方向幕100連発
岩手県交通の
“その頃”の方向幕をひたすら並べてみました。
知っている人には面白いけれど、知らない人には全く興味の沸かないコーナーです。
方向幕というのは、地域性もありますし、会社の考え方や、さらには方向幕担当者の考え方なども現れ、千差万別。乗客にとっては、必要不可欠のものですが、眺めてみると感心するものから首をひねるものまで様々です。
なお、方向幕だけを撮影した写真は少ないので、中には車両写真から拡大したものや写りの極端に悪いものもあります。表示に時間がかかるかとも思いますがお許しください。
001〜007 盛岡市内線(松園)
撮影:松園営業所(1988)
001
盛岡市内線の標準的パターンの方向幕です。左に経由地が2段書きされています。
写真は松園営業所開設後の駅上田線。
ほとんどの車両についていた系統幕が使用されていないのは、長年の県交通の特徴でもありました。
撮影:黒石野営業所(1984)
002
「本町経由東松園2丁目行」と言うのは松園外山岸線。松園営業所が出来るまでは、東松園2丁目で終点となり、黒石野まで回送して来ていました。
本線格である上田線のほうは、松園ニュータウンを1周するので、「松園ニュータウン」と表示していました。
撮影:黒石野営業所(1984)
003
松園外山岸線の盛岡駅行きの方向幕でですが、経由地には「洞清水団地・本町通」と書いてあるように見えます。この系統のほかに、菜園通り経由というのもありました。
撮影:松園営業所(1986)
004
松園外山岸線は、松園営業所の開設に伴い経路が変更され、行き先が晴れて「松園ニュータウン」に変わりました。
この時期に作成された方向幕は、ちょっと太字のフォントになりました。
撮影:矢巾営業所(1984)
005
「黒石野」と言う方向幕ですが、これは矢巾営業所からの上田流通団地線。上田線など本線筋の場合は、行き先の「黒石野」だけの表示だったと思います。
黒石野には松園営業所の前身となる営業所がありましたが、方向幕には「営業所」の文字はありません。また、末期にはこの黒石野の営業所のことを「松園営業所」と呼んでいたりしたようです。
撮影:滝沢営業所(1984)
006
松園ニュータウン行ですが、「北高校・館坂橋経由」というのは滝沢営業所からの松園北高線です。平日2往復しかない系統なので、方向幕もレアな存在です。
撮影:盛岡市(1987)
007
松園営業所の開設に伴い、上田線の系統変更が行われ、これまでの「黒石野行」「松園ニュータウン行」が「松園(営)行」に整理されました。
008〜015 盛岡市内線(滝沢)
撮影:滝沢営業所(1984)
008
数多い滝沢営業所行の中でも、「スケート場口・北高校経由」は盛岡北高線です。
同じ滝沢営業所行きでも「滝沢営業所」という表記のものが1986年ごろに現れましたが、残念ながら写真がありません。
撮影:滝沢営業所(1984)
009
滝沢営業所から盛岡市内へ向かう系統の中で、「上の山団地経由」の青山町線です。
滝沢営業所から盛岡駅経由で盛岡バスセンターまで行く系統は、県営体育館経由、青山一丁目経由、天昌寺経由、盛岡北高校経由、そしてこの上の山団地経由と色々ありました。
撮影:滝沢営業所(1986)
010
青山町線のうち「市立病院行」です。市立病院は現在の「鉈屋町」の所にありました。
青山町線の中で盛岡駅を経由しないのはこの「市立病院」と「茶畑」の2つで、両系統とも日中は1時間に2本の割合で走っていました。更に「市立病院」系統は「県営体育館経由」と「青山1丁目経由」に分かれていました。
撮影:盛岡市(1985)
011
「附属中学行」は滝沢営業所からの青山天神線です。経由地には「本町・天満宮」と書かれています。この「天満宮」がこの路線のかつての終点だったのか、乗務員はこの路線を「天満宮」と呼んでいました。
撮影:盛岡市(1984)
012
