時間 地点
JR春日駅 大野城市の北コミュテニィセンターでのほしぞら倶楽部の観望会終了後、そのまま歩きに出発。金曜の夜出て、土曜の早朝には前回の出発点重岡駅に着くという計画。今回は延岡で一泊、日向で一泊と3日間歩く予定。
福岡市博多区 JR博多駅 特急の発車まで時間があるので、博多駅でいったん下車して駅を出る。
福岡市博多区 パパトーマス
駅ビルの1階のパパトーマスで夕食をとる。何年ぶりだろ。7年以上たってるかな。久々に来た。
フォーとバンバンジーサラダを注文。フォーはライムを搾って食べる。フォー好き。ラーメンとフォーがあったら、フォーを選ぶ。
22:50 福岡市博多区 JR博多駅 ホームに戻り特急に乗車。
ドリームにちりん 前回に続き、今回も早朝に佐伯に着く列車、ドリームにちりんを利用した。
トイレも清潔できれい。
車内はやけに寒くて、丈の短いソックスを履いていたせいか、足が冷えてよく眠れず何度も目が覚めた。前乗ったときは深夜の時間帯は電気が消されてたけど、今回は社内が明るいままだったので、それも眠りづらい原因のひとつだったかも。
4:34 佐伯市平野町 JR佐伯駅 佐伯駅でドリームにちりんから降りて、重岡駅に行くため、普通列車が来るのを待つ。こんな早い時間帯でも待合室がちゃんと開放されているのでありがたい。臼杵駅ではほんとに夜が明けるのを待つのが辛かったが、佐伯では明るく風も入ってこない待合室は快適そのもの。テーブルもあるし。
とりあえずコーヒーを飲んでぼんやりと待つ。
6:21 佐伯市平野町 JR佐伯駅 佐伯の車窓から普通列車に乗車して、中で朝食のおむすびを食べる。もちろん(笑)、おとものともぞうさんが福岡で買って持ってきたもの。
途中自分が歩いた10号線の景色を眺める。防犯ベルなったけど誰もこなかったよなぁとか、上り坂でけっこう大変だったよなぁとか、前回歩いたときのことを思い出した。
6:55 宇目町 JR重岡駅
前回の到着点の重岡駅に着いた。
同じ重岡駅で降りた人がいた。自分がトイレに行っている間にともぞうさんがその人に声をかけたようで、同じように歩いている人だった。少し話した後、自分はペースが速いのでお先すると言って、その人は先を歩いて行った。名刺をいただいたが、姫路で西詰内科診療所をやっている西詰さんというお医者だんだった。これっきりかもってことで一枚記念にパチリ。西詰さんは赤い帽子に黄色いリュックなので、前を歩いていて目立つ。事故防止に目立つ色を着てあるんだろう。自分は最近は黄色いリュックではなく、カーキのカバンを斜めがけで、持ってる服も地味色がかなり多いので車に轢かれやすい格好をしている。対策を考えねば・・・。
てくてくと歩く。周りに民家も何もない。ほんとに、前回欲を出して重岡から先へ歩き続けないでよかった。こういうとこは朝のうちに歩くか、おともを連れて行くかしないと。
川の色が青くきれい。晴れてたらもっときれいなんだろうな。
黐の木橋 その場ではなんて読むかわからなかった。「もちのきばし」だそうだ。こういう漢字をその場でさらっと読めたりすると「おおーっ」と一目置かれるんだろうな。
宗太郎駅
そうたろう駅
ちょっと道からそれるけど、トイレ休憩と記念をかねて立ち寄る。
ひっそりとした山あいの駅。
このあたりで雨が降り始めた。ともぞうさんはあてにならない天気予報の信者なので、天気予報を信じて傘を持ってきていない。あれだけ荷物多いのになぜ傘を持ってこないのか・・・。
自分だけ傘差してるとすごい悪い人みたいに見えるので、仕方なく入れてやる。Ψ(`∀´)Ψ
看板「さようなら大分県」 さようなら大分県おお、「さようなら大分県」の看板。県境も近いか。
交通安全お地蔵さん おじぞうさま交通事故があったところのようで、安全祈願のお地蔵さんがいた。何気に眺めていると、亡くなったのは大野城市白木原の人だった。昭和48年だからだいぶ前だけど。
看板「北川町」 北川町看板とうとう、宮崎県入りか?
看板「ようこそ宮崎へ」宮崎県看板 いよいよ宮崎?
