その後の廃車体
宮城交通4(元仙南交通)
宮城県仙台市に本社を置く宮城交通の廃車体です。宮城県にあるもの、岩手県にあるもの、及びその他の県にあるものをまとめて取り上げます。ここでは宮城交通の前身3社のうち仙南交通の所属車両だったと思われるものをまとめます。仙南交通は1959年に秋保電気鉄道が仙南交通自動車を合併して成立した会社で、鉄道廃止後バス専業になっていました。1970年に宮城交通に合併されました。
廃車体
撮影:海さん様(仙台市 2005.10.9)
宮城交通 三菱MR490
元仙南交通のツーマン車。
呉羽ボディで正面連続窓になっていますが、縦寸法が小さいため、1963〜64年のスタイル。後面窓は2枚窓です。
廃車体
撮影:海さん様(村田町 2006.7.8)
宮城交通 三菱MR510
仙南交通カラーの短尺車。中央の青い帯以外退色して(或いは消されて)いるので一瞬岩手中央バスかと思いました。
前ドアの丈がちょっと短いのでツーマン車に前ドアを増設した車両だと思います。所属を示すシールに「村」とありますので村田配置だった車両でしょう。
前照灯2灯ですので1964〜65年式だと思います。
廃車体
撮影:海さん様(鳴子町 2005.9.21)
宮城交通 日産デ4RA94
前ドア車に中ドアを増設したと思われる廃車体。中ドアの上の部分だけ錆が進んでいるあたりが、過去の改造を物語っているような気がします。
かつて宮城交通ではこのような改造車が多数あり、タネ車や時期による違いがかなりありました。これは元仙南交通でしょうか。
廃車体
撮影:一関市民様(仙台市 2007.5.6)
宮城交通 いすゞBA20(1969年式)
撮影:一関市民様(仙台市 2007.5.6)
集会所に併設された状態の廃車体。宮城交通の1970年代カラーが見えますが、その下にはライトブルーも見えますので、元仙南交通と思われます。
恐らく前中引き戸の車両と思われます。年式は後部のエンジン通気孔の形状からの推定です。
廃車体
撮影:海さん様(大崎市 2007.6.11)
宮城交通 日産デ4RA94(1966年式)
撮影:海さん様(大崎市 2007.6.11)
後面に「エアサス」のUDプレートが残る廃車体。側面最後部の窓が丸型なので、このボディの観光型の中では前半のもの。
一部に青い色が見えるため、元仙南交通であることがわかります。後面に広告をつけた枠があるため、最後は前ドアのまま路線バスに格下げされていたと想像します。
廃車体(宮2く453)
撮影:一関市民様(築館町 2004.9.5)
宮城交通 日産デ4RA94(1968年式)
撮影:一関市民様(築館町 2004.9.5)
元仙南交通の前ドア車の廃車体。日産ディーゼルのエアサス車で,ヘッドライトは2灯。
カラーは宮城交通成立後のデザインに塗り替えられていますが,側面の裾の方に青い色が見えており,仙南交通をしのぶことが出来ます。前ドアの後ろに「石」と書いた四角いシールがありますが,これは現役時代に石巻の配属だったと言うことでしょうか。
なお,撮影者によるとこの車両の現役時代の登録番号は宮2く453だそうです。
(撮影者によると、2009年12月現在撤去済み)
(注1)
現役時代の写真がありました
この車両の現役時代の写真がありました。数少ない宮城交通の写真の中で、同じナンバーの車両の写真を撮っていたとは、珍しいことがあるものです。
撮影:仙台市(1977.8.7)
廃車体
撮影:菅原義人様(鳴子町 2005.4.24)
宮城交通 日産デ4RA95(1970年式)
撮影:菅原義人様(鳴子町 2005.4.24)
観光タイプの前ドア車。「一般貸切」の文字が残りますが、最後は路線に格下げされていたものと思います。「古」の文字がありますので、古川営業所の車両でしょう。
下の写真の車両から後面を中心にマイナーチェンジがなされたもので、路線バスで言えばサッシ窓が標準になった時期です。
元仙南交通で、青い旧カラーの跡が見えます。
廃車体
撮影:海さん様(蔵王町 2006.4.16)
宮城交通 三菱B805J
呉羽ボディの「かけら」です。どうしてこんな感じに後部だけ切り取られてしまったのかは分かりませんが、こうなると鉄くずにしか見えなくなります。
型式は、残っている窓の大きさからの推定です。似たような車両は仙南交通にいたようなので、ここに掲載します。