「毛剃」 團十郎の毛剃 2009.5.17

6日に歌舞伎座夜の部、8日に昼の部を見てきました。

主な配役

毛剃九右衛門

團十郎
宗七 藤十郎
小女郎 菊之助
奥田屋女房お松 秀太郎

「恋湊博多諷」(こいみなとはかたのひとふし)-「毛剃」のあらすじ
序幕
文字ケ関元船の場
ここは長門国、文字ケ関の沖合に毛剃九右衛門の元船が浮かんでいる。大量の荷を積んだ仲間の艀を待って、手下たちが酒を酌み交わしているところへ親分の九右衛門が現れ、心配で寝られないので、船の乗客に面白い話でもさせようと相談がまとまり、呼びにやる。

呼ばれてきたのは小松屋宗七。宗七は長崎の生まれで、現在は京に住み、商いのために筑前へ行き来していると話す。九右衛門は長崎の名所や、祭りの時の喧嘩のいきさつを愉快に物語る。そこで宗七は博多柳町の小女郎という傾城と深い仲となり、夫婦の約束をかわしたと話しだす。

だがこれを聞いた九右衛門はにわかに機嫌が悪くなり、宗七の話をやめさせる。というのも九右衛門も小女郎の客であったからだ。

気まずくなった宗七が船室へ戻ったころ、艀が着いて珍しい異国の品々を運びこむ。実は九右衛門たちは御禁制の抜け荷を扱う海賊だったのだ。この様子を盗みみてしまった宗七やほかの客を、九右衛門は海へ投げ込めと命じる。

ことがすむと九右衛門は、一人舳先にたって汐の流れを見つめ、一方宗七は漂う小舟にしがみついて命びろいする。

二幕目
博多柳町奥田屋の場

宗七は博多柳町の奥田屋見世先にぼろぼろになって現れる。それを小女郎の禿がみつけ、小女郎は宗七をひそかに見世に入れる。宗七から事情を聴いた小女郎は、宗七の命が助かっただけでうれしいと内掛に宗七を隠して、奥へ連れて入る。

ここへ九右衛門と仲間たちがやってくる。女将のお松は上得意の九右衛門を歓迎し、宴のしたくをする。九右衛門はいならぶ傾城たち全員に気前よく高価な土産を配るが、小女郎がいないことに気がつき、くるまで酒盛りをしようと奥へ入る。

同髪すきの場
自分の部屋で宗七の髪をすいていた小女郎は、奥の座敷が騒がしいので覗いてみると、九右衛門の姿を見つける。以前「何かあったら力になろう」と九右衛門が言ってくれたことを思い出した小女郎は、九右衛門に身請けの金を払ってもらい、宗七と夫婦になろうと思いつく。

宗七は客に金を借りるのは小女郎の恥になると止めるが、小女郎が自分にまかせてほしいというのに負ける。

同奥座敷の場
小女郎が身請けの金を貸してほしいと頼むと、九右衛門はこれを快く承知するので、喜んだ小女郎は宗七にお礼を言わせようと出ていく。手下たちにもそれぞれ傾城を身請けすることがきまったところへ、小女郎が宗七を連れてくる。

思いがけない再会に宗七も九右衛門も驚く。手下たちは宗七の口をふさぐため殺そうとするが、九右衛門はそれを止めて人払いをし、宗七に自分たちの仲間に入るようにと勧め、小女郎の気持ちを無にするなと説得する。

宗七は悩んだ末、何がなんでも宗七と夫婦になりたいと願う小女郎の気持ちを思って、仲間になることを承知する。九右衛門は女将を呼び、小女郎やほかの傾城7人分の身請け代の手形を渡す。

そんなところへ客改めの役人が来たという知らせがくる。九右衛門たちはとうとう捕まってしまうのかと震えあがるが、別な件できたことがわかりほっと胸をなでおろす。そして宗七と小女郎をまじえて、九右衛門の一行は賑やかに引き揚げていくのだった。


夜の部
「恋湊博多諷」(こいみなとはかたのひとふし)通称「毛剃」(けぞり)は、1718年に近松門左衛門が「博多小女郎波枕」(はかたこじょろうなみまくら)という題で書いた世話物人形浄瑠璃。歌舞伎に移された後、幕末あたりから、毛剃九右衛門が中心となる物語の前半のみがクローズアップされるようになり、七代目團十郎が長崎なまりや衣装、異国風な小道具などの工夫を加えました。

さらに九代目團十郎が毛剃が舳先にたち汐の流れを見るという「汐見の見得」を確立。というわけで「毛剃」は市川家にゆかりの深い演目です。

團十郎の毛剃は特に「汐見の見得」が素晴らしく、一面が海原の中、大きな船がぐるっと4分の一回転して客席に乗り出さんばかりに迫り、その舳先に唐服を着、腕を組んで立つ姿は歌舞伎美そのもので、どっしりとした存在感がありました。

船の上で酒の肴に話しをさせようと呼んだ宗七の藤十郎は、上方のつっころばしの典型のような男で、毛剃の博多なまりが今ひとつ何を言っているのかわからないのと対照的に、立て板に水のようなしゃべりが際立っていました。

