みんなでしあわせになるまつり2006
バスの廃車体をサルベージし続ける男・海和さんが取り組んでいるまつりが宮城県栗原市で行われると聞いてはいましたが、なかなか予定が合いません。それでも、とにかくお忍びで現地に足を運んでみようということになりました。
1日目(8月5日)の細倉マインパーク会場へ行くことはできませんでしたが、2日目(8月6日)の六日町通り商店街会場へは何とか昼過ぎに到着することができました。
(撮影はすべて2006年8月6日)
ボンネットバス試乗会
「祭り」と方向幕に表示したボンネットバスが栗駒駅前の通りに停車中。乗ってみようという子供たちで大変な賑わいです。
発車前にはボンネットバスの前で記念撮影をする子供たちもたくさんいました。
車掌さん
バスには女性車掌さんが乗務しています。懐かしい帽子に車掌かばん。乗る前にはオレンジ色のキップにはさみを入れてくれます。
後ろに停車中のバスは試乗会の2台目、秋田県から来たキャブオーバーバスです。
車内の様子
試乗会に乗せていただきました。
車掌さんはドアのところで安全確認。運転しているのは海和さん自身です。
もちろん冷房はありませんので窓は全開。ご乗車のお客さんも団扇が手放せません。
ボンネットバスとキャブオーバーバス
十符風の音のボンネットバスと個人所有のキャブオーバーバスがエンジン音全開で会場の周りを走り抜けます。
2台のコンディションも上々ですが、各運転手さんのコンビネーションも上々のようです。
丸みのある後ろ姿
後面に非常口のついた丸い後ろ姿。こんなバスが2台続けて走っている光景と言うのも、遠い記憶を呼び起こします。昔はこんな感じで、広さの割りに車が少ない道路をバスが続けざまに走っていたものです。
特製団扇
ボンネットバスやキャブオーバーバスに乗るときに必要な特製団扇です。
今回の祭りのポスターに使用された栗原大輔精密画美術館のCGと精密画で構成されています。表側のデザインはくりはら田園鉄道の栗駒駅前、裏面は三輪トラックとくりはら田園鉄道の富士重工製レールバスです。
六日町通り商店街の様子
さて、次に主会場である六日町通り商店街に目を向けてみましょう。
何の変哲もない地方の商店街を買い物客が行き交っています。・・・のはずなんですが、何気なく駐車してあるスバル360。うっかりすると風景に溶け込んで見逃してしまいそうですが、れっきとした展示車両です。
こんな感じで、商店街のそこかしこに懐かしい自動車があっけらかんと停められていました。
酒屋さんの前には
白壁の蔵造りの酒屋さんの前に、「友笑」の樽を積んだ軽トラックが停車中。「へぇ、建物だけじゃなくって車も大事に使ってるんだ」と思って通り過ぎようとしたら、これも展示車でした。「火の用心」の木札や提灯をぶら下げたり、小技の効いた1台です。
1973年式の軽トラック。マツダ製です。
金物屋さんの前には
モルタル造りの金物屋さんの前に停車中なのは、配送用の3輪車「くろがね」。1957年製だそうです。
展示車両のフロントガラスには、車名や年式、そしてその年にどんなことがあったかが書かれています。1957(昭和32)年には「主婦の店ダイエー」が開店し、石原裕次郎の「俺は待ってるぜ」が流行歌となり、「パートタイマー」と言う言葉が初めて使われたそうです。
マツダ三輪トラック
閉店中の店の前にでんと置かれた三輪トラック。数ある三輪自動車の中では堂々としたフォルムが今も記憶に新しい三輪トラックです。
説明書きによると1969年式で排気量は2000ccだそうです。
八百屋さんと「くろがね」
これも渋い木造の八百屋さんと綺麗に手入れされた三輪車「くろがね」。
説明書きによると1956年式とのこと。さすがに「くろがね」と言われても私の世代には記憶がないわけです。それでもこういう原風景を目の当りにすると、なんだか懐かしい気持ちがするのだから不思議です。
右側のちょっと小奇麗なブティックとのバランスも絶妙だったりします。
ハイエース
ここはかなり新しい建物が並んでいます。そんな学習塾と街路樹を背にダブルキャブのハイエースがたたずみます。
なんだか今にも工事屋さんが車に戻ってきそうな感じです。
ぐっと新しく1969年式。・・・と思いきや二つ上の三輪トラックと同年式でした。
スポーツカーといすゞべレット
商店街の途中に、往年の名スポーツカーが並んでいるコーナーがありました。私の目を引いたのは手前側に止まっているオレンジ色の「いすゞべレット」(右下枠内)。
