エルソン航宙ステーションを囲む高く厚い壁の一角が、大きくえぐられたように崩れていた。壁際の倉庫が炎に包まれ、黒い煙を吐いている。小さなクレーターが点在する通りに、3人の男が倒れていた。全員エルソン人で、そのうちの1人は警備員のようだ。
「ひどい、なんてこと」
自動運転のエアタクシーを降りたユリスは、ドアを勢いよく開けて怪我人に駆け寄った。抱えたバッグのなかには、簡単な医療器具が準備してあるに違いない。
学校と近くに住む友人の安否を気にしていたヒルトは、とりあえずほっとした。だが、それも一瞬だ。目の前に怪我人が倒れているのに悠長なことを考えてはいられない。
『……エルソンで事故が起こるなんて。いや、こんなはずは……』
エアカーに備付けのスピーカーから、珍しく戸惑ったようなシグナの声が流れてきたが、ヒルトはそれを最後まで聞かず、ユリスに続いて車内を飛び出した。保安部員志望として、救命術や簡単な診断の知識は心得ている。ユリスが駆けつけたのとは別の怪我人に向かう。
通りの端に倒れていたのは、制服を着た男だった。ステーションの警備員だろう。
「大丈夫ですか!」
声をかけて、反応を見る。気を失っているようだが、一見外傷はなさそうだった。
脈を確かめようと、頚動脈に手を伸ばしかけたとき、不意に、警備員は目を開けた。
「良かった、すぐに手当てを……」
安心し、言いかけて、少年はことばを途切れさせた。警備員の目は、焦点が合っていない。それに、彼は何かを告げようとしているようだった。
耳を近づけると、警備員はかすれた声でささやきかけてきた。
「早く、ここから逃げろ……。ここを封鎖しなければ……あいつを片付けるには、兵器が必要だ……」
「兵器って……」
浅い呼吸の中で告げられたことばに、彼は目を丸くする。警備員は、最期のことばを告げて間もなく、息を引き取った。
「ヒルトくん?」
手当てを終えたのか、ユリスが声をかける。振り返ったヒルトの視界に、駆け寄る女性の姿が映った。
その背後、停車しているエアカーの上から、火花のようなものが散る。
口を開く間もなく、爆発が起こった。
数秒間、爆風が吹き抜け、ヒルトは目を閉じる。息ができず、両腕で顔を覆ってうつむいた。ユリスがどうなったのか気になり、風が弱まると片目を開けてみる。ユリスは地面にしゃがみこみ、顔を上げたところだった。
彼女が振り返る。エアタクシーが炎を吹き上げ、煙に包まれていた。
エアタクシーに故障があることはありえない。それに、爆弾を仕掛けられるといったこともないだろう。シグナにより監視されているのだから。
ヒルトは、エアタクシーの上から降ってきた光を思い出す。彼は、晴れた空にわだかまる黒煙を見上げた。
黒煙が薄れていく。そこに浮かんでいた異形のものに、ヒルトとユリスはさらに茫然とする。
黒光りする甲冑のような身体のロボットは、人間を真似ながら、ひどくグロテスクだった。顔があるべきところには、大きな赤い光がひとつ、輝いている。
ロボットは、付近で生きているただ2人の人間を見つけたようだった。赤い光が地上に向けられる。
そして、太い筒状の右腕が持ち上げられた。
早くここから逃げろ――
警備員の声が頭の中にこだまする。ヒルトは、すでに事切れた警備員が必死に促しているような気がした。だが、焦りばかりが募り、身体が動かない。赤い光から視線をそらすことができない。
ロボットの右腕の先、銃口に、光が収束した。
緊張のせいで、何も聞こえなかった。一秒が何分にも感じられる。光に染まった銃口が自分に向けられるのを、彼はただ見ていた。
光が視界いっぱいに広がり、一瞬、彼は気を失った。
気がつくと、地面に倒れている。煙が昇っていた。柔らかな感触に気づき、目をやると、そばにユリスが倒れている。
身を起こすのに地面に手をつくと、ぬるりとした感触があった。赤い液体が、ユリスの身体からにじみ出ている。
「ユリスさんっ!」
彼女は、彼を庇ったのだ。それがわかると、ヒルトはカッと頭に血が昇ってくるのを感じながら、力の無い身体の肩を抱え起こした。
ユリスは、覗き込む少年を見上げていた。その表情は、穏やかだった。
「何をしているの……さあ、逃げなさい! 私は大丈夫だから……」
「でも!」
