その後の廃車体

岩手県北バス3(日産自動車)

岩手県北バスの廃車体の中で、日産自動車の車両です。1960年代を中心に、県北バスでは日産自動車も好んで導入していたようです。組み合わせる車体が呉羽自工なのも特徴です。

廃車体
NUR690

撮影:終点横川目様(岩手県 2007.4.6)

岩手県北自動車 日産自NUR690
NUR690

撮影:終点横川目様(岩手県 2007.4.6)

かなり希少価値のある廃車体が見つかりました。日産自動車のリアエンジンバスに呉羽ボディを架装したもので、中ドア専用シャーシ。
方向指示器や尾灯は前世代のタイプですが、前照灯は4灯なので1960年式と推定します。

廃車体
NUR690

撮影:終点横川目様(岩手県 2007.12.8)

岩手県北自動車 日産自NUR690
NUR690

撮影:終点横川目様(岩手県 2007.12.8)

上の廃車体とほぼ同型。呉羽車体の日産車で、希少だと思いますが、これが好コンディションで2両もあるというのは驚きです。
細かい部分を比べてみると、こちらのほうが正面窓の丸みが大きく、テール灯の形状も異なるため、1年ほど新しい車両だと思います。

廃車体
UR690

撮影:長谷川竜様(岩手県 2013.11.2)

岩手県北自動車 日産自UR690
UR690

撮影:長谷川竜様(岩手県 2013.11.2)

林道の分かれ道に置かれた廃車体。車内はロングシート(三方シート)で棚のような構造物が組み立てられています。倉庫として使っていたのでしょうか。
自然の破壊力か人間の仕業か、はたまた周囲に生息する野生動物の仕業か、窓ガラスはことごとく失われていますが、鋼体そのものは健在。呉羽ボディと言うことが分かります。このボディスタイルで4灯というのは三菱にはないので日産自動車製であることが分かります。ハンドルの中央には日産のマークもありました。
山田町の同形車とほとんど同じ仕様です。

廃車体
UR690

撮影:終点横川目様(岩手県 2007.12.8)

岩手県北自動車 日産自UR690
UR690

撮影:終点横川目様(岩手県 2007.12.8)

日産自動車と呉羽車体の組み合わせが続きます。このボディは正面窓が連続窓になった最初の頃のもののようです。1963年式くらいでしょうか。
シャーシはこれまでの中ドア専用から前ドア設置可能なものへと変りました。型式はフレーム付だとUR690、フレームレスだとJUR690になります。とりあえずフレーム付だと推定しました。

廃車体
UR690

撮影:終点横川目様(岩手県 2007.12.8)

岩手県北自動車 日産自UR690
UR690

撮影:終点横川目様(岩手県 2007.12.8)

上の廃車体と同じ敷地内に置かれたもの。日産自動車と呉羽車体の組み合わせは同じですが、正面窓が下方に拡大されています。1964年式でしょうか。
三菱車の例で言うと、このボディスタイルは正面窓が拡大されると同時に後面窓が3枚連続窓になるという組み合わせしか知りませんでしたが、この車両は後面は2枚窓のままです。日産車の特例なのか、過渡期にこのような組み合わせがあったのか、どちらでしょう。
なお、この廃車体の所有者は1976年ごろに2台1000円でこれを買ったとのこと。当時の廃車体の相場(?)が分かる面白いエピソードです。

廃車体(岩2く6063)
UR690

撮影:終点横川目様(岩手県 2007.12.8)

岩手県北自動車 日産自UR690
UR690

撮影:終点横川目様(岩手県 2007.12.8)

上の廃車体と同型車。同じ地域にこれだけのものが集まっていると言うのは驚きです。沿岸部には呉羽ボディの県北バスがそれなりの数存在したと言う証拠でしょう。
正面窓が下方に拡大された分、3本ラインが側面から正面に向けて段差がつけられています。

廃車体
JUR690

撮影:終点横川目様(岩手県 2007.11.25)

岩手県北自動車 日産自JUR690
JUR690

撮影:終点横川目様(岩手県 2007.11.25)

県北バスによく見られた金産ボディなので、一瞬日野車に見えましたが、よく見ると日産自動車製でした。テール灯下に丸い「ニッサン」マーク、側面最前部に丸い「UD」マークがあります。正面のエンブレムは外されています。
ニッサンのJUR690という型式は、UDエンジンを用いたリアエンジンバスの最終期にフレームレスシャーシとしたもの。県北バスが金産ボディを選択した理由は何でしょう。
後面のエンジン通気孔は通常の日産車だと中央にもあるのですが、これにはそれがありません。日野車に見えたのはそこらへんにも理由があります。
年式は1964〜65年。(注1)

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(注1) ポルト出版(2002)「金沢ボデーのアルバム」によると、岩手県北バスでは1964年に3両、1965年に2両の金産ボディのJUR690を購入している。
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80s岩手県のバス“その頃”