発見、即発掘。ボンネットバスBX
秋田県のりんご畑で発見されたボンネットバス。今回は、4月末に報告されたものを1ヶ月と経たないうちに発掘すると言う、スピーディなサルベージとなりました。
(画像は終点横川目さん、海和隆樹さん撮影)
りんご畑のボンネットバス
撮影:終点横川目様(横手市 2008.4.29)
この廃車体発見の報告があったのは、ゴールデンウィークの前半、4月末のこと。いつも廃車体画像を頂いている終点横川目さんが秋田出張のとき、ちらりと丸い後ろ姿を見かけ、その翌日確認しに行ったところ、正真正銘のボンネットバスでした。
まず簡単に眺めてみて分かることは、いすゞの2灯スタイルと北村製作所製のボディスタイルから1960年代前半の車両であるということ。そして窓の数からボンネットバスとしては長尺の車両であること。あと外装は茶色に塗りつぶされていますが、外されたドアの色から都営バスの旧カラーが見えますので、元羽後交通であることが分かります。
思い出すのは2年半前
撮影:終点横川目様(金ヶ崎町 2005.11.3)
終点横川目さんが発見して海和さんがサルベージしたバスと言えば、2年前の岩手県南バスの日産U592が思い出されます。これも北村製作所製ボディでしたが、1959年式で、今回の車両よりも古いタイプでした。上の写真と比べてみるとそのボディスタイルの違いが分かります。
撮影:海和隆樹様(横手市 2008.5.13)
譲渡交渉実る
今回のいすゞはこれまでサルベージしたものに比べてシャーシ、ボディともに好コンディションです。終点横川目さんはさっそくこの廃車体を救うことを思案し、海和さんに伝えました。終点横川目さんから連絡を受けたサルベージ隊は、早くも5月4日、現地に赴きます。
所有者の方にお伺いしたところ、りんご畑の中で倉庫として使用しているとのこと。保存目的であるなら、倉庫の代わりの物がありさえすれば、譲渡しても構わないとの回答を得ました。
写真は倉庫として使用中の車内です。サルベージ隊は4t車のコンテナを倉庫として用意し、ボンネットバスを譲渡してもらうことで所有者の方と合意しました。
1960年式と判明
撮影:終点横川目様(2008.5.17)
撮影:終点横川目様(2008.5.17)
撮影:終点横川目様(2008.5.17)
下見の過程で、海和さんが調査した結果、このボンネットバスにはボディ銘板が残っており、1960(昭和35)年式であることが分かりました。上の日産U592とは年式が1年しか違いませんが、スタイルは異なります。北村製作所がこの年にボディをモデルチェンジしたことが分かります。
1960年式と言うことになると、この長さの場合BX552と言う型式になるはずですが、シャーシ銘板が見当たりません。そこでシャーシの刻印を探し出してみると、「60-BX553」と刻印されていました。と言うことはBX553と言う型式になります。
中央の写真は後面のいすゞエンブレム、右の写真は側面の北村ボディプレートです。
撮影:終点横川目様(横手市 2008.5.17)
サルベージの朝
サルベージは発見から1ヶ月と経っていない5月17日に決まりました。今回は発見者の終点横川目様も最初から立会い、サルベージをレポートしてくれました。
写真は樹齢80年のりんごの木と並んでサルベージを待つボンネットバス。長く寄り添ってきたりんごの木とも、今日でお別れです。
終点横川目様が所有者の方からお聞きしたお話によると、このボンネットバスは1972(昭和47)年に5万円で購入したそうです。なぜバスにしたのかというと、小屋を建てるより安いからだとのこと。地震でも動かないように、タイヤの位置に4ヶ所穴を掘り、車両を固定しています。
三方シートの車内
撮影:終点横川目様(横手市 2008.5.17)
撮影:終点横川目様(横手市 2008.5.17)
当日、車内は既にきれいに片付けられていました。引き上げの日を前に、所有者の方が事前に片付けてくれたそうです。
すっきりした車内は三方シート。ロングシートが左右と後ろの三方に向かい合うことからこの名前で呼ばれます。昔の路線バスは大体こんな感じでしたが、車内での転倒事故防止の観点から1970年代以降、前向き座席が増えていきます。
