1970年代奥の細道

国鉄バス2(いすゞ車)

板橋不二男様から頂いた1970年代撮影の国鉄バスの写真の中から、岩手ナンバーのいすゞ車です。
国鉄バスのいすゞ車は、国鉄指定車体の帝国ボディが多く見られましたが、川崎、富士の両ボディも混じっています。他のシャーシに比べ、それなりにバラエティに富んでいます。
国鉄バスは転出転入が激しく、登録番号と年式は必ずしも一致しません。ここではほぼ年式順に並べてみます。

岩2く9529
岩2く9529

撮影:板橋不二男様(岩泉営業所 1977)

日本国有鉄道 いすゞBA01N(1968年式)

短尺ナローの国鉄バスでいわゆる2型と呼ばれるサイズの車両。岩泉には何両か存在したようで、今も同形車2台が仲良く並んでいます。
車番は231-8001ですので、1968年式。

岩2く9556
岩2く9556

撮影:板橋不二男様(岩泉営業所 1977)

日本国有鉄道 いすゞBA01N(1969年式)
岩2く9556

撮影:板橋不二男様(岩泉営業所 1977)

こちらは、上の写真で左側に並んでいる車両で、231-9005という車番から、1969年式であることが分かります。同形車ながら隣りの車両と年式が異なります。
後ろ姿の並んだ姿を見ると、の1968年式がバス協テールなのに対し、1969年式は丸いテール灯が縦に並んでいます。

岩2く9562
岩2く9562

撮影:板橋不二男様(岩泉営業所 1977)

日本国有鉄道 いすゞBA01N(1969年式)

短尺ナロー車の続き番号。231-9006
手書きの方向幕に「猿山」とありますが、田野畑村にある地名で、その後国鉄が廃止し、田野畑交通が運行するようになる路線だと思われます。

岩2く9562
岩2く9562

撮影:板橋不二男様(岩泉営業所 1978頃)

日本国有鉄道 いすゞBA01N(1969年式)

上の写真と同一車両ですが、新塗装に塗り替えられています。撮影年が1年ほど違うようなので、その間に塗り替えられたということになります。
帝国ボディの丸形のスタイルですが、中型サイズの車両は遅くまでこのスタイルで製造されていました。

岩2く9560
岩2く9560

撮影:板橋不二男様(北福岡営業所 1977.3.21)

日本国有鉄道 いすゞBU10(1969年式)

側面の前ドア次位に小さい窓が二つ並んでいるのが見えますので、標準尺のBU10であることが分かります。この型式で前中引き戸というのは国鉄バスでは初めて見ました。
車番は521-9029
行き先は「北福岡−浄法寺」。浄法寺町は鉄道のない町。今でこそ八戸自動車道の浄法寺インターチェンジがありますが、当時は路線バスが重要な足になっていたはずです。

岩2く9582
岩2く9582

撮影:板橋不二男様(北福岡営業所 1977.3.21)

日本国有鉄道 いすゞBU05(1970年式)

1970年頃までの国鉄バスワンマンカーの標準だった前中引き戸車。正面には系統幕、後面にも方向幕があるほか、中ドア前位の窓に側面方向幕があるという仕様です。
車番は521-0102
行き先は「仁左平」。北福岡駅から県立福岡病院を経由して仁左平へ向かう二戸線です。

岩22か169
岩22か169

撮影:板橋不二男様(北福岡駅 1973)

日本国有鉄道 いすゞBU05(1971年式)

北福岡駅前で発車を待つ荒屋新町行ワンマンカー。国鉄バスのワンマンカーは、中ドアを締切にし、前ドアでの乗降となっています。
車番は521-1107

岩22か361
岩22か361

撮影:板橋不二男様(岩泉営業所 1977)

日本国有鉄道 いすゞBU10P(1972年式)

帝国ボディの中ドア車。当然ツーマン車ですが、なぜかエアサス車です。バンパーから棒が1本伸びていますが、急行板を刺すのでしょうか。
車番は531-2506

岩22か1129
岩22か1129

撮影:板橋不二男様(岩泉営業所 1978頃)

日本国有鉄道 いすゞBU10P(1972年式)