ってか、北川町の看板のとこが県境なのか、ここが県境なのかイマイチようわからん。
福岡、大分と進んできて、3県目の宮崎県入り。宮崎ではどんなおいしいものが食べれるかなぁ。どんな景色に出会えるかなぁ。ワクワク。
霞がかる景色靄がかかって、雨は雨で、なかなかいい景色かも。
JR市棚駅 トイレ 新しくきれいマイペースで進んでいたが、先に行った西詰さんに追いついた。休憩する場所もないので、外から入れる市棚駅のホームに上がって、3人でベンチで休憩した。西詰さんは糖尿病の専門医をしてあるそうで、曰く、薬使わずとも食事療法をちゃんとやれば糖尿病はけっこう改善するのだそうだ。日本中あちこち歩いているらしく、歩いた場所や日時が書いてある手帳を見せてくれた。
ペースがそう変わらないとわかり、しばし3人で歩くことに。西詰さんからアメリカにいる子どもさんの話などを聞いた。
順調に歩いているところ、「福岡で大きい地震があったらしい」と西詰さんの家族から西詰さんの携帯あてに電話があった。「あなたたち福岡から来てるんでしょ。」と地震のことを教えてくれた。震度5だとか聞いてびっくり。最初は信じられなかった。とにかく、こちらは道路の上で近く立ち寄る店も見当たらず、何も状況がつかめない。ともぞうさんが携帯で電話をかけるが混線してなかなかかからない(自分の携帯はエッジなのでアンテナ自体が立ってなかった)。電話はつながらないが、メールは送れるというのがわかり、ともぞうさんの携帯を借りて、ともだちの蓮さんやこずりんなどにメールで安否確認をする。事態はつかめないが、仕事や家のこともあるので、とりあえず福岡には戻らなければいけないだろうと判断。バスで延岡まで出て、延岡から福岡へ戻ることにした。
西詰さんは阪神の震災と比べ、福岡のはみんなが起きている時間だし、昼食の準備で火を使うにはまだ早い時間なので、火事の心配もあまりないのではないかと話し、落ち着かせてくれた。ちなみに彼が東京にでかけるときはスニーカーをリュックの中に入れていくのだそうだ。東京で地震があっても、電車が運行している駅まで歩いて行けるようにと。
バス停「竹瀬」
竹瀬 バス停
こんな気分で食べることになるとは・・最寄のバス停を見つけ、ここで西詰さんと別れる。
延岡行きのバスが来るのをバス停付近で待つ。バスが来るまでに少し時間があったので、蓮さんから旅先で食べるようにと持たされたケーキをいただく。
バス停付近からの眺めバスで揺られながら、まさか半日で帰ることになろうとは、一寸先は闇、未来は何があるかわかんないだなってことを実感。3日間歩くつもりだったのになぁ・・・。途中、歩いている西詰さんをバスで追い越した。
15:00 JR延岡駅 延岡駅に来て駅員さんに尋ねると列車は別府のあたりまでしか行かず、その先は運休してしまっているという。途中まで行っても仕方ないので、隣のバスセンターに行ってみる。バスは通常どおり営業しているとのこと。午後3時の便を予約する。
宿泊予定だったホテルにもキャンセルの電話を。
定食屋さん(名前覚えてない) バスの時間まで時間があるので、近くをふらつき食堂を見つけ、とりあえず昼食をとった。店内のテレビで伝えられる地震のニュースに釘付けになった。
延岡バスセンター 延岡バスセンターから、3時発のバスに乗り、福岡へ向かう。
西鉄福岡駅 渋滞のため予定より遅い時間のとっぷり日が暮れたころに何とか福岡にたどりついた。バスの中から外の様子を眺めていると、昼間地震があったとは思えないくらいパチンコ屋さんには車がいっぱいだし、レストランにもお客さんが入っているのが見える。なんだかおおごとになっているのではと思っていたのに拍子抜けしてしまった。被害が少ないことがわかってから外に出たんだとは思うけど、福岡の人って楽天的なんだなと思った。
家の被害は壁にかけていた額縁が落ちたのと、グラスがひとつ割れていた程度だった。あとは酒の瓶が散乱していたけど割れてはおらず、ほっとひと安心。
たいしたことなかった(人的被害は)なら、せっかくだから福岡にいて地震経験しておきたかったなという不謹慎な気持ちも・・・。ま、結局この本震の後も余震が何度もあって、けっこうな揺れがあったり、寝てる間にベッドが揺れて飛び起きたりと、その後十分に不安な日々は経験することになったんだけど・・・。
ちなみに鹿児島在住のともだちカオリンはこの日、鳥栖のアウトレトモールに遊びにきていたらしく、福岡西方沖地震を体験したのだとか。
はぁ。でも3日間歩く予定がたったの半日しか歩けなかったのはもったいなかった。
歩いた距離 23.9km
歩数 47,800歩

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