予備校講師と日本語教師という2つの仕事に同時に携わり、考えさせらることばかりでした。
もともと自分自身の意識は『本業は受験屋』であって、日本語教師は見聞を広めるつもりで始めたものでした。けど、その衝撃たるや激しいものがありました。
世間一般に、国際教育と言ったらどのようなことを言うのでしょうか?
すぐさま帰ってくる返事は「外国語学習」で、即「英語力」でしょう。
そして、「英語力」をつけたあとは?
異文化交流という言葉が出てくるでしょう。
私個人としては、その異文化交流について非常に認識が甘かったのですが、それが衝撃を大きくしてくれました。私も世間の例にもれず、ロクに異文化交流なんぞ、考えたことがなかったのです。
日本国内の日本語学校のあるクラスでの出来事です。
ある中国人学生が「ジンギスカンは中国人です!」と突然発言しました。度肝を抜かれました。そして、私以上に同じ教室にいたモンゴル人学生が心底驚きました。驚くが早いか、即、教室内でケンカが始まりました。大騒ぎ!教師という立場上、止めに入ったのですが、本音では「だからオマエら中国人は嫌われるんだよ。」でした。
ところが、その発言した中国人就学生は、以前騒がれた反日デモ報道から連想されるような中国人とは正反対で、非常に理性的・理知的学生でした。その彼が、休み時間、私にささやきました。
「先生、李白(リーバイ)って知ってますか?」
もちろん、予備校では、私は国語の先生…。それ以前に漢文好きな私ですから、
「知ってるよ。中国の偉大なる詩人だね。」
…と。
すると、彼は、
「先生、李白は中国人ではありません。」
…と。
驚きました。いや、衝撃でした。
偏見を持った私が愚かでした。
きっと国際教育専門の大学教授とか、国際教育を声高に唱える高校の先生とかなら、当然、当たり前のこととしてご存知なのでしょうが、無学な私は全く知りませんでした。
何でも、中国の歴史観でいうと、その歴史上の人物の出身地が『現在の中国領内』にある人物を「中国人」とするそうなのです。つまり、ジンギスカンの出身地は(よくわかりませんが)現在の中国領内にあるから、彼は中国人。そして、李白の出身地は今のカザフスタンかどっかにあるから彼は中国人ではないということなのです。無論、人種的には、ジンギスカンは蒙古民族、李白は漢民族だそうです。
目から鱗が落ちるとはこのことで、私は激しく感動しました。時代によって国境線が変わる大陸国家の歴史観なのだと感動しました。一民族一国家など決してできない、そんな現実を考えた歴史観…。何か『インターナショナル』という歌が聞えてきそうですが、これが彼らの文化であって、誰も否定できない尊重すべき発想だと、私は思いました。
感情的に喧嘩した後での和解は非常に難しく、この理屈を話したところでモンゴル人学生が納得することはありませんでした。原因はコミュニケーション不足、互いの認識の違いを知らなかったというものです。
そして、目が開きました。 「これが国際教育なんだ!」と。
異文化理解って何でしょう?
国際教育って何を教えるのでしょう?
日本の浴衣を教えるの?
書道を教えるの?
スシを教えるの?
…違うでしょ。
お互いを理解するために相手のことを知る…、口先だけならいくらでも言えます。
けど、そうじゃないんだと思い知りました。
目で見てわかるものばかり追うんじゃないんです。そんなこと、どんな馬鹿でもできます。『教育』でもなんでもありません。誰かが、目に見えない『ちがう』ということを見つけ、それを秘密にしたり出し惜しみしたりするのではなく、広く理解を広げる、それが国際教育というものでしょう。
理解なんてする必要はありません。まず違うということを『知る』のです。
やたらと偏った見方で相手を賛美したり、相手を非難したり、これらはただの偏見、マインド・コントロールにすぎないのです。
これを教えてくれた中国人は私の学生で、バリバリの共産党員でした。携帯の着信が『インターナショナル』でした。別に国籍とか思想とかがどうだという気はまったくありません。この話をした彼はあくまでも彼であって彼という一個人です。
共産党こそマインド・コントロールの専門?何が言いたいの?“彼”という一個人が私という一個人に新しい風を吹き込んでくれただけです。別に思想がどうたらとかは関係ありません。
ただ、残念なことに、彼は私のことを『先生』と呼び、敬ってくれます。一個人と接する以前に立場を意識してくれます。
東洋的な発想では恐らく一生つきまとってしまう関係でしょう。
そんな彼には失礼ですが、私は彼を生徒とか学生なんて呼ばずこう呼びます。
『我が生涯の友 』
と…。
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