帝国ボディの中ドア車。岩泉にはそれなりの数が配置されていたようです。
車番は531-2509
方向幕には「竜泉洞前」と出ています。

岩22か220
岩22か220

撮影:板橋不二男様(北福岡営業所 1977.3.21)

日本国有鉄道 いすゞBU20P(1972年式)

路線バスマスクですが、冷房付、リクライニングシート、メトロ窓のデラックス仕様の車両。盛岡金田一急行線に投入された車両だそうです。
車番は631-2905
この時は車庫の奥で待機中だったようです。

岩22か213
岩22か213

撮影:板橋不二男様(北福岡営業所 1977.3.21)

日本国有鉄道 いすゞBU15KP(1972年式)

冷房付、リクライニングシートのデラックス仕様の車両。どこからか転入してきたようですが、年式とナンバープレートはほぼ一致しています。
車番は641-2907
側面方向幕には「北福岡−軽米」と出ており、久慈へ向かう途中の山間部にある軽米町へ向かう軽米線です。約1時間の行程ですから、このくらいの装備のバスは有難かったと思います。

岩22か575
岩22か575

撮影:板橋不二男様(北福岡営業所 1977.3.21)

日本国有鉄道 いすゞBU04(1974年式)

岩手県内の営業所ではそれなりの数が見られたと思われるいすゞの中ドア車。1974年式でのツーマン専用車というのは、全国的にはそう多くはないはずです。
車番は521-4101
方向幕には「金田一温泉」と出ています。どのあたりで車掌が必要だったのか、当時の道路状況が分からないので何とも言えません。

岩22か579
岩22か579

撮影:板橋不二男様(遠野営業所 1980頃)

日本国有鉄道 いすゞBU04(1974年式)

やはり中ドア車で、年式も同じですが、こちらは車番が531-4024。つまり、上の521形に対してこちらは531形です。上の車両は前の方に1人掛けシートが見えますので521形に、こちらは2人掛けなので531形になったのだと思います。
方向幕は「岩手上郷−遠野」。遠野市南東部に向かう来内線の中で、国道283号線区間の釜石線岩手上郷までの区間系統でしょう。

岩22か692
岩22か692

撮影:板橋不二男様(岩泉営業所 1977)

日本国有鉄道 いすゞBU04(1974年式)

やはり中ドア車で、車番は531-4025。やはり531形です。
正面の方向幕の中身は、幅の狭いものを入れているようです。旧式車両からの流用品を、このように使用することは間々ありました。

岩22か638
岩22か638

撮影:板橋不二男様(早坂高原 1977)

日本国有鉄道 いすゞBU15KP(1975年式)

盛岡と岩泉を結ぶ早坂高原線用に投入された冷房車。連番で4両が配置されています。補助椅子付のハイバックシートが見えますが、車番のうち3桁形式の2桁目が3なので、リクライニングシートではありません。
車番は531-5906
このグループの車両は、私が岩手県で生活していた1980年代にも早坂高原線で使われていました。

岩22か935
岩22か935

撮影:板橋不二男様(早坂高原 1977)

日本国有鉄道 いすゞBU15K(1977年式)

1975年式と同様に早坂高原線用に投入された冷房車。外観は1974年式とほとんど同じですが、車番の4桁番号の上から2桁目が4なので、エアサスではありません。
車番は531-7402
型式は推定です。

岩22か1621
岩22か1621

撮影:板橋不二男様(一ノ関営業所 1981頃)

日本国有鉄道 いすゞCCM410(1979年式)

系統幕がついた1979年式の中型車で、1981年に4両がまとまって岩手県内に転入してきました。ここでは2台が並んでいます。転入間もないころでしょうか。
車番は331-9002。隣にいるのは331-9001

宮22か667
宮22か667

撮影:板橋不二男様(一ノ関営業所 1977.3.20)

日本国有鉄道 いすゞBU15KP(1974年式)

仙台盛岡急行線の仙台〜一関区間系統の特急バスに使用される車両で、宮城ナンバー。車番は641-4909
これの続き番号の車両は岩手ナンバーでの登録車両もありました。

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