抜け荷の現場をみたために、宗七が海につきおとされやっとの思いで花道七三にただよっている小舟に波間(すっぽん)から浮き上がってよじ登るところなどは、劇場の機構を上手く利用した演出。

何もかも毛剃にうばわれおちぶれた姿で廓の小女郎のもとに現れる宗七を、優しく迎える小女郎の菊之助。しかし小女郎が毛剃に身請けの金を出してほしいと頼んだことから、原作では宗七は役人に追われて自害するはめになるわけです。しかしそうなっても仕方ないと思えるほど、髪すきの場面の小女郎は慈愛にみちていて、美しく思われました。

小舟にすがりついて命拾いするところや、笠をかぶってみじめな姿で花道から出てくる藤十郎には余人には替え難い雰囲気があり、宗七という役の重みを過不足なく表していたのはさすがだと思いました。

毛剃九右衛門は、役人がやってきたと聞いて震えあがったり、宗七を殺してしまおうとする子分たちをいさめて、自分の手下になれと説得するところなど、愛嬌があって憎めない男です。そういうところが、團十郎の持ち味にぴったりと合っていて楽しく見られました。

次が菊五郎と時蔵で舞踊劇「夕立」。もとは河竹黙阿弥作詞、清元順三作曲の清元の曲で「貸浴衣汗雷」(かしゆかたあせにかみなり)というお芝居の中で使われていたのを、黙阿弥が自分の作品「網模様燈籠菊桐」(あみもようとうろのきくきり)の子猿七之助と滝川の濡れ場で、舞踊仕立てにして上演したのだそうです。

―雷鳴がとどろく洲崎の土手に、千葉家の奥女中滝川をのせた駕籠がやってくる。ちょうどその時雷が近くに落ち、供の者はちりぢりに逃げ去ってしまう。そこへ以前から滝川に想いをよせていた中間・小猿七之助が忍んできて、気を失っていた滝川を介抱し、我が物にしようと滝川の帯をほどく。

滝川は抵抗するが、とうとう七之助は思いをとげてしまう。思いもかけないなりゆきにとまどう滝川だが、七之助の男ぶりに惚れてしまい、色恋を禁じられた屋敷奉公の苦しさを七之助に語り、とうとう主家を捨て七之助の女房になると言いだす。七之助も相思相愛になれたことを喜び、二人は手をとりあっておちのびてゆく。―

子猿七之助は最近上演されないので、一度見てみたいと思っていましたが、「桜姫東文章」を連想させるような退廃的雰囲気が漂っています。菊五郎は二枚目ぶりに加え、髪結新三などでも見せる無頼な一面を印象づけました。

時蔵も品がよく、また手籠めにされた後の姿がなまめかしく、あでやかでした。しかしながらこの「夕立」という踊りにはちょっと生々しさがあり、そういう意味でこのお芝居は案外役者を選ぶのかもしれないと思いました。

三幕目は昭和27年初演、宇野信夫作「神田ばやし」。宇野は「冷やっこ」というラジオの放送劇を六代目菊五郎のためにラジオドラマ「祭囃子」として作り直し(六代目は家主を演じました)さらに六代目の要望でお芝居「神田ばやし」に書き直しました。

海老蔵の留吉は自閉症と間違えそうなほど内気な青年を演じ、今までとは違うタイプの役柄を開拓しました。おみつの梅枝は留吉を信じる純情な町娘という風情はぴったりでしたが、少し鬘が似合わず妙に顔が長く見えるという印象をもちました。

留吉が金をとったとはやとちりした家主の三津五郎は、親身になって留吉に改心するように説得するところが聞かせます。このお芝居には留吉が飼っている猫が活躍。操り人形なのでしょうか、舞台の上を走りまわり、最後は障子の破れ目から逃げ出すところがあっといわせました。

最後が「鴛鴦襖恋睦」(おしのふすまこいのむつごと)。股野五郎景久を松緑、河津三郎祐安を海老蔵、遊女喜瀬川を菊之助で踊りました。あまり面白くないと思っていたこの踊りですが、三人三様新鮮な魅力が感じられ、最後まで引きつけられました。

昼の部
序幕は海老蔵の「暫」。花道を出てきた海老蔵が逆七三で大きな袖をわずかに開いて筋隈に彩られた顔をのぞかせた時、まさに錦絵のような立派な顔だなぁとつくづく感心しました。襲名公演で演じたころにくらべ、ぐんと役者が大きくなったような気がします。

荒事の真髄である子供らしさが終始みなぎる舞台でしたが、ただ一つ見得をする時にいちいち猛獣のような唸り声を発するのだけが画竜点睛を欠いていると感じました。しかし「睨みをすると毛細血管がプチプチ切れる音がする」と恐ろしいことを海老蔵がインタービューに答えていたので、何か理由があって唸っているのか、知りたいものだと思います。

いつも成田五郎を演じることが多い左團次がウケの武衡にまわり、権十郎が成田五郎を演じましたが赤っ面のリーダー格という重みが感じられず、武衡にも凄みが欠けていました。

