久々のサルベージ 三菱R2
2006年以来新たなサルベージから遠ざかっていたように見えた彼らが、ちょっと長めの冬眠から目覚め、再び動き出しました。
今回のターゲットは三菱のリアエンジンバス。箱型バスだと思って侮ってはいけません。
(画像は特記を除き、海和隆樹さん撮影)
今回の廃車体
撮影:むっく様(宮城県 2007.7.22)
今回引き上げられるのはこの廃車体。
この写真を頂いたとき、私は息を飲みました。三菱が昭和20年代末期に製造した流線形ボディ。個人的には富士重工のR7型ボディ(俗に言うテレビ型)と並ぶリアエンジンバスの傑作だと思っています。
しかし、製造期間が短かったせいか活躍の記録も少なく、廃車体として残っていると言う記録もほとんどありません。サーチエンジンで調べてみると、岡山県あたりに廃車体があるようですが、それ以外は見当たりません。
これは何とかして欲しい廃車体ですよ・・・そう海和さんに伝えました。
埋もれたタイヤを掘り出す
撮影:海和隆樹様(宮城県 2008.3.1)
まずは埋もれたタイヤを掘り出します。長く置きっぱなしになっていたせいもあり、タイヤが地面に埋まっていたのです。
ユニックでバスを少し吊り上げながら、タイヤを掘り出し、その穴に土を再び入れながら、少しずつバスを出して行きます。タイヤは長く放置されていたにもかかわらず、空気が入っており、作業の助けになったそうです。
バスを傷つけずに持ち上げる、そういうノウハウがいつの間にか身についてしまいました。
次は後輪を
撮影:海和隆樹様(宮城県 2008.3.1)
前輪を掘り出すと、ワイアを後ろ側に移し、後輪の作業に移ります。
タイヤが掘り出されると、今度は先ほど掘り出した前輪部分を中心にして、車両の向きを変えてゆきます。これは、廃車体を引き出しやすくするためです。
撮影:海和隆樹様(宮城県 2008.3.1)
後ろ姿
前輪を回転軸にして、ワイアで後ろ側を引いて行くと、これまで見えなかった後ろ姿が姿を現しました。
残念ながらエンジンは失われていますが、その分、エンジンルーム内の様子はよく分かります。ここに大型のエンジンが入っていたわけです。側面の最後部の窓がルーバー状になっていますが、これは通常は屋根上にある吸気口。
かつてはスーパーマーケットだった
撮影:海和隆樹様(宮城県 2008.3.1)
そのルーバー状の部分を近くで見てみます。こんなに大きな開口部を作ってまで吸気が必要なのか、あるいは土埃とか異物が入り込まないのか、余計な心配をしてしまいます。
開いた点検蓋に「スーパーマケット」の文字が見えます。どうやらこのバス、廃車になって最初の仕事はお店だったようです。まだ近所にスーパーなどなかった時代、郵便局の隣に据え付けられ、はやりのお店だったとのことです。
「マケット」に突っ込みを入れるのはやめましょう。今私たちが言っている「ラジオ」とか「エネルギー」とかも十数年後の人々には笑われているのかもしれません。
撮影:海和隆樹様(宮城県 2008.3.1)
ここまで頑張ってくれたユニックです
裏方ですが、廃車体の向きを変えるのに活躍してくれた4t車のユニックです。小さい体ですが、何とかバスを持ち上げたり引っ張ったりすることができました。
実際はかなり困難な作業だったようですが、バスのハンドル操作が可能だったことなどが助けになったそうです。
荷台に上げる
撮影:海和隆樹様(宮城県 2008.3.1)
続いては10t車の登場です。いつものように、バスを後ろから引いて荷台に上げてゆきます。
ちなみにぬかるんだこの土地に10t車を入れるため、砂利を2tダンプ1台分ここに敷き詰める作業をしたそうです。引っ張ったり持ち上げたりするだけでなく、廃車体のサルベージには色々な苦労が伴うのです。
撮影:海和隆樹様(宮城県 2008.3.1)
裾が傷つかないように慎重に動かしてゆきます。土に埋もれていた部分を中心に腐食が進んでいるので、瀬戸物を扱うようにそろそろと動かします。
ちなみにこのバスは上から青く塗られているようですが、後面の塗り分けから見て、現役時代も下半分が青だったようです。窓下には細い赤線が2本入っています。
このバスの素性
撮影:海和隆樹様(宮城県 2008.3.1)
ここで少し、このバスがどういう素性のバスなのか、分析してみたいと思います。
