バスのカラーリング プロローグ
人はどんな時にバスのカラーデザインに気づくのか
テレビのニュースでもその地域の町並みを路線バスが横切ることで、その地域を写していることが明確になることがあります。テレビドラマで都会を、あるいは地方を題材にしたとき、やはり画面をその地域の路線バスが映ることで、地域が明確になります。
しかし、普段はバスのカラーリングを強く意識することはありません。町並みに溶け込んだ当たり前の風景の一つなのでしょう。
では、私たちはどのような時にバスのカラーリングを意識するのでしょうか。その一つが「変化が生じたとき」です。いつも走っているバスの色が変わった時、「あの色でなくなった」というがっかり感。逆に「地元のバスがオシャレになった」という期待感。そういうものが発生します。
もう一つが、全く離れた土地で、見たことのあるバスのカラーリングに出会ったときです。「どうしてうちの地元のバスと同じ色のバスが、こんな場所を走っているんだろう」と不思議に思います。
復刻カラーがブームとなった2000年代
現在の車両に過去のカラーデザインを施して走らせるという「復刻カラー」が全国各地で見られるようになりました。創立○○年のような記念イベントとして実施する場合が多いようですが、それ以外での復刻も多く見られます。
復刻されたカラーは、その時代を知る年代の人には懐かしく、その時代を知らない人には新鮮に映ります。
このブームの先鞭を切ったのは2000年からの相模鉄道のバスだと思われますが、鉄道車両においても同じく2000年にJR九州が複数の電車に国鉄時代のカラーの復刻を実施し、復刻カラーのブームに火をつけています。
このように、2000年代に入って復刻カラーがブームとなったのはなぜなのでしょうか。
まずは回顧主義の流れを辿ってみます。
1980年代のレトロブーム
鉄道車両では一旦姿を消した蒸気機関車が「SLやまぐち号」として復活したのが1979年のことですが、バスではボンネットバスが復活し観光輸送に活用されるようになったのが同じ頃です。1976年に東海自動車が「伊豆の踊り子号」を走らせたのに続き、1980年代にかけてボンネットバスの復活が相次ぎました。
これらのレトロブームは、商業的に一定の効果は見いだせたようですが、同じような事例が増えるにつれて、消費者からは飽きられるようになり、また「本物」を維持することはコスト面でも不利になります。結果的には、それらを解決できた物だけが次の時代にも生き延びるという結果になったようです。
右写真は、濃飛乗合自動車(岐阜県)のボンネットバスです。他社で廃車になった車両を自社仕様に改造して1982年にデビュー、息長く活躍しています。カラーデザインのうち、塗り分けの一部はボンネットバス全盛時代のものを復刻しています。
1990年代のクラシックバス
本物のボンネットバスでは、維持にコストと手間がかかるほか、冷房がないためにサービスレベルが維持できません。そこで、新しい車両にレトロ風の装飾を施すことで、居住性やメンテナンス性の向上を図りながらも、一般客からはレトロに見えるというメリットを狙ったものです。これも端緒となったのは東海自動車で、1989年に登場した「リンガーベル号」だと思われます。
これら「クラシックバス」は、ボンネットバスだけでなく、路面電車やサンフランシスコのケーブルカーなどを模したものも数多く見られます。ボンネットバス風のレトロ調バスは、小型バスやトラックシャーシをベースに各メーカーで製品化され、本物のボンネットバスよりも広い範囲に拡大しました。
右写真は、小豆島バス(香川県)が1998年にデビューさせたボンネットバスです。戦前に製造した初の国産バスをモデルに、三菱自動車がトラックシャーシを使って製造したものです。小豆島バスでは、戦前のカラーであるシルバーに黒帯のデザインを復刻しました。
カラーリングが主役になる復刻
また、地方では、同じ復刻カラーデザインの車両が複数台用意され、通常車両のカラーデザインを復刻カラーに変更するかのような傾向の事業者も見られます。東濃鉄道(岐阜県)、一畑バス(島根県)などがこれに当たります。
これまでバスそのものの形をレトロ風にして、主に観光客の獲得ツールとしていたのに対し、復刻カラーは、バスの形はそのままでカラーリングだけを変えたものです。また、その対象も観光客などではなく、地元利用者であったり、バス愛好家であったりするというところが、これまでのレトロとは一線を画すところです。
復刻カラーが流行るわけ
これまで常に新しいものを生み出してきた日本の工業デザインの中で、これまでのレトロブームは飽くまでも余興の世界であり、生活の中心となるのは最新の技術でした。つまり、ダイヤル式の黒電話がいいと言っても、実際に手にしているのは携帯電話でありスマートホンであったということです。