「ほら、早く!」
彼女は声を絞り出しながら、上空を仰いだ。影が地上に落ち、ヒルトもその存在を思い出す。
また、銃口に光が集まり始めていた。
「行きなさい!」
その声に背中を押されて、ヒルトは走った。崩れた壁の内側へ。
転びそうになりながら、緊張した筋肉を無理矢理動かして走る。一番近くの建物へ。その内部から、他の建物に通じているはずだ。
轟音が鳴った。背後から煙を乗せた爆風が吹き付けてくる。少年は振り返らず、歯を食いしばり、爆風を利用して距離を稼いだ。
敷地内の建物で最も大きなもののそばまで辿り着くと、ヒルトは一度振り返った。
ロボットが、こちらに向き直る。赤い光から慌てて目をそらし、彼は鏡のように滑らかな金属でできたドアに突進した。
ドアが、まるで彼を迎え入れるように、自動的にスライドした。ドアの横にはカードリーダーが備付けられていたが、ヒルトはそれにも気がつかない。
勢いよく建物内に入った途端、彼は足を止め、立ちすくんだ。なかは真っ暗闇だった。
外の喧騒は遮断され、辺りは乱すのをためらわれるような静寂に包まれている。どこまで広がっているのかわからない空間に取り残された気分になって、ヒルトは慣れるまでの間、息を潜めていた。
薄らと床が見えるようになると、彼は慎重に歩き出す。
間もなく、何かが彼の鼓膜に触れた。
――あなた……で……?
風のささやきに似た、かすかな空気の震えだった。空耳か、と思い、ヒルトは歩みを止めて耳をすます。
静寂に紛れて、再び、何かがささやいた。
――外が、騒がしいようですね……
「だ、誰かいるんですか?」
尋ねながら、奥へ進んでいく。
奥に行くほど、声は大きく聞こえた。しかし、何かに遮られたようにこもっていて、淡々とした、小さなささやき声には変わりなかった。
――ステーションの環境システムが一部ダウンしているようです。外の影響でしょうか……
ガン、という音がした。音は、上からだ。振り仰ぐヒルトの表情が強張る。
――何者かが侵入しました。無人人型戦闘機、バルロック社製オートストライカー02-07……
声が伝えてくる情報は、さらにヒルトを怯ませる。
混乱する頭のなかで、彼は自問した。どうすればいい? 生き延びるには、どうすれば……。
保安部員になるための訓練を思い出そうとする。命の危険に晒されることは覚悟していたはずだ。しかし、実際に命の危機を感じるのは、日常でそうそうあることではない。
落ち着かなければ。冷静さが一番大切だと、自分に言い聞かせる。ユリスの、最後に見た、勇敢で気高い顔。それに、レイブレードの師が最初に教えてくれたことばが脳裏をよぎった。『力を持つものには、それを制御する意志力と冷静さが求められる。力を押さえる力と同じ分だけ力を引き出すこともできる』と。
レイブレード。はっと顔を上げ、上着の内ポケットを探る。
筒状のものが収められていた。それを手にして、端を回すと、光の刃が生まれた。強大すぎる闇の中では、その光も、ロウソクの火のように頼りない。
それでも、彼は頼もしく感じる。
自分の力で自分を守れなければ、他人を守ることなどできない。これから、この光を、自分と他人を守るために使うんだ。
ヒルトは、自分を守って、おそらくすでに命を落としたであろう、ユリスを思う。そして、同じく自分を守って死んでいった両親。幼かった彼には、遭難したシャトルの中の記憶は薄らとしか残っていない。
青白い光線は、ある程度行く手を照らすことができた。ヒルトは、奥に半透明な壁があるのを知る。それに近づくが、レイブレードの光だけを頼りにしていては壁の向こうには何も見えなかった。
――気をつけて。あなたを狙っています。
声は、壁の向こうからだった。ヒルトは身体を硬くする。訓練では、仮想現実以外で動くものを斬ったことはない。感覚もすべて現実と変わりないが、死ととなり合わせの今の状況とでは大きな差がある。
彼は何度か大きく息を吸い込み、心を落ち着ける。やらなければいけない。レイブレードの柄を両手で力強く握り締める。
姿も見えない相手と戦うのは、勝ち目がないように思える。しかし、彼はそれを考えず、目を閉じた。相手の気配を探り、わずかな物音も聞き逃さないよう、耳をすます。
――上……!
