大船渡バスセンターの謎
県都盛岡市に「盛岡バスセンター」が開設されてから、岩手県内の各地区に「バスセンター」の名前を持つ施設が数々誕生しています。その中の一つに「大船渡バスセンター」というのがあったのですが、私が岩手県にいた頃すでにその施設は存在せず、路線図を頼りに行ってみると「サンリアショッピングセンター」というバス停しかありませんでした。
そしてもう一つ、「盛(さかり)バスセンター」というのもあったという記述も見たことがあり、何がどこにどのように存在したかという事実は、分からずじまいでした。
大船渡バスセンターと盛バスセンター
「大船渡バスセンター」行と「盛バスセンター」行が並んでいる
撮影:板橋不二男様(大船渡営業所 1977)
その疑問が再燃したのは、板橋不二男様からの提供写真を眺めていた時でした。
大船渡営業所で撮影したという1977年の写真の中に、「大船渡バスセンター」と表示した車両(左)と「盛バスセンター」と表示した車両(右)が並んでいる場面を見つけたのです。
同じ時期にこの二つの名前が並列していたということが証明されました。
1977年時点での方向幕の表示内容の色々
「盛バスセンター」と「さかりバスセンター」
撮影:板橋不二男様(大船渡 1977)
まずは、この時期の方向幕のバリエーションを見てみましょう。
写真の左側のバスは「盛バスセンター」と表示していますが、右のバスは平仮名で「さかりバスセンター」と表示しています。
この違いは、「盛バスセンター」と書くと「盛岡バスセンター」と混同される恐れがあることから、「盛」を平仮名書きにするという改善を加えた時期があったものと想像できます。
「バスセンター」
撮影:板橋不二男様(大船渡 1977)
また、このような表記方法も散見されました。地名を表記せず単なる「バスセンター」としたものです。
その中でも左の例は「盛」を消した痕跡が残るものです。恐らくそれまで「盛バスセンター」と呼んでいたものを「大船渡バスセンター」に変えるための暫定的な対処でしょう。
そして右は最初から「バスセンター」とだけ表記したタイプです。
「大船渡バスセンター」
撮影:板橋不二男様(大船渡 1977)
そしてこちらが「大船渡バスセンター」。
どちらかと言えば「バスセンター」よりも「大船渡」を大きく表示しています。
この「大船渡バスセンター」表示がその後のスタンダードになったようです。
この切り替え時期がいつなのかは定かではありませんが、1976年に岩手県南バスから岩手県交通に変わったことが、きっかけになったことは想像できます。
「大船渡」
撮影:板橋不二男様(大船渡 1977)
また、同じ時期に存在していた「大船渡」というだけの表示。これがどこを示しているのかは不明ですが、広域的な「大船渡」を意味しているなら、結局その終点は「大船渡バスセンター」ということになります。「大船渡駅」止まりのバスはなかったようですが、その一つ先の「須崎」行というのはありましたので、それを意味していた可能性もないわけではありません。
大船渡と盛との関係
ところで、そもそも論として、「大船渡」と「盛」の違いは何なんでしょうか。
現在の大船渡市は、1952年に気仙郡の7町村が合併して成立した市で、その中心となるのが大船渡町と盛町でした。現在でも両地名は大船渡市中心部に残されています。
右の地図のように、国鉄(JR)大船渡線には「盛駅」と「大船渡駅」があります。
市役所や警察署、税務署など、主要官庁は盛町の方に位置します。
バスセンターはどこにあったか
今回のテーマであるバスセンターは、盛駅のすぐ近くにありました。
市内中心部の便利な場所にあり、盛駅に近いので当初「盛(さかり)バスセンター」と呼ばれていたのでしょう。
ただ、広域的な名称として大船渡が使われる中で、盛岡と読み違えやすいということも含め「盛」ではなく「大船渡バスセンター」という名称を使用するよう、切り替えが行われたのではないかと想像できます。
バスセンター閉鎖と新営業所へ
「大船渡バスセンター」は1984年に閉鎖され、その場所には1985年11月22日に「サンリアショッピングセンター」がオープンします。市内中心部ですので、バスターミナルより生産性の高い商業施設に売却するというのはよくある話です。
その代わりとなった営業所は、一足早く1981年に堀川地区にオープンしています。1984年に正式に営業所となったようです。(注1)
バスセンターなき後、バスの起終点は権現堂に変更されたようです。
バスセンターはいつ開業したか
くにまん様によると、このバスセンターは、1965年に開業したそうです(注2)。そして、その前の営業所の所在地は、アミーゴ様によると、大船渡駅から海に向かって直進 海手前の右側にあったそうです(注1)。 前身の岩手県南バスが大船渡に営業所を開設したのは1949年だとのことですが(注3)、それがこの場所だったかどうかについては、分かりません。
大船渡バスセンターとはどんな場所だったのか
地図・空中写真閲覧サービスで調べてみると、ちょうど1977年の空中写真がありました。
それをベースに、大船渡バスセンターの拡大地図を作成してみました。
南側に大きな建物が、北側に工場棟と思われる建物があります。その間には、バスが斜めに駐車しているというのが大まかな配置です。
北側降車場所
撮影:板橋不二男様(大船渡営業所 1977)
残念ながら、板橋様からの写真にも、大船渡バスセンターの全容が分かる写真はありませんでした。
この写真は「バスセンター行」のバスが到着したところです。コンクリートの太い柱の所にお客様が歩いています。ここが降車場所でしょうか。写真左側の斜めに駐車中のバスの位置から見て、この場所はバスセンター建物の北側だと思われます。
バスセンター建物を背に(1977年)
撮影:板橋不二男様(大船渡営業所 1977)
バスセンター建物を背に(1979年)
撮影:板橋不二男様(大船渡営業所 1979頃)
バスセンターの建物と思われるものが写っている写真がありました。バス待機場所から南側を見た角度だと思います。一見倉庫のような作りですが、左端に何やらコンクリートの立ち上がりが見えています。
1979年頃の写真はバスセンター建物の右端(西端)。「健康をつくろう・安全を守ろう」という看板がついています。こちらの写真は県交通カラーが増えています。
北側車庫(1979年)
撮影:板橋不二男様(大船渡営業所 1979頃)
北側車庫(1981年)
撮影:板橋不二男様(大船渡営業所 1981頃)
今度は敷地北側にあったと思われる工場棟を見てみます。
バスセンター建物からは、工場棟の右端(東端)が見えます。背景に見える看板に「○○の店 さかり店」と書いてありますが、何の店なのかが読めません。ちなみに県交通カラーが数多く写っていますが、中央に写っている岩22か825の日野RE100は、後に盛岡市内線(滝沢営業所)に立身出世することになる車両です。
1981年の写真では、工場棟に近寄ってみます。県交通カラーがかなり増え、1981年度の新車がいます。ワンマン化を推進した中型バスがかなり増え、近代化が進んだ時期です。
西側待機場所(1977年)
撮影:板橋不二男様(大船渡営業所 1977)
西側待機場所(1981年)
撮影:板橋不二男様(大船渡営業所 1981頃)
最後に、バスセンター西側の待機場所です。
1977年の写真では、県南バスカラーの「大船渡バスセンター行」のバスが待機中。
1981年頃の写真は、その後ろ側に位置するピットの脇。盛岡行きの急行車両が待機中です。バスの後ろにある公園は佐倉里公園で、現在もあるようです。