しかし、カラーデザインのみの復刻は、それが実用を阻害しない要素なので、簡単に受け入れられるのです。さらに、機能美のみを追求してきた近年のデザインに慣れてしまっていた目から見て、昔のカラーが意外に優れていたということに、図らずも気付かされてしまったということもあるのではないでしょうか。
特に地方都市において、都会的に変化してきた現行カラーよりも、かつて地元に根付いていたカラーリングの方が利用者に高く評価されるということもあるかも知れません。
右写真は、復刻カラーブームと時を同じくして、路線バスのカラーを以前のカラーに戻した島原鉄道(長崎県)です。「やっぱり島鉄はこの色でなきゃ」という沿線民の声が聞こえてくるようです。
復刻カラーでカラーリングの不思議に気付く
今までバスに関心がなかったような人が、復刻カラーのバスに振り向いたり、「あんなバス残ってたんだ」と関心を示したりするのを見ることがあります。
さらに「京王バスの復刻カラーは、西東京バスとよく似ているけどなぜだろう」とか、「一畑バスの復刻カラーは京阪バスと似ている気がする」などと、一般の人たちが感じるようになれば、しめたものです。実際、そんなことに触れているブログを見かけたりもします。
どうしてカラーデザインは似てしまうのか
そこで、その疑問を自分で解決してみようというのが、「バスのカラーリング」コーナーを立ち上げたきっかけです。
もっとも、その主題に対して明確な回答を下すのは困難でした。
最も簡単な回答は、「流行に従ったら同じようなデザインになった」という一言かも知れません。これは世の中すべてのデザインに共通することです。それぞれの時代ごとに、カッコいいデザイン、お洒落なデザインが存在し、同じベクトルを目指した結果、同じようなデザインになるというのは、バスのカラーデザインに限ったことではないのです。
ただし、これが結論であれば、わざわざ色々な事例を挙げて説明する必要はなくなってしまいます。
どうしてこのカラーデザインを採用したのか
しかし、これも解明することは出来ませんでした。その理由は、当時の記録が残っていないからです。
バスの場合、鉄道や航空機、船舶と違って、趣味誌などは存在しませんでした。そのため、仮に事業者がカラーデザイン制定の理由を公表していたとしても、記録する媒体が多くなかったのです。地方の新聞記事になった可能性もありますが、地方紙には縮刷版がなく、該当記事の有無を探すのも困難です。
もちろん、事業者自身が記録を残していればいいのですが、そのような例も少なく、あるいは伝聞などによるあいまいな事実しか残されていない場合も多々あります。バス事業者からの聞き取りが明らかに間違っていたというような事例さえあります。(注1)
なお、過去のバスデザインのヒントとして産経新聞の「バス色彩コンクール」というものが存在したようです(注2)。かつて、バスの運転手と話をしていると、「うちのカラーは昔コンクールで優勝したんだ」などという自慢話を聞いたこともありました。ただし、このコンクールの詳細こそ、記録を見たことはありません。
ここで取り上げるカラーデザイン
それは、車両そのものと異なり、カラーリングには耐用年数がないからです。終戦後に導入されたカラーデザインを、現在もほぼそのまま使用している会社もあります。また、カラーデザインの起源を考察する上では、1990年代以降に登場したカラーデザインを参考にすることも必要です。むしろ最近の実例に目を向けることで、過去の実例を考察するヒントになる場合もあるようです。
次にどのようなバスを対象とするかという点ですが、基本的には、そのバス会社または使用区分(貸切バスや高速バスなど)の標準色となったものとします。つまり、一時的に使われたデザインとか、後のコミュニティバスに相当する単一路線の限定的なデザインについては、基本的に対象外とさせていただきます。
また、2000年以降に急増した小規模な貸切バス会社には、前所有者のカラーをそのまま流用する例が多数みられますが、これはサンプル数が多いことと一時的流用が多いことなどから、ほぼ割愛します。
最後に、カラーリングについて参考になる記述が多かった文献を主な参考文献の所に上げさせていただきます。合わせて、画像の提供をいただいた方の中で、Webサイトやブログをお持ちの方については、それも掲げさせていただき、謝辞に代えさせていただきます。
主な参考文献
- 日本バス友の会(1994)「日本のバスカラー名鑑」
- 和田由貴夫(1998)「シティバスのカラーリングを考える」(「年鑑バスラマ1998-1999」P.97〜103)
- 三好好三(2006)「バスの色いろいろ」(「昭和40年代バス浪漫時代」P.124〜125)
- 満田新一郎(2005)「昭和30年代バス黄金時代」
- 満田新一郎(2006)「続昭和30年代バス黄金時代」
- 満田新一郎(2006)「昭和40年代バス浪漫時代」