岩手県南バスのRB10P
古いバスの廃車体をサルベージすることを始めて早4年。そのノウハウが蓄積されて手馴れた作業が可能になりました。さらにいささかサルベージ疲れが出てきた海和さんに代わり、若手が芽吹いてきました。
今回は、これまでサルベージ隊の一員としてやってきた桂田さんのサルベージ報告です。
(画像は特記以外、終点横川目さん撮影)
岩手県交通 日野RB10P
撮影:終点横川目様(花巻市 2009.5.10)
最近バス廃車体の撤去が相次いでいます。この廃車体も撤去される運命にあったのですが、奇しくも所有者が「サルベージ隊」の一員、桂田さんの知り合いでした。桂田さんは、‘仕事で’この廃車体撤去を依頼されたのですが、「もったいないので自分の仕事場にする」ことを決めました。
この偶然が、解体されたかもしれない廃車体の運命を変えたのです。
この車両の素性は・・・
見たところただの古い箱型バスに見えますが、果たしてこのバスは貴重なバスなのでしょうか。
下の写真から現役時代の登録番号は岩2く1542であることが分かります。「岩2」ナンバーの時代は事業者ごとに番号を分けており、1000〜は岩手県南バスの割り当て番号でした。岩手県南バスは現在の岩手県交通の前身となった会社の一つで、一関や釜石などの広いエリアで営業しており、この車両の赤白カラーが基本でした。
広い県内に廃車体は散在していますが、このように比較的きれいな状態で残されているものは少なくなりました。
車両のシャーシメーカーは日野自動車で、車体メーカーは金産コーチ。金産コーチはかつては日野車の指定ボディとしてかなりのシェアを持っており、岩手県南バスでも数多く見られました。
この車両は前ドア車で、当初は貸切バスとして使用されたものと思われますが、側面の一部に窓配置が揃ってない部分があります。これは、後に中間部にドアを増設して路線バスとして使用する際の改造を容易にするためのもので、この時代のバスによく見られました。よく「中扉枠」などと呼ばれます。
撮影:終点横川目様(花巻市 2009.5.10)
面影を残す車内
車内は物置となっており、色々なものが散在していますが、このバスの現役時代のものもかなり残されています。座席は緑色のビニル張りで、岩手県交通の路線バスにも引き継がれた仕様です。さすがに貸切バスなので、リクライニングシートになっており、補助椅子もついています。荷物棚は金属のパイプ製です。
上で示した銘板から1968(昭和43)年製と分かりますが、さすがにこの年式ではエアコンの装備はありません。
牽引
撮影:終点横川目様(花巻市 2009.5.10)
手順としては現在地から広い場所へと引き出し、そこでトラックに載せると言う流れになります。このバスは、比較的楽に動いたそうです。
なお、このバスのフロントガラスを見てみると、下からのワイパーは運転席側1本だけで、上から手動式のワイパーが下がっています。どのように使い分けていたのでしょう。
撮影:終点横川目様(花巻市 2009.5.10)
ふそうFS
前から見てみます。運転席から顔を出しているのが、今回のサルベージの主役である桂田さんです。そしてこのセルフローダーも桂田さんの所有です。
ところで、このセルフローダーも数が増えたサルベージを自分達でスムーズに行なうため、わざわざ遠く長野県から譲り受けてきたものです。ここでは、ちょっとそのときの様子も振り返ってみましょう。
長野県で状態のいいセルフローダー中古の出物がある。
サルベージ隊の耳にこの話が入ったのは昨年の夏の話です。これまでのサルベージでは、人足は自前で済ませるものの、道具は借りてこなければならないというジレンマがありました。「自分たちでセルフローダーを所有できれば、サルベージの自由度も上がるはず」 迷うことなく購入を決めたサルベージ隊の皆さんが、早朝の信州に集まりました。
高原の山に靄がかかるさわやかな朝ですが、皆さんの目にそんなものは入ってきません。
撮影:海和隆樹様(大町市 2008.8.31)
厳しい目で点検
撮影:海和隆樹様(大町市 2008.5.31)
撮影:海和隆樹様(大町市 2008.5.31)
メンバー全員が車両の細部を見て回ります。それぞれの専門分野の中で、厳しい眼力が光ります。
この車両はふそうFシリーズの前期形の中でも最終時期である1979年6月の製造。重機回送車の標準が3軸だった当時、前期形の低床4軸車は珍しい存在だそうです。3軸車に比べ荷台が低くなった分カサ物も積め、重心も低く安定性もよく、何より雪道では抜群の走行安定性が得られるとのこと。
動作確認
撮影:海和隆樹様(大町市 2008.5.31)
ハイジャッキを作動させ、車両前部を持ち上げ傾斜をつけます。車両の積載には欠かせないこの動作を実際目の前で確認。どうやら商品に問題はないようです。