なお、過去にホームレスが無断で住み着いたことがあったそうですが、1週間ほどで追い出し、入れないように入口をふさいだとのこと。なるほどこうして見ると横になる場所がたくさんあり、住みやすそうです・・・。
サルベージ隊到着
撮影:終点横川目様(横手市 2008.5.17)
終点横川目さんに少し遅れてサルベージ隊の皆さんが到着です。
所有者の方も見守る中、これから準備に入ります。
撮影:終点横川目様(横手市 2008.5.17)
引き上げに訪れたいすゞの後輩
今回のサルベージに活躍するユニック付のトラックとご対面。
トラックのほうもいすゞ製でした。車齢には40年以上の差がありますので、親子以上の開き、校長先生と小学生、社長と新入社員くらいの関係でしょうか。
埋もれたタイヤを掘り出すことから始める
撮影:終点横川目様(横手市 2008.5.17)
まず最初にトラックから大きな鉄板を降ろします。これは、農道と農園の間に側溝があり、ボンネットバスの移動に支障があるため、これを敷いて移動ルートを確保するためです。
それから、地面に埋めてあるタイヤを掘り出します。所有者の方が話してくれたように、車両を固定するために埋めたタイヤです。ユニックで適宜吊り上げながらの作業が進みます。
撮影:終点横川目様(横手市 2008.5.17)
フロントガラスにガムテープ
フロントガラスにひび割れがあったので、ガムテープで養生します。
こういう細かい配慮が出来るのも、経験を積んだメンバーならではのものでしょう。
農道へ引き出す
撮影:終点横川目様(横手市 2008.5.17)
タイヤの掘り出しが終わると、ユニックで引きながらボンネットバスを農道へ誘導します。先ほどの鉄板がかけられた場所を、ゆっくりと移動します。
やっぱりボンネットバスというのは、こういう轍のある砂利道が似合います。
これまでバスが置いてあった場所には、代わりのコンテナが新しい倉庫として設置されます。基礎部分にはきちんとブロックも置かれています。
撮影:終点横川目様(横手市 2008.5.17)
記念撮影
農道までの引き出しが終わり、ご満悦のサルベージ隊メンバー。
毎度ご苦労様でした!
海和さんのヘルメットに何か書いてあるようですが・・・この画像では見えません。
トラックに積み込む
撮影:終点横川目様(横手市 2008.5.17)
トラックへの積み込みが始まります。
左前輪がパンクしていますが、それ以外はタイヤ関係の破損は少なく、今回は以外にすんなりと積み込みが出来たようです。
街を行く
撮影:終点横川目様(横手市 2008.5.17)
積み込みが終わると、35年間の住み慣れた地を後にします。
恐らく、その35年間は街の風景も大幅に変えたものと思います。中央分離帯のある4車線道路の両側には、色とりどりの郊外型大型店の看板が並びます。このボンネットバスにとって、35年ぶりに見た街並みはどのようなものだったでしょうか。
撮影:海和隆樹様(横手市 2008.5.17)
車内の様子
撮影:終点横川目様(横手市 2008.5.17)
ここでちょっと車内の様子を再確認してみます。
運転席はメーター類もスイッチ類も非常にシンプル。床からはシフトレバーがニョキッと突き出ています。
下の2枚は、車内に残されていた表示物です。危険物の持ち込み禁止と、運輸規則の中の禁止事項の抜粋です。今でもバスの中に表示されているものですが、字体や表記内容に時代を感じます。
こういう物は、路線バスの歴史を知る中で大切な資料にもなるでしょう。
撮影:終点横川目様(横手市 2008.5.17)
エンジン健在
撮影:終点横川目様(横手市 2008.5.17)
車体の内外が非常にしっかりしている廃車体でしたが、エンジンもそのままの状態で残されており、修復は難しくなさそうです。
到着
撮影:海和隆樹様(宮城県 2008.5.17)
宮城県の保管場所に到着した頃には、日はすっかり暮れていました。
トラックから降ろす作業を開始します。
撮影:海和隆樹様(宮城県 2008.5.17)
着地間近か
最後にちょっとハプニングが。
ウインチが不調なのでクレーンを使用して降ろしていたら、バンパーを曲げてしまいました。
手で押して若干は修復できたようですが、最初がきれいだっただけにちょっと残念です。今後の修復過程で、元に戻せることを期待しましょう。