仮名手本忠臣蔵 歌舞伎座顔見世 2009.11.16 W258 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5日に歌舞伎座昼の部、7日に夜の部をみてきました。
「仮名手本忠臣蔵」 あらすじはこちらです。 三段目 四段目 浄瑠璃 五段目 六段目 七段目 十一段目 先月の御園座に続いて今月は歌舞伎座の顔見世。昔は顔見世で翌年その芝居小屋に出演する全ての役者を決め披露したものだとか。今ではそういう風習はなくなりましたが、顔ぶれが揃った充実感のある舞台でした。 今回役人替名の口上人形は開演2分くらい前から出ましたが、顔がずっと下を向きすぎで、そのためか首がスムースに回らなくて、たった一度しかない見せ場が上手くいかず残念。この人形の口上、最初の師直の呼びあげで拍手がこなかったらその後ずっとなくて、どうなるのかしらと思いました。でも最後の由良之助でようやく拍手がきてやれやれでした。(*^_^*) まず「大序」では富十郎の師直が圧倒的な存在感。顔はどちらかというと素に近かったですが、響きの良い明快な口跡が師直という人物をくっきりと浮き彫りにしていました。直義の七之助は毅然としていて品があり、この役はやたら感情をださないほうが良いのだと納得。魁春の顔世は品も色香もあるうえ、控えめでぴったりとこの役にはまっていました。東西声もできるだけ最後が下がらないように気をつけていたのには感心しました。 塩冶判官の勘三郎はおっとりとした感じが良く出ていました。しかしそうなるとかっとしやすい性格というのはなかなか出しにくいようで、刃傷の場では手に汗握るような緊迫感が出ていたというのには至らなかったです。 富十郎の膝の具合が悪いため、正坐すべきところで蔓桶をもってこさせたり、あぐらをかいたりして補っていましたが、まだ慣れていないせいかもたついて台詞が遅れたり上手く運ばないところもあり、判官の勘三郎が合わせていましたが、なんとか無事に済んでほっとしました。 判官が師直に切りつけたあと、判官をだきとめる本蔵も出てくるのが遅くて、判官が制止もされないのに中央で刀を振りかざしてたちどまっている瞬間もあり、本蔵は判官が切りつけそうだというところから出る準備をしておくべきだろうと思いました。 同じく膝が悪かった二代目松緑はどうやって師直を演じていたのかと思いましたら、ずっと膝をついて中腰でしたが、今の富十郎にはそれも難しいのかなと思いました。 しかし富十郎のちょっとした台詞の小気味よさはさすが。判官の胸を中啓で何度もたたいたりしないで、品位を大事にしているように見えました。若狭之助の梅玉は上手にひっこむ時師直にむかって「馬鹿な」と最後を口の中でぼかして、はっきり言わないようにしていました。 切腹の場では力弥の孝太郎の小柄で少年らしい容姿がぴったりで、判官の前に九寸五分を持って行き、そのまま首をかすかに振り続ける様子には、とても納得させられました。普通だと、振ってみたりやめたりするので、何を考えているのかよくわからないと思ってしまうのです。花道七三に座って由良之助が来たかと遠くを見つめるところでは、地面に耳を近づけて聞く仕草にせめて足音なりとも聞こえないかという必死な想いが見えました。 三段目では「えへん、ばっさり」の中間たちが尊居ではなくて片ひざをついていたのが、印象に残りました。先月の御園座ではきちんと尊居していたと記憶していますが、あの体勢でずっといるのは大変だそうですし低い台を補助に使うことも多い昨今、尊居を続けるのも芸のうちなのだと思います。(^^ゞ 四段目から六段目は先月とちょっとずつ違うところが、面白く感じました。仁左衛門の石堂は扇の要を刀に打ちつけてはずし、プリーツ状になったものに御書を乗せてそれごと判官の背中においていましたが、このやり方が普通だろうと思います。仁左衛門の石堂は風格があり、黙ってたたずむ姿に思慮深さ、情け深さを充分に見せていました。 幸四郎の由良之助は判官がにぎりしめて取れない九寸五分をにぎった手のままそっともんで取っていました。幸四郎が幕外の引っ込みで、熊谷の引っ込みでやるように小さくなって泣きながら小走りに揚げ幕に入っていったのは、普通の人間に戻った由良之助の姿を表現したかったのだろうけれど、由良之助の人物が急に小さく見えてしまうように感じました。 道行では勘平の菊五郎にほのかな色気がただよう柔らかみが感じられ、時蔵のおかるもまめな女房という感じがよく出ていました。 