入門その頃のバス

いすゞBU

シャーシ いすゞBUは、大型リアエンジンバスのBCに代わり、1963年に登場したリアアンダーフロアエンジンバスで、観光バスから路線バスまで幅広い用途に使用されました。
路線バスでは全長10.5mのBU10、観光バスではターボ付の強力形BU20、高速バスにはBU30Pというバリエーションで登場しましたが、直噴式D920型エンジンによる低燃費の実現や、低床試作型式BU06など次第に路線バスとしての確固たる地位を築き、ベストセラーとなりました。
前照灯は登場時から4灯です。


いすゞBU 1963 - 1980

いすゞBU 製造時期による分類
いすゞBU 初期(1963〜65)
南部バス いすゞBU10(1964年式)
BU10

撮影:板橋不二男様(五戸営業所 1977頃)

BCに代わる大型観光バスと、BA/BRに代わる大型路線バスと両方の役割を担って登場した初期BUは、2種類の長さバリエーションがありました。(特殊用途のBU30Pを除く)
車内を有効活用するため、エンジンを横倒しにして後方床下に置くことで、ひな壇を廃止したリアアンダーエンジンが特徴。同時期の日野RBとともに、観光バス・路線バスのリアアンダーエンジン志向を強く推進しました。
外観の特徴は、同時期のBA系と共通のエンジンルーム形態です。

いすゞBU 中期(1965〜72)
岩手県交通 いすゞBU10(1966年式)
BU10

撮影:53様(盛岡バスセンター 1983.8)

この時期はバリエーションを増やすことで、普及に拍車をかけた時期。1967年から観光バス用に長尺のBU15、路線バス用に短尺のBU05が加わったほか、ターボ付に代わり開発されたE110型215PSエンジン搭載の強力形や、日本初の4サイクル直噴式D920型エンジン搭載による低燃費車両などが登場しています。
外観的には、エンジンルームの構造が変わったため、エンジン通気孔の形状が変わっています。
ほぼ同時期に川崎ボディはサッシ窓の近代的なボディにモデルチェンジしています。

いすゞBU 後期(1973〜80)
岩手県交通 いすゞBU10(1976年式)
BU10

撮影:滝沢営業所(1986.3)

1973年から、ワンマンカーの普及に伴い広幅の前ドアに対応するため、フロントのオーバーハングが拡大されました。短尺車はホイールベースを短縮し、BU04に型式を変えました。外観的には、前輪のフェンダに縁取りがあるのが特徴です。
同時に低床車をすべての長さに展開しました。低床車は型式の末尾にVがつきます。
川重車体はこれと同時にマイナーチェンジを行い、前ドアを広幅ドア標準としています。富士重工もワンマン対応の3Eと呼ばれるスタイルが主流になりました。
1975年からは他メーカーに先駆けて、騒音対策のため後面のエンジン通気孔がなくなりました。

いすゞBU 長さによる分類
松本電気鉄道 いすゞBU04(1978年式)
BU04

撮影:松本営業所(1989.4.18)

BU04(1973-1980)

BU04は1973年にそれまでのBU05のホイールベースを縮めるなどのモデルチェンジを行った型式で、全長9,990mm、ホイールベース4,700mmの短尺と呼ばれるサイズ。
同時期の川重車体の生産合理性のあるボディでは、同じサイズの窓がきれいに並んだ整然とした外観が特徴です。

関東自動車 いすゞBU10
BU10

撮影:石橋駅(1977.8.9)

BU10(1963-1980)

BU10はシリーズ全時期を通じて製造されていた型式で、全長10,530mm、ホイールベース5,000mmの、いわゆる標準尺と言われるサイズです。
短尺のBU04に比べて、窓半個分長いということが分かります。

静岡鉄道 いすゞBU20D(1973年式)
BU20D

撮影:金谷駅(1980.8.31)

BU20(1963-1980)

BU20もシリーズ全時期を通じて製造されていた型式ですが、当初は観光バス用の長尺車としてターボ付を標準としており、後に観光路線バスや都市路線バスなどに多く用いられるようになっています。全長11,030mm、ホイールベース5,500mmです。
BU04より窓1個分、BU10より窓半個分長くなっています。

川崎車体(1965〜72)のBU05とBU10の見分け方法
山梨交通 いすゞBU05(1971年式)
BU05

撮影:山梨県(2013.3.23)

