張り の無さが微かに感じられた。 |
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アジャンタ石窟寺院 第26窟 | |||
後期(5世紀末) 祠堂窟(チャイティヤ窟) 後期の祠堂窟ではアジャンタ最大の窟であ り、ファサード上部の壁面は多数の仏像で埋 められているが、ヤクシャ神など造形的には 力弱い表現となっている様に感じられた。 石窟プランは第19窟に類似しているが大 きさは倍以上ありそうである。柱の太さなど はより洗練されているようにも見えるが、爛 熟期の装飾過剰な傾向が表れているようにも 感じられた。 ストゥーパは傘蓋を欠いてはいるが、覆鉢 には飛天が舞い高さのある鼓胴には豊富な彫 刻が施されている。ここにも時代の頂点を見 ることが出来るが、それは衰退へのプロロー グという見方も出来るかもしれない。 若々しい仏陀像は倚座説法の姿で、鼓胴部 分に一体化して彫られている。 円柱の上の長押部分や壁面には、様々な像 容の三尊仏などがびっしりと彫られている。 側廊の壁には、左側の大きな涅槃像から続 けてぐるりと一周、仏伝図・説法図・降魔図 など宗教的情熱に満ちた浮彫が所狭しと彫ら れている。 |
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