日記をつける、荒川洋治、岩波アクティブ文庫、2002


日記をつける

これまでは、無料の日記専用サイトに間借りして文章を書いてきた。最近では書くことにも慣れて、書く頻度、分量も増えてきたので、今回、独立したサイトを開設することにした。今後は書評、随筆など、まとまった文章はそちらで書き、日記専用サイトは初心に戻り、字義通りの日記をつけることにした。そこで日記を書く心構えを学ぶつもりで、気に入っている詩人が書いた新書を読み始めた。

荒川洋治という人はほんとうに読むことが好きなのだなぁ、文学が好きなのだなぁとつくづく思う。読んでいて書き手が楽しんでいるのが伝わってくる文章。

それでも不思議に思ったのは、ラジオでなじんだ荒川の朴訥とした喋り方が文章から思い浮かんでこないこと。エッセイ集『夜のある町で』(みすず書房、1998)や『荒川洋治全詩集』(思潮社、2001)も楽しく読んだが、それらもラジオでの表情とは少し違う気がした。

本書のなかで彼自身の日記が引用されている箇所を読んで眼からうろこが落ちた。読みながら荒川の声が聞こえてきたのである。彼が、あのラジオでしゃべるような声で日記を読み聞かせてくる。日記では、ラジオと同じようにリラックスして好きなことを好きなように表現しているのだろう。いや、実態は反対で、ラジオでは日記を前にしたようにリラックスしているということだろう。

あとがきに、本書ははじめての書き下ろしだとあった。なるほど、地の文がどこか緊張しているように感じたのは、このせいだったのかもしれない。

実用面では、人に読ませる文章は原稿用紙七枚までという分析が、「掌の批評」を目指す私にはありがたい助言。今回の読書の目的であるサイバースペース上の日記についての記述はなかった。荒川は文学者の日記などを引用しながら、日記は個人の秘密の世界であっても、書いた以上、いつかは読まれるという両義性を指摘している。

最近は田中康夫の日記や週刊文春の読書日記など、はじめから公開を前提にした日記もある。ウェブ日記はその最たるものだろう。書いているそばから公開される私的世界など、これまでのメディアでは不可能だった。その意味で、大げさに言えばまったく新しい表現の世界に挑戦しているのかもしれない。そんな心意気をもつのも悪くはないだろう。

蛇足かもしれないが、岩波アクティブ新書の装丁について。白地に青でAをあしらったカバーは、今ひとつ安っぽい。機械的すぎる。昔読んだ子どもむけの図鑑にあった未来図のような、古臭い未来。二十一世紀の新シリーズを感じない。

ついでに、裏表紙。本書の要旨が五点、箇条書きになっているが、これもあまりよくない。荒川が自分の日記は「一本道」だと気づく部分は、本書のなかで見落とせない要点である。時間に逆らわず、書くということだ。荒川は批評家の込み入った文章と比較して、自分の日記文の単純さを卑下しながらも、それが自分らしい世界をつくる文体であることに気づき、前向きに受け止めている。

「一本道」は見出しにもなっている重要語だし、終止、案内役に徹しようとする著者の素顔がそっと見える瞬間でもある。この言葉は、裏表紙で用いるべきだったのではないかと思う。


さくいん:荒川洋治


碧岡烏兎