声が告げた直後、風を切る音が耳に届く。
一歩、後ろに身体を引き、跳ぶ。レイブレードを闇に走らせる。
火花が散ったのが見えた。切断された何かが床に落ち、重い音を響かせる。
――再び上昇。レーザーで狙っています。合図をしたら跳び退いてください。
声の主には、ロボットが見えているようだった。相手が何者かはわからないが、ヒルトには、他に頼るべきものがない。彼は、声を信じることにした。それが正しいと、彼はなぜか確信していた。
彼はじっと、声の合図を待つ。
やがて、空気が震えた。
――今!
合図と同時に、大きく跳び退く。目の前が一瞬明るくなり、地面に火花が散った。
――来ます、背後に回りこんで……
声が告げる前に、ヒルトは気配に気づいていた。研ぎ澄まされた神経が、空気の振動を敏感に伝えてくる。
彼は、横に跳んだ。冷たい気配が横を通り抜けようとするのがわかる。腰を捻り、相手の進行方向から、レイブレードを思い切りよく振り抜いた。
溶けた切断面が一瞬赤く光り、ロボットはふたつになって床に落ちた。
戦いの緊張が去ると、ヒルトは茫然と床を見下ろした。自分がしたことが信じられず、レイブレードの光で照らされたロボットの残骸を見詰める。その事実を目に焼き付けようというように。
――大丈夫ですか?
声をかけられて、ヒルトは我に返る。
「ああ……大丈夫」
答え、しゃがみ込んでロボットが完全に停止しているのを確認すると、半透明な壁に近づく。
その途端、照明が点灯した。
突然の眩しさに、腕で目を覆う。薄目を開けて目が慣れるのを待ちながら、彼はふと気づいて、レイブレードの刃を消す。発動機を持ち上げてみると、エネルギー残量を示すメーターが8割程度まで減っていた。
発動機を内ポケットに入れ、目が慣れるのを待って壁の向こうを見る。
そこに広がる光景に、彼は目を疑った。
壁の向こうにある姿は、巨大な宇宙船である。人の目から見れば巨大だろうが、宇宙船としては小型だろう、と、いくつもの宇宙船を見たことのあるヒルトは理解していた。
白い機体に、紺色の翼。機体には、文字が刻まれている。その文字は、XEXと読めた。
壁が上にスライドし、ヒルトは慌てて手を離す。
一歩下がっていた彼は、壁が完全に取り払われるのを待たず、宇宙船に近づいた。
人間の姿はない。声の発生源は、この宇宙船に他ならない。
さらに一歩、宇宙船に歩み寄ろうとしたとき、声が響いた。その声に、彼は思わず足を止める。
『あなたは……』
人の肉声とは違う響きを帯びた、あまり感情のこもらない声だった。しかし、それは決して味気の無いものではない。透き通るような、綺麗な声だった。そして、ヒルトにとっては、なぜか懐かしい声でもある。
少しの間茫然としていた彼は、思い出したように、ようやく相手のことばに答える。
「ぼくは……ぼくは、ヒルト・フェイスアレイ。あの、あなたは……」
『私は……』
綺麗な声は物憂げに言い、少し間を置いて続ける。
『私は、ゼクロス……かつて惑星オリヴンのベルメハンに存在した研究所〈リグニオン〉で製作された、宇宙船制御システムです。もう、宇宙に出ることも無いでしょうけど……』
悲しげに、今この建物内にいる唯一の人間である少年に応じる。
『さあ、お帰りなさい……外にはもう、救急隊と警官たちが着いていますよ』
ヒルトは、ユリスのことを思い出す。いつまでも姿が見えなければ、病院側も心配するだろう。それに、友人たちも。
しかし、彼は奇妙な離れがたさを感じる。
「その……どこかで、出会ったことがあるような気がするんだけど……」
『……不思議ですね。私も、そんな気がします』
ゼクロスの声に、かすかな感情の動きがあった。だが、それほど興味を引いたわけではないらしい。
『しかし、データバンクにあなたと出会った記録はありません。デジャ・ヴというものかもしれません……どうにしろ、今の私には関係の無いことです』
「どうして……? どうしてあなたは、ここに閉じ込められているの?」
思わず、ヒルトは尋ねていた。言った後に、聞いてはいけないことだったかと、はっとする。
ゼクロスは、気分を害した様子もなく、淡々と答えた。
『エルソンの人々が私を閉じ込めておくはずはないでしょう……ただ、私はもう、何もすることがなくなってしまった。行く場所もない私を、ここの方たちが受け入れてくれたのです』
「することがない、って? 宇宙に出れるんでしょう? ヒトやモノを運んだり、天体を観測したり……遭難船を助けたりできるんでしょう?」