路線再編前の厨川線の「北巣子行」です。この他に「巣子車庫行」「東北農試行」がありました。この後、この路線は厨川中央線となり、行き先は「巣子車庫行」(旧北巣子)に統一されました。
なお、「東北農試」は後に「農業研究センター」に名前を変えたようです。
撮影:盛岡市(1985)
013
「種畜牧場」というのは今の「岩手牧場」。写真は黒石野の車両なので黒石野下厨川線ですが、河南営業所の下厨川線、滝沢営業所の天満宮下厨川線そして巣子車庫などのみたけ中央線、みたけ東線と様々な系統が寄り集まって走っていました。
撮影:滝沢営業所(1986)
014
みたけ西線の方向幕です。数多くの系統が輻輳するみたけ地区ですが、みたけ西線だけは「日本たばこ」が終点です。方向幕には「西みたけ」と表示していました。
撮影:黒石野営業所(1986)
015
「月が丘経由 滝沢(営)行」というのは滝沢営業所行の方向幕の中では全くもって見慣れないものですが、撮影が黒石野なので、青山松園線であることが分かります。松園エリアと滝沢エリアを結ぶ平日の朝夕のみの路線です。経由地を「青山」ではなく「月が丘」にした理由は分かりませんが。
016〜018 盛岡市内線(矢巾)
撮影:盛岡駅(1984)
016
盛岡市内線の標準パターンですが、字体が角ゴシックなので、少し古いタイプのようです。
三本柳と流通団地を経由して矢巾営業所へ行く川久保線です。矢巾(営)や滝沢(営)は経由地に様々なバリエーションがあるため、赤い小さな経由地表示が重要な手掛かりでした。
撮影:盛岡駅(1984)
017
川久保線の「盛岡駅」行。川久保線というのも、その後様々なバリエーションが増えた路線です。もっとも、この時点では、矢巾営業所行と都南村役場止めの2系統だけでした。
撮影:盛岡駅(1986)
018
1986年に新設された南インター経由川久保線の「つどいの森行」。矢巾営業所の担当路線は、経由地がバラエティに富んでいて、方向幕の数も膨大でした。
019〜023 盛岡市内線(河南・都南)
撮影:河南営業所(1986)
019
単なる「盛岡駅」と言う方向幕。系統が複雑になってくると、こういう基本的な表示はあまり目にしなくなります。
河南営業所では、河南営業所〜盛岡駅間の南大通り線などにこの幕を使用していました。
撮影:盛岡市(1988)
020
浅岸線の「紺屋町・下の橋経由盛岡駅」と言う方向幕。盛岡市内にこの経路で入ってくる系統は、この路線だけでした。
撮影:河南営業所(1986)
021
盛岡市内線の標準的な表示方法ですが、行き先が長いため経由地の表示が狭くなっています。「駅・太田経由盛岡市立高校行」という表記は太田線の内の1系統。河南営業所が担当していました。
撮影:盛岡駅(1984)
022
「太田廻り河南(営)行」という太田線の方向幕。循環系統のものだと記憶しています。
撮影:都南車庫(1985)
023
都南車庫担当の「盛岡駅」行。多分中央線のものだと思いますが、左側が微妙に空いていて、経由地か何かが入っていた感じです。かつて複数の系統があった名残でしょうか。
ちなみに中央線の下り便の終点は「都南車庫」ですが、行き先表示は「都南の園」でした。
024〜029 雫石営業所
撮影:雫石営業所(1984)
024
網張温泉線は盛岡からの便は急行でしたが、この幕には急行の文字がありません。朝1本だけあった雫石駅発網張温泉行きに使用される幕かもしれません。
撮影:盛岡市(1984)
025
盛岡バスセンター発の雫石線の方向幕。表示は「雫石」とシンプル。ほかの路線にも共通使用していたのかもしれません。
撮影:雫石営業所(1985)
026
雫石営業所管内のローカル路線、西山線です。「西山経由玄武温泉行」
撮影:雫石営業所(1985)
027
玄武温泉行きには2系統あり、こちらは西根経由の西根線です。経由地の表記の仕方が、ちょっと盛岡市内線に近くなっています。
撮影:雫石営業所(1984)
028