そういえば小学生のスーパーカーブームのとき、カウンタックだデ・トマソだと言っている友達の前で「俺はいすゞのべレットが好きだ」と言って変人扱いされたのも遠い記憶です。
日産チェリー
シャッターを閉じた製靴店の前には日産チェリー。これはさすがに展示車ではないでしょう、と思ってしまった私にとって、1977年なんてついこの前なんですが。
しかし日産チェリーと言う車名自体、現在では販売店名を残して消えてしまいました。
クーペとセダンは覚えていますが、これはハッチバックでしょうか。商店街に似合う仕様です。なので余計、自然に見えたんだと思います。
マツダ三輪
だんだんコメントがマンネリ化してきましたが、シャッターにかかれたレトロな字体とツートンカラーの三輪トラックのコンビネーションは予定調和とも言うべきでしょう。
説明書きによると1967年式で排気量は600cc。この年の流行語は「かっこいい」。これ流行語だったんですか。
重厚な存在感
そして車庫からはみ出すように顔を出している鈍重なバン。1950年式のダッチだそうです。アメ車ですね。
渋みが増した塗装面がなんとも言えません。
もちろんこれも展示車です。
日産81型バン
タクシーの車庫から顔を出すのは今回の目玉展示車の1両、日産自動車が保存する1939年式ニッサン81型バン。90型だとバスになるようですが、ボンネットの形状はまったく同じ。完全なボンネット型ではなくセミキャブなどと呼ばれていたようです。
かつては三越の所有で、かなり後年まで現役だったとの話。
バス発着所
商店街の真ん中辺りにまるでバス発着所のような風情をなす場所を発見。手前のボンネットバスは、東京都交通局の旧カラーを模した個人所有のボンネットバス。普段は江戸東京たてもの園の中に展示されていますが、今日は宮城まで遠征です。方向幕には「上野広小路」の文字が。
そして向こうのほうに2台並んでいるのが元川中島バスのメモリアルバス2両。手前が1983年式いすゞK-CQA500で奥が三菱U-MP218K。長野で復活運転していた姿そのままで停車中。
地方のバス会社にはありそうな発着所風景です。
栗原大輔精密画美術館
最後に栗原大輔さんの精密画美術館。実際の空き店舗を利用して額入り精密画や絵葉書などを販売していました。商店街に自然に溶け込んでいます。
何気なく停車している三輪車はもちろん展示車両。しかし、作為を感じさせない店構えです。
電照看板
栗原大輔精密画美術館の中で鈍い光を放っていたのがこの看板。広告によって作成された次発時刻掲示用の看板です。
多分「センス」と言う言葉がまだハイカラだった時代、マルキン百貨店はよそ行きの服を着て行く店だったのかもしれません。電話番号は31番です。
特製Tシャツ
栗原大輔精密画美術館では今回の祭りのために製作した特製Tシャツが販売されていました。中でも私のツボにはまるのは、岩手県交通のBU04と国際興業の丸型BU10。後者もそのままの姿で岩手県交通で活躍しました。
洗濯しても大丈夫とのことですが、もったいなくて着ることもできません。
会場を後にして
宮城県の海和さんから「今度祭りをやりますのでぜひ見に来てください」と連絡が入ったのは今年の春ごろだったでしょうか。「みんなで しあわせになる まつり」と言うのがいったいどんな祭りなのか。いまひとつ理解できないまま「ボンネットバスがたくさん集まる」「川中島バスのメモリアルバスも姿を現す」「日産自動車秘蔵の戦前のバンも来る」などと言う数々の殺し文句に誘われて、とうとう宮城県まで足を運んでしまいました。
くりでん栗駒駅前のボンネットバス試乗会の賑わいを通り抜け、商店街に入ってしばらく歩いている間に「ああ、こういう事だったのか」と合点がいきました。“レトロ”とか“昭和の風景”とか表現される姿を残した商店街の所どころに、往時の車が何気なく配置されている。そんな仕掛け一つで、この商店街にまた来て見たくなる、そんな気持ちにさせるのです。
もちろんこの祭りは今日だけのもの。明日からはまた普段の生活があり、実用に値する車が店の前に止まり、お店は本当に売れるもの中心の品揃えをし、お客も価格や品質次第で行くべき店を選んでゆくでしょう。
しかし今日、商店街の中を風変わりな乗物で行ったり来たりと忙しげに動き回る主催者の皆さんや、店の前に展示された自動車を眺めている人に対して「自分の店に入ってきてくれるんだろうか」と心配げな視線を送る商店の方の姿などを見て、とりあえず今日1日が何か一つのヒントになって、また何かが始まればそれでいいんだろうな、などと思いました。
もうあと少しで岩手県境というこの町を後にして、「来てよかったな」と思えた私がいました。