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滝沢営業所の仲間たち −準・定点観測−
滝沢ニュータウンのメインストリートは、背景に雄大な岩手山がそびえています。滝沢営業所を出発したバスは、そのほとんどがこの通りを通って盛岡市内へ向かいます。
ここでは、この通りで撮影したバス、つまり
“その頃”滝沢営業所に配属されていた数々の車両を紹介しましょう。
撮影:滝沢ニュータウン入口(1984.4.2)
国際興業から転入し、登録されて間もないBU04です。登録番号は「岩22か2015」で、滝沢営業所では一番早く登録されたBU04だったと記憶しています。
撮影:滝沢ニュータウン(1984.4.2)
真っ白な岩手山を背に盛岡市内へ向かう岩手中央バスカラーのBA30です。色が違うのと短いのとで素人目にも古いバスの部類になっていました。
懐かしい三方シートの車内でしたが、この年の冬までには姿を消しました。
撮影:滝沢ニュータウン(1984.4.6)
岩手中央バスカラーのBU10です。
盛岡市内各営業所に数両ずつが配置され、滝沢営業所には3両がありました。なぜか滝沢営業所の車両は汚れが激しく、クリーム色も黄ばんで見えました。
上の写真の4日後ですが、山の雪は急速に減っているのが分かります。
撮影:滝沢ニュータウン(1984.9.22)
滝沢営業所の面子の中では変り種の1両だった帝国ボディのいすゞBU10です。
この「岩22か1095」1両だけの存在でした。この日も、いつもの10時55分発の附属中学校行きで姿を見せました。
後を追うように走るのは、登録したての元国際興業BU04「岩22か2104」。この次に滝沢営業所に配属される「岩22か2111」によって、帝国ボディのいすゞ車は廃車になります。
撮影:滝沢ニュータウン入口(1985.12.7)
盛岡市内の岩手県交通では少数派だった日野車。
滝沢営業所には2台がありましたが、この年の冬「岩22か890」が新たに転入してきました。元は東和営業所にいた車両で、雫石営業所を経てやってきました。この時期に盛岡市内に日野車が増えるというのは、意外でしたが嬉しい出来事でした。
撮影:滝沢ニュータウン入口(1985.12.7)
元北海道中央バスのいすゞBU10Dです。鮮やかな赤い座席が特徴でしたが、私は3連テールの後ろ姿が好きでした。
滝沢営業所にだけ配属されていた車両でしたが、間もなく廃車の順番が回ってくる頃でした。
撮影:滝沢ニュータウン入口(1986.3.)
元神奈川中央交通のBU10Dです。見た所、上の車両と同じようなスタイルですが、正面の「中乗り前降り」表示が縦長で中央についているのが特徴です。
同形車は2両が黒石野営業所に配属されていましたが、この冬になぜか1両「岩22か1730」が滝沢営業所に転入してきました。変わった車両が集まる滝沢営業所だと喜んでいたのも束の間、間もなく廃車になってしまいました。
撮影:滝沢農協前(1986.3.)
貸切タイプの車両ですが路線バスです。
前ドア車は通常朝夕の一本木線用ですが、日中の間合い運用で青山天神線(附属中学行)に1往復だけ入ります。唯一の冷房車運用なので、私は夏になると選んで乗りました。
“オバQ”が主力でしたが、73SCタイプが転入してきた頃です。
撮影:滝沢ニュータウン入口(1986.5.1)
県交通オリジナルのBU10です。
国際興業からBU06やBU04がいくら入ってきても主力はまだこの車両でした。また、夜の最終滝沢営業所行(バスセンター22:30発)にも必ずこの車両が当てられており、転入車としっかり区別されているような優越感がありました。
特に滝沢の車両は汚れが激しく、貫禄さえ感じられます。
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