ゼクロスのことばを理解しない……いや、理解しようとしないヒルトに、宇宙船制御システムは沈黙を返した。
ヒルトにとっては、持っている力を無駄にすることはひとつの罪のようなものだった。その大きな力を振るいさえすれば、救える命がある。救えるはずの命を見捨てることは許せない。自分にはない、大きな力を持ちながら何もしない相手を前に、ヒルトの表情がかげる。
彼とその両親が宇宙を漂流していたとき、彼を救助してくれたのが一番近くにいた船だった。もっと近くを航行していてくれれば、もっと速い船が近くにいてくれていれば、と、理不尽な後悔、ときには憎しみに近いものさえも、抱いたことがあった。今、彼を支配している感情は、それに近かった。
「助けに来てくれれば……助かるかもしれなかったのに」
独り言のようにつぶやく。それが聞こえているのか、いないのか。ゼクロスは沈黙を続けている。
外での騒がしさが嘘のように、辺りは静まり返っていた。
やがて、静けさに耐えかねたように、ゼクロスは途切れ途切れに声を上げる。
『私に……それをしろというのですか? 帰る場所も、待っている人も何もない私に、その仕事をしろと……。ヒルト、それをするのは〈私〉ではなく、宇宙船です。私は喜んで、この機体を提供しましょう』
「違うよ。そんなの、他の宇宙船にだってできる。本当に必要なのは、たぶん、心なんだ。上手く言えないけど……」
『それなら……人間がいればよいだけです……それに、運送や天体観測はともかく、救助活動は私だけでは無理でしょう』
「なら、人がいればいい。もともと、人と一緒に作業するために造られたはずでしょう? 誰も待っている人がいないなら、ぼくが待ってるから。そうして、ここに帰ってくればいい。いや、ぼくは一緒に宇宙に行きたい……そうして、人が救えるなら」
意外なことばを聞いてか、ゼクロスは再び黙った。ヒルト自身にとっても、意外なことばだった。
数十秒ほどの沈黙の後、少年は口を開く。
「まだ学校があるけど、これから夏休みだし……その、乗るのにパイロット資格も要らないだろうから……」
『……あなたが、私のクルーになると?』
「だから、お願い、ぼくを待っていて欲しいんだ。嫌かもしれないけど……」
言って、彼は答を待った。拒否されても仕方がない、という心境である。それでいて、彼は本気で、受け入れて欲しかった。ここまで本気で何かを望んだことは、今まで生きてきたなかでもそうそうない、と思うほどに。
沈黙が、ひどく長く思えた。
やがて流れた声を、ヒルトは一言も聞き洩らさないよう、耳をそばだてる。
『ありがとうございます、ヒルト……そう言っていただけただけで、私は気が楽になる。今の私に人を救う資格があるのかどうかわからない……でも、人を救うのに資格なんていらない。あなたの、人を救いたいという気持ち、それはとても名誉なものです。あなたなら、多くの人を救えるでしょう……』
相変わらず静かだったが、どこか清々しさを感じる声で、ゼクロスは続ける。
『しかし、私は自分を許せるかどうかわからない……いくら人を救っても、それ以上の人々を、私は……』
「そんな……何を……したの?」
果たしてきいていいのか迷いながら、ヒルトは問うた。
『事件のことをまだ聞いていないのですね……ヒルト。惑星オリヴンのことは知っていますか?』
「科学の進んだ惑星だね……行ったことはないけど」
『ええ……首都ベルメハンの上空に、〈リグニオン〉がありました。そして、それはオリヴンの大部分とともに、一種の閉鎖された空間に飲み込まれています。2週間ほど前に突然軌道上から現われた、宇宙船の攻撃によって……』
「宇宙船……?」
『今は、その行方は知れません。閉じた空間のなかにいる人たちがどうなっているかもわからない……私だけが、こうしてここにいる。私には、すべての罪を切り捨てて新しい道を行くことはできない』
茫然として尋ねたヒルトに、疲れた声で答える。
『もうお行きなさい。病院から連絡を受けた救助隊が捜しています……』
促されて、ヒルトは何も答えることはできなかった。そうして、身体の向きを反転させ、ドアに向かって歩き出す。
ドアの前に辿り着いて、彼は一度、振り返る。
「ぼくは、またここに戻ってくる。きっと戻ってくるから……」
スライドしたドアの向こうに、救助隊員たちが見えた。それを見ながら、ヒルトはそこから去って行く。
人間がいなくなった建物のなかを、再び闇と沈黙が支配した。