岩手県交通 いすゞBU10(1966年式)
BU10

撮影:盛岡駅(1984.5.22)

BU05BU10は、全長で420mmの違いがありますが、この時期の川崎車体では、外観上の区別が難しくなっています。
まずドア側を比べてみると、窓配置は全く同じです。むしろ、車長が長いはずのBU10の側面最後部の窓が狭いように見えます。これは目の錯覚であり、中ドアの後ろに4枚並んだ窓の寸法が、BU10のほうが100mmずつ広くなっていることで、最後部窓が相対的に狭く見えるようです。

山梨交通 いすゞBU05(1968年式)
BU05

撮影:富士河口湖町(2013.7.27)

岩手県交通 いすゞBU10(1966年式)
岩22か1413

撮影:釜石営業所(1985.8.10)

次に、それぞれの非常口側を比較すると、やはり窓配置は同じです。ただ、非常口の前の窓の幅が、BU05のほうが狭いことが分かります。長さの短い分、この部分で調整しているのだと思います。

富士重工(1973〜79)のBU04とBU10の見分け方法
立川バス いすゞBU04D(1974年式)
BU04D

撮影:立川駅(1983.7.13)

京王帝都電鉄 いすゞBU10(1978年式)
BU10

撮影:府中駅(1982.11.20)

BU04BU10は、全長で510mmの違いがありますが、富士重工のボディでは、窓配置が変わらないため、やはり外観上の区別が難しくなっています。
富士重工のこのボディは、中ドアより後ろはシャーシに関係なく同じ窓配置になっているため、前ドアと中ドアの間の窓の寸法で、長さを合わせているようです。
2枚の写真を見比べると、中ドアの戸袋窓の前の窓の幅と、その間の窓柱の幅で調節しているのが分かります。

いすゞBU 出力による分類
静岡鉄道 いすゞBU20(1971年式)
BU20

撮影:金谷駅(1980.8.11)

標準出力車(190PS、195PS)

ここでは、出力などによる分類をしてみます。出力の違いはエンジンの違いであり、外観上の区別はできません。従って、掲載写真は飽くまでも一例です。
BUの中で最も標準的な車両は、DH100H型エンジンを搭載したもので、190PS(1971年以降は195PS)です。路線バスから観光バスまで広い用途で使用されています。

箱根登山鉄道 いすゞBU10D(1976年式)
BU10D

撮影:御殿場駅(1986.8.19)

直噴エンジン車

1967年から経済性に勝る直接噴射式D920H型エンジン(175PS)を搭載した車両が設定されます。燃料消費率は165g/PShで、当時の世界水準を下回る最小値だったそうです。
型式の末尾にはDがつきます。
都市部の一般路線バスへの導入が多かったようですが、従来の予燃焼室式エンジンを選択する事業者も多く、導入事業者には偏りが見られます。
写真は、神奈川中央交通の導入車の一例(箱根登山鉄道移籍後)。

国際興業 いすゞBU20KP(1973年式)
BU20KP

撮影:山梨県(1981.7.26)

高出力車(215PS〜260PS)

観光バスなどに適した高出力エンジンを搭載した車両は、全時期に渡って生産されていますが、その搭載エンジン、出力は異なります。
最初期(1963〜66年)には、長尺のBU20,BU30Pはターボ付(230PS)エンジンを搭載していました。1967〜70年には、長さを問わずすべてのシャーシに高出力エンジン(215PS)が設定され(末尾E)、1971年からはエンジンのモデルチェンジで250PSとなり(末尾K)、1973年には260PSにパワーアップしています。
1975年に観光専用シャーシのCRAが出来る前は、BUの高出力シャーシが観光バスに多く導入されていました。

西東京バス いすゞBU10K(1979年式)
BU10K

撮影:八王子営業所(1985.1.6)

高出力車の一般路線バスへの導入例です。
初期には山岳観光路線への導入が目立ちましたが、1970年代後半になると、直結冷房車の冷房使用による出力不足を補うため高出力車を導入することが多くなりました。

いすゞBU 後面の通気孔
初期(1963〜65年)
南部バス いすゞBU10(1964年式)
BU10

撮影:板橋不二男様(五戸営業所 1977頃)