鶯宿温泉行きには、鶯宿温泉線(つなぎ温泉経由)と雫石線(雫石駅経由、または雫石駅始発)がありました。「鶯宿温泉」だけの表示は、雫石駅始発便のものと思われます。
なお、この幕は字体が極太の角ゴシックである点が特徴です。
撮影:盛岡バスセンター(1984)
029
鶯宿温泉行きの中で、「つなぎ・天昌寺経由」と2段表示した盛岡市内線方式の表示は、鶯宿温泉線です。
030〜044 種別がある方向幕
撮影:盛岡バスセンター(1984)
030
盛岡から花巻へ国道を経由して向かう路線には急行の種別がついていました。
花巻側の終点「花巻(末広町)」は、「花巻バスセンター」廃止により終点場所となりました。
撮影:盛岡駅(1985)
031
盛岡から小岩井農場に行く急行。停車個所は網張温泉線と同じで、その1系統という位置付けだったようです。
表記は「小岩井農場遊園地」で、上に小さく「急行」の赤文字が入っています。
撮影:盛岡駅(1985)
032
盛岡から網張温泉に行く網張温泉線は急行の種別。
見にくいですが経由地は緑文字で「小岩井農場」と入っています。3色の色分け方向幕というのも、当時の岩手県交通では珍しいものでした。
撮影:都南車庫(1986)
033
これは急行の「盛岡バスセンター」行。河南営業所(都南車庫)の配属車で、雫石スキー場線に使用する際の表示だったようです。
撮影:遠野市(1985)
034
盛岡から大船渡までのバスは、一般道を走るバスでは県交通で最長路線と思われますが、種別は急行。内陸〜沿岸を結ぶほかの都市間バスは特急ですが、この路線は停車場所が多いので、急行にしたのでしょう。
撮影:盛岡バスセンター(1984)
035
盛岡から高速道路経由で花巻空港に向かう空港バスは特急の種別がついていました。
高速バスは一律に特急だったようです。
撮影:北上車庫(1988)
036
北上〜釜石間の特急。釜石の終点は「釜石東前」です。
撮影:南大通車庫(1986)
037
盛岡〜釜石間の特急。1985年のダイヤ改正で、新設された大槌便で「特急釜石経由大槌」行と表示されています。
撮影:水沢営業所(1985)
038
水沢〜大船渡間の特急です。小さく「新幹線水沢江刺駅経由」と書かれているところが、この路線に対する期待を物語っているようです。
撮影:一関営業所(1986)
039
一関と気仙沼を結ぶ特急バス。方向幕に特急の文字がありますが、大きな看板でもだめ押しの表示。並行して一般路線も走ることから、誤乗防止の意味もあるのかもしれません。
撮影:都南車庫(1986)
040
高速バスは一貫して特急の種別。
これは「弘前バスターミナル」行のヨーデル号。高速バスの場合、新車購入時の方向幕で面白味に欠けるので、この1枚だけを代表としてお見せするだけにします。
撮影:盛岡バスセンター(1984)
041
盛岡からの大迫行は、バスには珍しい準急の種別。
盛岡から日詰までは030の花巻行きと同じ急行運転、日詰から大迫までは各駅停車になります。
興味ある準急バスではありますが、印刷物の時刻表などでは「急行」と記載されていました。
撮影:盛岡駅(1986)
042
珍しい種別と言えばこの快速も同様です。早坂高原線の「早坂高原経由快速盛岡駅」行で、共同運行する国鉄バスが「急行竜泉号」と呼んでいた便の事だと思います。なぜ急行でなく快速にしたのかは分かりませんが。
撮影:一関営業所(1986)
043
一関営業所の定期観光バス。車両が特急と共通だった関係で、表示板と方向幕の併用です。両方に定期観光と表記しています。
撮影:一関営業所(1986)
044
やはり一関の定期観光バスですが、行き先に「一関」と表記しています。中尊寺などを巡るこのコースが,途中乗下車も可能なため、路線バスと同様終点表記をしたものと思われます。
045〜051 系統番号つき
撮影:花巻営業所(1985)
045
花巻営業所配属車で見かけた系統番号付。恐らく花巻バス時代のものと思われるもので、左側の系統幕の部分に丸に囲まれた1番の文字が見えます。