五段目では権十郎の千崎が勘平の居場所を克明にメモっていたのが先月とは違い、定九郎も花道を出ず、いきなり与市兵衛の出からスタートでしたが、この方がぬっと現れる白い手の恐ろしさが出るような気がしました。猪がぐるっと円を描いて一周するところも、勘平が花道七三で二発目を撃つのも違いますが、それぞれ理由があってのことだろうと興味深く見ました。 梅玉は若狭之助、定九郎、服部逸郎の三役を演じましたが、五段目の定九郎の「五十両」という台詞が素敵でした。両で下がるわけでないのに、だんだん低くなっていく不気味なかすれ声。しかしその後の破れ傘をかついだ見得にはもっと凄みがあっても良いのではと思います。 六段目では「様子聞こうかい」」と勘平が立ちあがるとお軽が刀のこじりを持ってはなさず、「どうかもめごとは起さないで」という気持ちを表す時に、お軽がまともに勘平の目を見てしまったためか、なにか二人で密事をたくらんだように思えて、ちょっと変に思いました。(^^ゞ 勘平がおかやとお軽に「あのお方はどなたでございます」と聞く時二度ともお才の方を見たのも、勘平が腹を切って後に倒れるとすぐに黒衣が出てきて即座にエイッと起こすのも違っていておお~っという感じでした。^^; お才の芝翫はさりげなく、源六の左團次もこういう役に出ることでやはり舞台に厚みがでます。 最後に違ったのが縞の財布の件で血のついた財布は五十両とともにおかやに戻されていました。こここのやり方にはいろいろな解釈があるそうですが、この場合は後におかやから平右衛門へと託され討入りに参加することになるのでしょうか。 七段目では仁左衛門の由良之助が姿もぴしっときまっていて、厳しさも温かみも感じられる由良之助でした。しかし松王などを演じる時も気になるのですが、声を無理に低くしてドスを聞かせるのが苦しく思えます。 幸四郎の平右衛門が奮闘していて、芝居に余裕が感じられました。そのためか先月は同じ七段目のお軽を演じた福助が今月は幾分しっとりと見えました。先月は橋之助の平右衛門ととめどなく泣き叫びあっていた福助ですが、幸四郎は抑えめにして上手くバランスをとっていて、芝居は細かくて濃いけれども、たたみかけるような台詞のテンポも良かったと思います。 しかしこの濃い平右衛門のため、仁左衛門の由良之助に力みが感じられたように思うのは気のせいでしょうか。平右衛門がもっと単純な造りのほうが由良之助はやりやすいのではと感じました。 平右衛門は三人侍と一緒に花道からは出ず、由良之助がお軽を二階から下ろす梯子を戻す位置も、お軽が落とした簪を由良之助が自分の頭に刺したりするのも違い、それぞれの家のやり方があるのだなぁと思いました。余談ですが地毛でない鬘の頭に鏡を見ないで簪をさすのは簡単なようで難しいとか。簪を返してもらったお軽が簪をまた挿そうとしてとうとう出来ず、しかたなくふところへ入れたのも以前見たことがあります。^^; 十一段目は討入りの場。仇討がなって引き上げる両国橋は、今回奥から浪士たちが橋を渡って姿を見せるように作ってあり、全員の顔が橋の上に重ならずに見え大団円の雰囲気が高まっていました。由良之助が花道を引っ込んで行った後、馬上の服部が大きく見得をして幕になりました。 |
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この日の大向こう | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5日ははじめのころ大向こうさんが3人。だんだん減って四段目ではおひとりになっていました。四段目では思ったよりたくさん声が掛かっていましたが、塩冶判官に切腹を言い渡すために石堂が立ちあがるところ、九寸五分を持ってくる力弥の出、焼香の場での顔世の出などでは掛けない方が良いのではと、私は思いました。 7日は大向こうさんはおふたりでした。一般のかたも数人かけていらしたと思います。菊五郎さんなどへ女性の方がおひとり声を掛けていらっしゃいましたが、間もよく嫌味のない声で回数も少なく、反対なさる方も多い女性の掛け声ですが、これなら全く問題ないなぁと思って聞いておりました。 |
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11月歌舞伎座演目メモ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「仮名手本忠臣蔵」通し上演 |
壁紙:「まさん房」 ライン:「和風素材&歌舞伎It's just so so」