「やっとことっちゃうんとこな」と花道を引き揚げていく権五郎の海老蔵は、ほれぼれするほど見事でこれほどの暫が見られる幸せを感じさせてくれました。

二幕目は富十郎と魁春で舞踊「寿猩々」。前回平成13年にこれを見て、足どりの軽さ、リズム感の良さに感動したものですが、きびきびとした上半身の動きにその面影が残っていました。

もうひとつ舞踊があり芝翫の「手習子」。少女にふんした芝翫が、おけいこで習ってきたばかりの「道成寺」を踊ってみるという趣向の踊り。

最後が菊五郎初役の道玄で河竹黙阿弥作「盲長屋梅加賀鳶」(めくらながやうめのかがとび)通称「加賀鳶」。五代目菊五郎のためにかかれた芝居で、外題の中の梅は加賀藩前田家の紋と菊五郎の俳名梅幸両方の意味をもたせたものだとか。

菊五郎はまず勢ぞろいの場で身体をはって出入りを止める鳶頭梅吉で登場し、颯爽としたところを見せます。加賀鳶が舞台いっぱいに勢ぞろいしたところは何度見てもうきうきするような気持ちのよさ。

菊五郎二役目の按摩で偽盲目の道玄は、すごみも愛嬌もあるのですが、少しわざとらしいのが気になります。菊五郎がインタビューで「もう一役の死神も加えて次回は通しで演じてみたい」と語っていましたが、ぜひ実現してほしいものです。おさすりお兼の時蔵は、清楚で美人すぎてこの役には合わないように思いました。日蔭町の松蔵を演じた梅玉は、すっきりと決まっていましたが、この人が殴り込をけしかけるだろうかと疑問にも思いました。

ところで最後の赤門の場で、門の前が広場のようになっているのをいつも不思議に思っていましたが、徳川家から嫁をもらった時に建設を許された御守殿と呼ばれる赤門は、もし燃えた場合再建が許されず、徳川家への忠誠を疑われることにもなるので、類焼をおそれた前田家は門より江戸城がわにあった町家を数百戸取り壊し、この地域に住んでいた住民はほかの場所へところ替えさせられたとか。「御守殿ができて町家はかたはずし」というけっさくな川柳もあるそうです。(「本郷界隈を歩く」より)

加賀鳶という大名火消の役目がなによりこの門を守ることにあったと思えば、このお芝居「加賀鳶」の大詰に赤門前が選ばれたのもなるほどと思えます。

最後が舞踊「戻駕色相肩」(もどりかごいろにあいかた)。次郎作実は石川五右衛門を松緑、与四郎実は真柴久吉を菊之助、禿たよりを右近が踊りました。

この日の大向こう

6日序幕の「毛剃」にはたくさんの方が声を掛けておられました。大向こうさんも二人みえていて、威勢の良いお声で一般の方をリードしていらっしゃいました。「毛剃」は後半の髪すきの場をのぞいてはしっとりした場面も少なく、全体としては豪快なお芝居ですので、たくさんの声が掛かると、ますますお芝居も輝きをますように思います。

会の方の役割には自分でかけるだけでなく、全体の雰囲気をもりあげることにもあると伺いましたが、掛けるべきところに間よくスパッとかけてくださると、一般の方ものりやすいなぁと思いました。

宗七が笠をかぶって花道をでてくるところでは、笠を取るまでどなたも声をかけられずこの夜声を掛けられた方たちの見識の高さを感じました。(^^ゞ

「鴛鴦襖恋睦」の三人そろった見得では股野の松緑さんの動きにあわせてツケがうたれているようで、これは留意すべきことだと思いました。

8日は「暫」に数人の方が掛けていらっしゃいました。成田屋贔屓の女性の声も聞こえ、雰囲気は良かったのですが、中に何度も屋号をおもいっきり間違えてかける方がいらしたのはどっちらけで、役者さんに気のどくでした。声を掛けるなら、少なくとも屋号だけはちゃんとチェックするのが最低のマナーだろうと思います。

幸い「音羽屋」と間違えて掛けられたあとに、すかさず「成駒屋」と訂正の声が大きく掛かったので、ほっとしました。大向こうさんもおひとりいらしていました。

5月歌舞伎座演目メモ

昼の部
「暫」―海老蔵、左團次、権十郎、翫雀、扇雀、市蔵、亀蔵、亀三郎、男女蔵、亀寿、友右衛門
「寿猩々」―富十郎、魁春
  「手習子」―芝翫 
「盲長屋梅加賀鳶」―菊五郎、時蔵、東蔵、梅玉、彦三郎、
「戻駕色相肩」―松緑、菊之助、右近

夜の部
「恋湊博多諷」―團十郎、藤十郎、菊之助、秀太郎、弥十郎、権十郎、市蔵、亀蔵、松江、男女蔵、亀鶴
「夕立」―菊五郎、時蔵
「神田ばやし」―海老蔵、梅枝、三津五郎、右之助、市蔵、亀蔵、亀三郎、男女蔵、権十郎、秀調、團蔵、巳之助
「鴛鴦襖恋睦」―松緑、菊之助、海老蔵

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