図書室の窓から入る春風も、ここまでは届きません。
それは、今わたしに触れられるまで、誰にも知られずひっそりと本棚の隅にありました。
わたしの通う伝統だけが自慢の、誰も入らない、興味を示さない古びた図書室。その奥の書架に、それはあったのです。
わたしはそのとき、誰にも打ち明けられない心の迷宮をさまよっていました。煩悶の出口を書物に見つけ出せはしないかと、餓えたように本を漁っているとき、それは偶然わたしの目に留まったのです。
頑丈につくられた本の中、それだけが藁半紙で手製のもののようでした。見ると背表紙のラベルも貸し出し用のカードもなく、黄ばんだ表紙には、ただ数十年前の年号と、「第何回期生卒業詩集」と書いてあるだけです。
開いてみると、紙が数枚、乾いた音を立てて落ちました。
どうやらそれは詩集そのものとは別に、どこかのページに挟んであっただけのようです。拾いあげると、そこには長々と文章が綴られてあり、わたしと同年の人のものとは思えない綺麗な字で、手記とおぼしき内容が書かれていました。
わたしはそれを読み始めました。
はじめは興味からでしかなかったのですが、次第に文章にひかれていきました。
彼女の悩みは、わたしの抱いているものと同等のものでした。彼女もきっと、誰にも告げられずにこれを残したのでしょう。
そこにあったのは、痛みの嚥下でした。
ひっそりとした孤独でした。過ぎた季節に対する、大人への自覚でした。文章を読んで、胸を鷲?みにされたように息が苦しくなる、というのは初めての経験でした。
わたしは痛いくらい共感しました。心臓が高鳴りました。喉の奥が乾きました。顔が熱くなりました。
そこに書かれている欲望が感情が、心の奥深くに秘められたものが、わたしには理屈ではなく、感覚で理解できました。わたしだけじゃないのだと、同じように苦しんでいた人もいたのだと、幸せになりました。
手記の最後に、とある頁数が走り書きされており、謎解きのような気分でそこを開くと、はらはらと何かがその頁から散り落ちました。
桜の花びらでした。
すっかり干涸びて薄茶色に変色していましたが、確かに桜でした。
わたしは息を呑みました。決定的な証拠でした。あまりの痛みの共感に、目頭が熱くなりました。
開いた頁には、おそらく手記と同じ人のものと思われる字で、一編の詩が載っていました。そして、その題名は、
「さくら」とありました。
『これを記すのは私のただの自己満足です。卒業記念の詩集なぞ誰も見やしないと思いますし、企画した葉山先生はもうこの学校にはおりません。私も卒業し、用がないのに、わざわざこれを挟むために今日来校しました。
誰に読まれようとも思っておりません。
ただ私がこんなものを記しても、どこにも保管しようがないのです。できれば捨てたいと思います。ならば何故書くのか。
それはここに記すことで、捨てたいものがあるからです。
逆に言うなら、誰も見ないであろうこの手記に、こんなまわりくどいことを書くのは、言わばわたしがあるものを捨てる決意を、後に迷って反古にしないためのこれは契約書です。
芳子はふんわりと笑う気品のある少女でした。ここいらでは裕福な方の家に育ち、健やかな性格と華々しい美しさがありました。誰からも好かれる芳子は、何故か小さい頃から私によくしてくれました。
続く→
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