中央で目を光らせるのは渉外担当の伏見さん。全体を見渡す目を持ちます。
撮影:桂田様
セルフローダーの銘板
このセルフローダーの銘板です。
桂田さんによると、セルフローダーという車種は三菱ふそうが初めて開発し、特許取得、生産はクレーン等の架装で有名なタダノが担当したとのこと。銘板には、三菱と並んで多田野鉄工所の名前もあります。
特許の関係で当時セルフローダーは三菱ふそう以外では販売出来ず、他メーカーは荷台のみダンプカーのように傾斜するダンプローダーや、荷台のみスライド傾斜するセイフティーローダーを開発し販売していたとのことです。
仮ナンバー取り付け
撮影:海和隆樹様(大町市 2008.5.31)
すべてを確認し終わると、東北地方に向けて陸送するため、仮ナンバーを取り付けます。自ら所有し、仕事に趣味にと活用予定の桂田さんです。
本当は映画「トラック野郎」の一番星号と同じF型3軸車を希望していたそうですが、バスを載せることも考えてこの車両に決めたとのこと。「これを逃せば一生後悔する。借金をしてでも・・・」と一大決心の上での購入だそうです。
活躍するセルフローダー
撮影:桂田様
念願のセルフローダーを購入した桂田さんは、仕事に趣味に、そして知り合いからのオーダーに次々に応えてゆきます。今までできなかったことが、いくらでもできるようになりました。
そんなセルフローダーの活躍する写真の中に、気になる1枚がありました。上の画像の中央にある緑色のバス。どこかで見覚えがあります・・・。
こんな仕事もしてました
撮影:桂田様(山梨県 2009.3.15)
撮影:桂田様(山梨県 2009.3.15)
緑色に塗られたいすゞBU04。これは確か山梨県某所にあった元国際興業の廃車体。
旧型バスを所有するネットワークの中で、この廃車体のサルベージを依頼され、山梨県に出向いて運搬してきたのでした。
積み込み開始
撮影:終点横川目様(花巻市 2009.5.10)
さて、話は岩手県に戻ります。今回、信州から持ち帰ってきたセルフローダーにとって、初めての大舞台となったのです。
セルフローダーを傾斜させ、後部にアユミ板をセットします。バスには既にウィンチで引くためのロープがつけられ、あとは積み込みを待つだけです。
撮影:終点横川目様(花巻市 2009.5.10)
バス前進
ゆっくりとバスをトラックの上に引き上げてゆきます。
バスの後面に書かれている「I.K.B.」は「岩手県南バス」の略称。この部分だけは岩手県交通に変わってからもそのままだったのかもしれません。かつての私鉄やバス会社では、このようにローマ字3文字で社名を表す例が多く見られました。
ちょっと後退
撮影:終点横川目様(花巻市 2009.5.10)
バスのギアが噛んでしまい、後輪がロックしてしまいました。バックホーを持ち出し、バスを後退させます。これで何とかロックは解除されたようです。このバックホーを操るのも桂田さん自身。サルベージには何が起こっても大丈夫なように用意は万端のようです。
撮影:終点横川目様(花巻市 2009.5.10)
再度前進
再度ウィンチで引き上げます。
タイヤの空気が抜けていたため、フロントサスペンションの一部が荷台との段差に接触してしまいました。どうやら空気の抜けたエアサスが原因のようです。ジャッキを無理矢理かけて、何とかかわす事が出来ました。
積み込み完了
撮影:終点横川目様(花巻市 2009.5.10)
積み込みが完了し、満面の笑みでフレームに納まるスタッフ。
今回の主役である桂田さんを中心に、向かって右が今回のレポーター兼サポート役の終点横川目さん、左が数々の情報提供者であるOさんです。
これだけの作業をこの人数でこなしてしまうのは驚きです。
撮影:終点横川目様(花巻市 2009.5.10)
激走!!
積み込みを終えたバスを保管場所に運びます。併走する車からの撮影、迫力があります。
これだけ大きなバスを運ぶ姿は、通りすがりの人々の目にどう映ったでしょうか。
黄昏を行く
撮影:終点横川目様(花巻市 2009.5.10)
途中でレポーターの終点横川目さんはお別れです。田園地帯を去ってゆくバスを見送ります。かつてはこんなみちのくの黄昏の中を、このバスは自分の力で走っていたはずです。
秘密基地に到着
撮影:桂田様(岩手県 2009.5.10)
撮影:桂田様(岩手県 2009.5.10)
桂田さんの秘密基地(?)に到着です。何か色々な物がある場所に、セルフローダーからブルで引っ張って降ろします。
撮影:桂田様(岩手県 2009.5.10)
先輩と並んで
敷地の奥に収められました。前にいるボンネットバスは昨年の夏にサルベージした日産のボンネットバスU690です。
なお、この後、桂田さんの技術力により2台のバスはともにエンジンがかかる状態にまで復旧されました。