方向幕は「松山寺経由花巻温泉行」ですが、「経由」の文字が赤の縦書きです。
撮影:東和営業所(1984)
046
東和営業所で見かけた系統番号付。やはり丸に12番と書かれたもので、花巻バス時代のもののようです。
撮影:雫石営業所(1984)
047
雫石営業所のローカル路線車ですが、系統幕に「郊外」と言う文字が入っています。この系統幕は、雫石のものではなく、前配置場所の釜石地区で使用されていたもののようです。
撮影:大迫営業所(1986)
048
1980年代版の系統番号が採用された大迫営業所の一例。「迫9」は「大迫営業所〜石鳥谷駅前」間の大迫石鳥谷線。
花巻バスエリアの車両は、系統幕が入っているのに、それを使わずに系統番号を表示しているのは、ちょっともったいない感じもしました。
撮影:盛岡バスセンター(1986)
049
上の方の041が原型となる盛岡大迫線で、「迫107」という系統番号と「日詰経由」と言う文字が加わって、狭いスペースが非常に賑やかです。準急の種別は健在。
撮影:一関営業所(1986)
050
千厩営業所の系統番号付方向幕。「千64」は「千厩営業所〜一関」間の系統で気仙沼線の区間系統とされています。
系統番号が入った以外は従来の表記とあまり変わらないようで、「経由」の文字が縦書きです。
撮影:東和営業所(1987)
051
東和営業所管内でも系統番号が導入されていたようです。「東6」とあり、行き先が「田瀬大橋」なので、田瀬線のようです。経由地やフリー区間も入れられ内容に満ちています。
052〜056 花巻・北上地区
撮影:花巻営業所(1985)
052
花巻営業所管内の行き先だけを示したノーマルな方向幕です。
元岩手中央バスの車両ですが、系統窓に幕が入っています。
撮影:花巻営業所(1986)
053
「更木経由花巻駅行」。北上からの路線の中の1系統と思われます。
撮影:花巻駅(1984)
054
こちらはかなりシンプルな「北上駅行」。系統幕は白幕表示。
撮影:花巻営業所(1985)
055
花巻から北上への路線の方向幕。経由地を2段書きしたあたりは盛岡市内線とよく似ていますが、「経由」の文字が赤で入っています。
撮影:北上営業所(1986)
056
上と同様経由地を2段書きした方向幕。「上野町・村崎野経由北上営業所行」です。
県南バスカラーの車両なので、北上営業所の配置車両だと思います。
057〜070 旧県南バスエリア
撮影:水沢営業所(1985)
057
水沢営業所の方向幕「二ノ台」。
胆沢町方面に向かう小山線です。
撮影:江刺営業所(1985)
058
江刺営業所の方向幕「江刺バスセンター」。経由地が赤文字で2段書きされているところは、盛岡市内線とよく似ています。ただ「経由」の文字が小さく入っており、その文字も糸偏のない略字になっています。
なお、“その頃”岩手県交通には「バスセンター」がたくさんありましたが、そのほとんどは営業所の呼称を変えただけでした。
撮影:一関駅(1985)
059
一関営業所の方向幕「番台」。
1987年の路線図には既にこのバス停名称はなく、1986年ごろに廃止になった路線ではないかと想像します。
撮影:江刺営業所(1986)
060
江刺営業所の方向幕。「口沢」は江刺市の住田町境にある地区名で、この路線の終点だと思われます。この地区の地理に明るくないのですが、経由地と思われる「赤金」のほうが大きい字で書いてあるのが、この方向幕の珍しいところです。
撮影:水沢営業所(1984)
061
水沢営業所の方向幕。「愛宕」と書いて「あたご」と読みますが、この地名は愛宕山なども含めると全国で見ることができます。
胆沢町方面に向かう馬留線です。
撮影:一関営業所(1986)
062
一関と水沢を結ぶ水沢・一関線の「中尊寺経由水沢行」。国鉄のレールと並行しながら主要都市間を各駅停車で結ぶ路線は、かつてはドル箱路線でしたが、徐々に凋落傾向にありました。
撮影:一関駅(1984)
063