まずは車内に残っていた銘板からです。「三菱」と書かれたものが二つありますが、平行四辺形のほうがシャーシ銘板です。「三菱日本重工業株式会社」とあります。スリーダイヤは当時からあったようですが、右上の小さなワッペン形のマークはフロントにも用いられていた「ふそう」のシンボルマークのようです。
そして楕円形のほうが車体銘板。「新三菱重工業株式会社」「名古屋製作所」とあります。製造は昭和30年。このボディスタイルとしては最終期のものです。
撮影:海和隆樹様(宮城県 2008.3.1)
優雅なスタイル
流線形の外形もさることながら、パーツを見ていくごとにその優雅な特徴がいくつも見えてきます。
正面窓下には大きな楕円形のグリルのような飾りがつき、そこに三菱のエンブレムがあります。このエンブレムは見慣れたスリーダイヤではなく、上の銘板にも見られたワッペン形のものを中心に置いています。
そして側面はRのある窓に加え、3本のリブが見られます。参考文献によるとこれは車体構造とも関係あるようですが、同じ頃の川崎航空機のボディにも見られたものです。
宮城バスの下から
撮影:海和隆樹様(宮城県 2008.3.1)
社名表示は「宮城バス」とあります。「宮城バス」は現在の「宮城交通」の前身の一つです。
更にこの社名表示の下から別の文字が出てきました。「仙台鉄道KK」と書いてあるようです。
ここで、少々宮城バス、ひいては宮城交通の歴史を紐解いて見ましょう。下の図をご覧頂くとわかるとおり、宮城交通の前身3社はすべて、複雑な統合または分社を行い現在に至ります。またその中で多くの会社が鉄道会社であったという歴史もあります。(図中の青線が鉄道会社)
このバスはその「仙台鉄道」が兼業していたバス事業のものだったわけです。
宮城交通の系譜図
上の図のように、仙台鉄道は周辺のバス事業者と統合の上「宮城バス」となっています。その中に以前にサルベージしたトヨタBMが所属していた「塩釜交通」の名前も見えます。件のトヨタBMは宮城バスに所属することなく廃車となったわけですが。
本題からは逸れますが、宮城県の私鉄は兼業としてバス事業を始める中で「鉄道」の名を捨て「○○交通」と名乗ったり、さらには「○○バス」が鉄道を兼業すると言う逆転現象が見られたようです。
(この表は鉄道ピクトリアル87-3を参考にして作成しました)
車内の様子
撮影:海和隆樹様(宮城県 2008.3.1)
車内には両側に棚が設けられています。これは恐らくスーパーマーケットとして使用されていた頃のものだと思われます。その後、倉庫に使うため現在の場所に移した際にもこの棚はそのままだったようです。
倉庫として使われていた車内は、サルベージを前に所有者の方がきれいに掃除してくれたそうです。床に置かれている扉やバンパーは、車両移動を前に海和さんたちが運び込んだもの。
撮影:海和隆樹様(宮城県 2008.3.1)
車内後方
車内の後ろ側です。やはり棚が並んでいます。
最後部の両側には大きな突起があり、座席の幅を狭めています。これはエンジンの吸気孔で、外側で言えばルーバー状の側面窓の部分に当たります。この部分が三菱R2系列の大きな特徴になっています。
出発
さて、10t車に搭載を終えたバスは、所有者だった家の皆さんに見送られて出発します。かつて流行ったスーパーマーケット時代を知る方や、小さい頃バスにボールをぶつけてキャッチボールをした方などから見れば、廃車体も「そこにあって当然のもの」だったようです。
現役時代はもちろんのこと、スーパーマーケット時代、廃車体倉庫時代と地域の皆さんに親しまれてきたこのバスは、本当に幸せ者です。そして第4の人生がこれから始まろうとしています。
撮影:海和隆樹様(宮城県 2008.3.1)
撮影:海和隆樹様(宮城県 2008.3.1)
これからどこに・・・
後ろを伴走する車から眺めた様子です。
このバスがこれから一体どこに運ばれ、誰がどのように保管し、そしてまたどのような姿で保管されるのか、そこらへんはいまだ明かされていません。
しかし、普通なら単なる古いバスとして鉄屑になってしまったはずのものを、サルベージしていただいた関係者の皆さんの勇気と努力に感謝します。
日本にはまだ、ボンネットバスだけでなく箱型バスにもこのような貴重な廃車体があるはずです。