その後の廃車体
宮城県(その他)
宮城県のその他の廃車体です。宮城県内のバス事業者の廃車体で、県外にあるものもここで取り上げます。
廃車体
撮影:幹アキいーろく様(宮城県 2024.10.21)
元京阪宇治交通 日野U-RU3FTAB
京阪国際観光から京阪宇治交通に移籍したという初代セレガGJ。京阪宇治交通の“うらら”と呼ばれる十二単をモチーフにしたカラーに塗られています。
型式は撮影者によります。
廃車体
撮影:一関市民様(一関市 2003.8.24)
元東北急行バス 日野RV550P
工業団地内に置かれている廃車体です。側面最前部の窓が下がっている点は1960〜70年代の長距離バスの特徴。日野−富士重工という組み合せや,窓柱の色,側面に残る「Express」の切文字の名残などから,東北急行バス出身と推察しました。
しかし,「自家用」の文字があることから,営業用での用途廃止後,自家用バスとなった期間があるようです。カラーデザインについては,自家用時代のものでしょうか。
(撮影者によると、2008年現在撤去済み)
廃車体
撮影:一関市民様(大崎市 2011.9.11)
自家用 日産デU30L
観光ボディですが路線バスシャーシのU30。それも、窓を通して反対側を見ると、中ドアという仕様です。送迎バスかなんかのようですが、珍しいドア配置です。
廃車体
撮影:むっく様(大崎市 2008.3.20)
帝産オート 三菱R490
撮影:むっく様(大崎市 2008.3.20)
宮城県内の廃車体ですが、残されている塗り分け線から帝産オートの旧カラーようです。上半分は塗り替えられています。
車両は呉羽ボディの前ドア車。
廃車体
撮影:むっく様(加美町 2008.5.5)
帝産オート 三菱MAR420
撮影:むっく様(加美町 2008.5.5)
呉羽ボディの貸切タイプです。よく「たらこ唇」と呼ばれることがあるボディの原型とも言うべきものですが、その唇(社名表示とライト部分)の造形はまだ直線基調です。後面スタイルが丸型なので、1966年式以前のものと思われます。
社名表示に「帝産」を消した跡があるので、元の所属会社が分かりますが、この塗り分けは初めて見ました。
廃車体
撮影:終点横川目様(大崎市 2008.6.21)
元静岡鉄道 三菱B905N
どこかに放置されていた廃車体がスクラップ工場に運ばれてきました。つる草が屋根に絡まり、引っ張り出すときに壊れたのかステップがくの字にひしゃげた状態ですが、恐らくこのまま解体されてしまうのでしょう。
型式は推定です。
廃車体
撮影:海さん様(石巻市 2006.5.19)
自家用 日野RB10P
帝国ボディの観光バスの廃車体。前ドアで斜めのメトロ窓が並ぶスタイルはかつてデラックス車であった名残でしょう。
場所柄最後は自家用として使用されていたものと推察できますが、どうもこのカラーリングは四国の伊予鉄道とそっくりです。伊予鉄道には日野車が多いことから、その関連性は想像できます。
廃車体
撮影:栗原大輔様(柴田町 2007.6.13)
自家用 いすゞK-CRA580
川重ボディのハイデッカーⅠ型。ダクトが側面にあるので後期の物と思います。
塗り分けがいかにも元国際興業グループカラーという感じなのですが、正面に「V10S」のプレートがついているため、該当車両が思い当たりません。偶然色が似てしまったということなのでしょうか。
型式は推定です。
廃車体
撮影:左党89号様(本吉町 2008.10.12)
本吉タクシー 日野P-RU638B
宮城県のタクシー会社の大型貸切バスの廃車体。まだほとんど汚れがない状態のため、廃車になって間もないものと推察できます。
フルデッカーで折り戸という仕様。また側窓は開口部の大きいタイプなので、年式的にはセレガ登場直前の辺りと推察します。
型式は推定。
廃車体
撮影:海さん様(栗原市 2005.11.30)
自家用 三菱MR520
前ドアの自家用バスです。短尺車で、今なら中型車が選択されるところですが、この当時はこのサイズの大型車が中心でした。
廃車体
撮影:海さん様(志田郡 2006.11.17)
自家用 日野RL100
撮影:海さん様(志田郡 2006.11.17)
宮城県内の高校の自家用バス。いかにも金産ボディという丸みのある特徴を持つ中型バス。この型式は1970年以降の製造で前照灯4灯になっていますが、非常口は中央部で残ります。