一関営業所管内の方向幕です。「一関行」ですが、文字の間に「本郷経由」を赤文字で入れています。このような入れ方は、国鉄バスでも見ることが出来ました。
撮影:一関駅(1984)
064
「中尊寺行」です。系統にもよると思いますが、観光客にとってはこういうシンプルな表示のほうが安心して利用できます。
撮影:大東営業所(1985)
065
大東営業所の方向幕。「猿沢経由山滝」と書いてあり猿沢線の幕のようです。中央に寄った感じが特徴です。
撮影:千厩営業所(1985)
066
千厩営業所の方向幕。「根山」と言うのは奥玉線の方向幕です。
撮影:釜石東前(1985)
067
釜石地区の方向幕。「大橋」と言うのは国道283号線を進んで仙人峠の手前あたりにあります。
撮影:釜石営業所(1985)
068
釜石営業所の方向幕で、経由地入りのもの。「経由」の文字ともども赤文字となっています。
撮影:大船渡営業所(1985)
069
大船渡営業所で見かけた方向幕。「営業所」から出て「須崎」などを経由して「さかり」まで行くようになっていますが、まるで側面方向幕のような表記です。縦寸法も微妙に合っていないので、側面幕からの流用でしょうか。
恐らく市内線と呼ばれていた路線のもの。「さかり」は漢字で「盛」と書きますが、遠くにある県都「盛岡」との混同を防ぐためか平仮名で書かれます。
撮影:大船渡営業所(1986)
070
これも大船渡営業所で見かけた方向幕。ツッコミ所は色々あると思いますが、「新幹線駅経由特急水沢」という表記です。恐らく大船渡−水沢間の特急バスに使用するための方向幕だと思いますので、新幹線駅と言うのは「水沢江刺駅」のことです。
沿岸地区と言うのは、こういったパーツにも興味深いものがあります。
071〜076 フリー区間表示入り
撮影:河南営業所(1984)
071
盛岡市内から玉山村へいたる玉山線の大型方向幕です。「玉山支所前〜城内フリー区間」と言う表記も、大型方向幕だと余裕をもって入れることが出来ます。もっとも、大型方向幕を幅いっぱいに表示していたのは、初回導入の車両だけで、以後は空の系統幕を装備した車両になってしまいました。
撮影:一関駅(1984)
072
一関営業所管内「厳美渓経由広面行」です。厳美から終点までがフリー区間であると言うことが赤文字で書かれています。
方向幕が小さかった時代は、こういうデータを入れると読みづらくなって大変でした。
撮影:水沢営業所(1985)
073
水沢営業所のフリー区間入り方向幕。「北股」という行き先で,フリー区間の文字は残念ながら細かくて読めません。
(注2)
撮影:千厩営業所(1985)
074
千厩営業所のフリー区間入り方向幕。フリー区間の表示は右側が多い中、千厩では左に入っていました。
撮影:大迫営業所(1986)
075
大迫営業所の系統番号付方向幕。「迫3」は「レナウン工場前〜黒森」間の黒森線。途中「立石〜黒森間」がフリー区間になります。
撮影:高田営業所(1988)
076
高田営業所に88年に新製配置されたマイクロバスの方向幕です。「二又〜合場フリー区間」と言う表記から合場線であることが分かります。高田営業所には、1986年に系統番号が導入されたはずですが、この幕には表記されていません。
077〜081 特殊路線
撮影:盛岡駅(1985)
077
見にくい写真ですが岩山定期観光線の方向幕で、「盛岡駅−岩山展望台」という両矢印の表示です。考えてみれば、岩手県交通に両矢印の方向幕というのは、あまりなかった気がします。
撮影:河南営業所(1986)
078
冬季間の路線で、太田ハイランドスキー場線。「河南(営)−太田ハイランド」という両矢印の表示です。青色を使い、手書きのように見えます。
撮影:雫石営業所(1987)
079
これは明らかに手書き。大きさも合いませんが、ちゃんとガラスの内側に入れてあります。
鶯宿温泉と雫石スキー場を結ぶスキーバス。温泉に宿泊して昼間はスキーをするというニーズにこたえるバスでしょう。
