桜の記憶・2 |
けれど私は家は人並み、性格は大人しく地味で器量も十人並みです。芳子が私と仲良くしたって、私からは何が得られるはずもありません。逆に芳子はいつも私に豊かな喜びをくれました。私は、彼女が笑ってさえいれば幸せだったのです。
けれど私はいつも、芳子の人のよさにひそかに感謝しつつも、何故私などを気に入ってくれるのか、とずっと怯えていました。
口には出しませんでしたが、芳子は察してしまうのか、常に、そんな顔をされると困ってしまうわ、私は本当に苞子が好きなのよ、と笑ってくれました。おこがましいと思いつつ、それを聞くのはとても幸せでした。本当に芳子はよい子です。本当に、私は芳子の笑顔にいつも救われる思いをしていたのです。
さて、葉山先生は、新卒でこの学校に来て早々に、当時一年生だった私たちの担任を受け持たれて以来、卒業するまでずっと私たちの面倒を見てくださった、国語担当の男性の教諭です。私たちの卒業とともに他の学校へ赴任となりましたが、そのうちにこの地に戻ってこられることを、私は知っています。
心根のとてもきれいな方でした。誰ひとり贔屓することなしに、組全員を優しく導いてくださいました。そんな葉山先生に、ちょうど思春期にさしかかる頃の私たちの中には、憧れのような気持ちを抱く者もおりました。かく言う私もそのひとりでしたが、今となってはそれも懐かしい話です。
本当は、私は知っていました。
聞いたときは、まだ芳子も知らなかったはずです。ある日、芳子の家に遊びに行ったとき、芳子が席を外している間に、お喋り好きのお手伝いの小夜さんが耳打ちしてくれました。家同士で決まっただけで、芳子様にはまだ伝わっていないから内緒だよ、と。
葉山先生と芳子は許婚でした。けれど聞いたとき私には、それはとても当然のことのように思えました。嵌め絵が寸分の狂いもなく、合わさるのに似ていました。そして、それとは別に、胸のどこかがぽっかり空いたような、空虚な気持ちになったのも、また確かでした。
私はその後も級友たちと一緒に、葉山先生に熱をあげ続けておりました。どうせ教諭と生徒という関係、もともと誰も期待しちゃおりません。ただ身近な男性に心をときめかせる、それだけの遊戯であることには、事実を知る前も後も変わりはありませんでした。楽しい遊びを、誰も知らぬ事実のためにやめるのは大変つまらないことでした。
第一、みんなで一緒にやっていることを急に冷めた顔してやめられるほどの度胸など私にはありませんでした。私は羊の群れに混じることで安息を得る娘でした。あれは黄色い声をあげているとき、忘れてもいいことでした。
しかし不意に、この方が芳子と夫婦になるのだ、という思いが込みあげてしまうこともありました。私は先生と接しているとき、常に傍らの芳子の存在を気にするようになりました。
芳子は私と同様に、先生に対して半分お遊びの淡い気持ちを抱いているようでした。先生をまっすぐに見つめ無邪気に笑っておりました。芳子は許婚のことは知りませんが、葉山先生はどうなのだろうか。思うと、ますます私は芳子を意識するようになりました。先生の態度が芳子に対して特に篤いように見えるようになりました。単なる勘繰りと自分でも何度も打ち消そうとするのですが、一度そう思うと妄想はとまりませんでした。
私は嫌な子でした。それでいて臆病だから先生に確かめることができない。聞くのではなかった、と小夜さんを少し恨みました。
そんな気持ちを抱えていた頃、あの秋の体育祭があったのです。
私と芳子は二人三脚で出走しました。競争の最後に、棒高跳びに使うマットを通過するというのがありまして、私は芳子と結んでいない方の足をマットにとられ、よろけてしまいました。そのときすでに芳子はマットから出る体勢をとっており、私につられてバランスを崩し地面に転んでしまいました。私もそのとき転び、ふたりで膝を擦りむいてしまい、痛みをこらえながら何とか競争を終えた、ということがありました。
私は、自分のせいで芳子まで傷を負ってしまったことを悔やみました。芳子は気にしないでと優しく慰めてくれるのですが、芳子に優しくされればされるほど、自分の不甲斐なさが身にしみました。
芳子の足は、華奢でとても白く、美しかった。血や泥は洗ったとはいえ、傷の存在はあまりに痛々しく見えました。自分の膝の痛みなど、それを見ていると気になりませんでした。この傷を今すぐ治せたら。今すぐきれいに消せないものかと願いました。
そのとき、私の中にこみあげてきたものがありました。
白い足を見つめ、私はこの傷を舐めようと思いました。唾液が傷の治りを早めると前に母に聞いたからでしょうか。あのとき、白い足を見つめて私を動かそうとしたのは、この傷を舐めたいという衝動でした。芳子は少し不快に思うかもしれない、けれどこの傷が消えるなら。行動に移さなかったのは、そう、先ほども書いたとおり、もし芳子が眉根を寄せたりしたらという懸念が邪魔をしたから、それだけでした。
流し場の側で座っている私たちに、声をかけながら駆けつける人がおりました。
葉山先生でした。息を切らして大丈夫か、と仰いました。心配して来てくださったのです。なのに私は素早く平気ですと言い切りました。その声はやけにきついものになり、自分で驚きました。
すると葉山先生は芳子を背に負って、私に保健室で消毒してもらおう、と歩き出しました。先生は先に平気だと言った私の方が元気だと見なして、芳子を負ぶったのです。実際芳子の傷の方がひどかったのですし、順当な判断だったのですが、私の心にはしこりが残りました。
自分でも不思議でした。保健室へ向かう間、私はずっと自分に何故と問うていました。何故あのとき葉山先生にあんなきつい声をかけたのか。あの衝動は何だったのか。このしこりは何なのか。
しこりには、それまで抱いていた、先生は芳子を贔屓しているのではないか、という疑念も含まれていました。でもそれよりももっと大きい不快な感情が
ありました。
あの大きな背中。
私の眼前からまるでかっさらうように、芳子を負ぶった葉山先生の背中に----あのとき私は確かに嫉妬していたのです。
続く→
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