初期のBUは左に大きな通気孔が一つと中央に小さなものが一つという配置でした。なお、左の大きな通気孔は、BA系と同じく丸形が標準ですが、川崎ボディの場合は早めに四角になりました。

中期(1966〜75年)
岩手県交通 いすゞBU10D(1971年式)
BU10D

撮影:盛岡駅(1982.1)

最も長期間にわたってBUのイメージを印象づけた通気孔配置で、左側に一つと、中央、右側に小さなものが2つ配置されるタイプ。
富士重工製ボディの場合、小さな2個がメッシュ状になっており、目立たないようになっています。

後期(1975〜80年)
元岩手県交通 いすゞBU04(1980年式)
BU04

撮影:埼玉県(2006.3.26)

1975年からは他メーカーに先駆けて、騒音対策のため後面のエンジン通気孔がなくなりました。

いすゞBU 特殊な型式
東京都交通局 いすゞBU06D(1971年式)
BU06D

撮影:新宿駅(1977.)

BU06(1970-1971)

1970年代を迎える頃、今後の都市バスのあり方として、乗り降りしやすくするための低床化を進める機運があり、その試作車をベースとして1970年に登場したのがBU06です。
BU05を基本に、約150mm低床化を図るとともに、幅広ステップを導入、前ドアにはグライドスライドドアを採用しました。
共同開発の川崎車体のボディも、正面に大型2枚ガラスを採用し、側面窓を幅広にするなどイメージチェンジを図り、1973年以降の路線バスモデルの基本にもなりました。

西東京バス いすゞBU06改(1972年式)
BU06

撮影:八王子営業所(1985.1.6)

BU06改(1972)

外観的に試作的要素の強かったBU06を従来のBU05と同じ窓配置にするなど標準化を図ったものが1972年に一部の事業者に導入されました。
写真の西東京バスでは、グライドスライドドアを残していますが、普通の折り戸で導入する例もありました。

岩手県交通 いすゞBU15KP(1972年式)
BU15KP

撮影:花巻営業所(1985.8.22)

BU15(1972)

前向き座席12列が可能な観光バス用シャーシとして、BU10BU20の中間程度のホイールベース5,200mmで設計されたのがBU15です。
基本的には、川崎丸型(通称“オバQ”)を架装したものが当初の主体でした。

いすゞBU系 主なボディメーカー
川崎車体
千曲バス いすゞBU05D(1969年式)
BU05D

撮影:小諸駅(1981.7.23)

川崎車体はいすゞの標準ボディで、全国的に数多く見られます。いすゞのシャーシとは連動してモデルチェンジをしており、写真のボディは1965年に登場しました。

富士重工
岩手県交通 いすゞBU10D(1971年式)
BU10D

撮影:滝沢営業所(1985.12.7)

川崎車体と並んで、標準ボディの一つに位置づけられる富士重工は、広範囲にわたって見ることができます。ユーザーによっては、いすゞ車はほぼ富士重工のみと言うところもあります。

北村製作所
京王帝都電鉄 いすゞBU10(1971年式)
BU10

撮影:国立駅(1977)

主に東日本での導入例が多かった北村製作所。信越地方や東北地方などで多く見られましたが、首都圏でも神奈川中央交通など大口ユーザーが、川崎車体や富士重工と並行していすゞ車のボディとして選択していました。
写真のようにほんの一時期にしか採用例のない京王のようなケースもあります。

帝国自工
川崎鶴見臨港バス いすゞBU05D(1968年式)
BU05D

撮影:川崎駅(1977.8.29)

帝国自工がいすゞに架装する例も以前は少なくありませんでした。
特に国鉄バスは、帝国を指定車体としており、1975年の日野車体工業発足後にもいすゞ車との組み合わせで購入を続けていました。
写真は、中ドア付近の雨樋が下がったモデルチェンジ過渡期の車両。

西日本車体
宇部市交通局 いすゞBU05D(1972年式)
BU05D

撮影:宇部新川駅(1980.4.1)

ほぼすべてのシャーシメーカーに架装歴のある西日本車体は、地域的には近畿地方より西で見られました。
ライトベゼルによってメーカーを見分けることが難しいのが西日本車体です。

(注1)
いすゞBUについては、ぽると出版(2006)「バスのカタログ7 いすゞBUシリーズ」(バスラマ97号〜99号連載)の中で詳しく記載されている。
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