撮影:河南営業所(1986)
080
ボンネットバス「まきば号」が冬になると「新雪号」と名前を変えます。この「新雪号」は網張スキー場に運行されると聞いていましたが、実際に走っているところは覚えていません。
撮影:盛岡市(1984)
081
盛岡市内で数多く運行されていた競馬優待バスの内の一系統です。「月ケ丘2丁目−競馬場」と表示されており、方向幕とは別にエプロンもつけていました。
082〜093 スクールバス
撮影:矢巾営業所(1986)
082
「白百合学園」と書かれたスクールバスの方向幕。ノーマルな表記ですが、あまり見覚えはありません。
写真は矢巾営業所所属の車両に装備されていたものです。
撮影:盛岡市(1984)
083
これも白百合学園スクールですが、「巣子車庫」と書かれていて厨川線(のち厨川中央線)と間違うのではないかと余計な心配をしてしまいます。よく見ると、上のほうに赤い文字で「白百合学園スクール」と書かれてあります。
同様のパターンで黒石野営業所には「高松の池口行」もありました。
撮影:都南車庫(1985)
084
「白百合学園スクール」の中ではノーマルな表記。
写真は都南車庫ですが、滝沢営業所などでもこのタイプを見かけました。
撮影:矢巾営業所(1985)
085
これは084のバリエーションですが、文字の大きさが皆同じになっています。矢巾営業所で見かけました。
撮影:黒石野営業所(1985)
086
黒石野営業所の「白百合学園スクール」。
上部に小さい赤文字で「スクール」と表示をするパターンが、黒石野の標準的パターンでした。
撮影:松園営業所(1988)
087
数ある「白百合学園スクール」の中でも新し目のバージョン。松園営業所が出来てからのもので、「スクール」の表記の下に運行区間が書かれています。
撮影:滝沢営業所(1984)
088
市立高スクールの滝沢営業所行き。スクールバスには学校名と行き先が表示されており、いくつかのバリエーションがありました。
撮影:都南車庫(1985)
089
こちらは都南車庫で見かけた「盛岡市立高校スクール」。スクールの文字があまりにも小さく、路線バスの市立高校行き(021)と混同されないかと余計な心配をしてしまいます。
撮影:矢巾営業所(1986)
090
矢巾営業所の「盛工スクール」。略称ですが、盛岡工業高校のスクールバスです。
撮影:大迫営業所(1986)
091
大迫営業所のスクールバスは、「大迫中学校スクール」と丁寧に書かれています。盛岡地区同様、こういった細やかな部分には頭が下がります。
撮影:花巻営業所(1985)
092
花巻地区のスクールバスは、赤文字で「スクール」とだけ書かれていました。
撮影:北上営業所(1986)
093
北上地区のスクールバス。やはり赤文字で「スクールバス」と書いてあります。
094〜100 その他
撮影:盛岡市(1985)
094
「岩手県交通」という表示は、主に貸切に使用する際などに掲出します。
撮影:矢巾営業所(1986)
095
やはり貸切に使用するときに掲出する「貸切」の表示。
撮影:河南営業所(1985)
096
盛岡地区の「回送」表示は「廻」の字が標準でした。これだけでちょっと古めかしい感じがしてしまったのも事実です。
釜石地区でもこのタイプを見かけました。
撮影:黒石野営業所(1985)
097
盛岡地区の「回送」の新しいバージョン。太ゴシックになり、表記も「車」がついています。
撮影:北上営業所(1986)
098
花巻・北上地区の「回送」は赤文字で書かれていました。「スクールバス」も同様赤文字でしたが、普通と違うバスを遠くから識別できると言う意味では、優れていたかもしれません。
撮影:釜石営業所(1986)
099
釜石地区で見た「回送」表示。これが最もノーマルな表記方法と言っていいかもしれません。県南バスバージョンと言うことでしょうか。
撮影:河南営業所(1986)
100
大型方向幕車両の「回送」表示。