その後の廃車体
岩手県交通10(元国際興業2)
岩手県交通が国際興業から譲受した車両の廃車体のうち、いすゞBU04のみをここにまとめます。BU04は1973〜80年の間に製造され、国際興業では大量に導入し、その中の多くが岩手県交通に転入しています。そして岩手県交通で廃車になった後、県内各地に廃車体として売却されたようです。恐らく岩手県内で最も多く見られる廃車体がこのBU04ではないかと思います。
廃車体
撮影:長谷川竜様(岩手県 2013.11.2)
岩手県交通 いすゞBU04
もうBU04の廃車体も打ち止めかと思っていましたが、あるようです。
普通の民家の軒先に錆びたバスが置いてある光景です。物置の代わりだと思いますが、新しい物置を買うよりも、これをそのまま使い続けたほうが合理的だと思いますので、末永く使ってください。
廃車体
撮影:長谷川竜様(岩手県 2014.6.21)
岩手県交通 いすゞBU04
やはり農家の軒先に置かれたBU04。道路にお尻を向けていることで、すぐに元国際興業だと分かります。
錆は出ていますが、全体的にまだしっかりした廃車体です。後ろに立てかけてあるのは稲架木でしょうか。
廃車体
撮影:一関市民様(和賀町 2003.8.23)
岩手県交通 いすゞBU04
撮影:一関市民様(和賀町 2003.8.23)
スキー場跡地にあると言う2台のBU04です。国際興業から譲受した73〜74年式で,互い違いに置かれています。写真は,それぞれ前と後ろから見たところです。「貸スキー・スノーボード」の看板がありますので、そういう目的で使われていたのでしょう。
なお,2台ともクリーム色とライトブルーのツートンカラーに塗り替えられています。スキー場の施設として塗られたものかもしれませんが,バスとしても通じるカラーにも思えます。
(撮影者によると、2009年4月現在撤去済み)
廃車体
撮影:一関市民様(花巻市 2003.12.6)
岩手県交通 いすゞBU04
撮影:一関市民様(花巻市 2003.12.6)
花巻市内にあったBU04の廃車体。後面に通気孔の穴がありますので,1973〜74年式です。私が岩手県にいた頃に大量に転入してきたグループの中の1両。
当時は,他ボディに比べてハッキリしすぎている通気孔の穴や,使わないのついている後部方向幕や系統幕が好きではありませんでしたが,今となっては岩手県交通のBU04を象徴した姿ということで,懐かしさの極みです。
廃車体
撮影:一関市民様(水沢市 2003.9.6)
岩手県交通 いすゞBU04
一世を風靡しただけに,廃車体も多く残っています。やはり元国際興業のBU04。前ドアの窓が小さいので1973〜76年式です。
(撮影者によると、2009年4月現在撤去済み)
廃車体
撮影:一関市民様(和賀町 2003.8.23)
岩手県交通 いすゞBU04
やはり元国際興業のBU04です。農場に置かれており,車内は物置状態のようです。
廃車体
撮影:岩手県交通ファン様(大船渡営業所 2004.4.25)
岩手県交通 いすゞBU04
元国際興業のBU04の廃車体で、恐らく74年式だと思われます。こうして廃車体を並べてみると、後面に通気孔の穴が開いた73〜74年式がやたら多いように思います。たまには他のタイプも・・・などと思うのはぜいたくというものでしょうか。
廃車体
撮影:左党89号様(九戸村 2005.3.26)
岩手県交通 いすゞBU04
元国際興業のBU04で,後面にエンジン通気孔のある1973〜74年式。県交通エリアでない九戸村にありました。
右の前輪のホイールが赤い色をしています。県南バスのものの流用でしょうか。
廃車体
撮影:岩手県交通ファン様(滝沢村 2006.7.12)
岩手県交通 いすゞBU04
後面に通気孔のある1973〜74年式。全面的にスカイブルーに塗られていますが、一部分から県交通カラーが見えているとのこと。
ゲートボール場(?)に置かれた休憩所のようで、中ドア上の方向幕に「山びこハウス」の文字が。また岩手山のイラストも描かれていて、アートにもなっています。少なくともこういう廃車体は処分の対象からはずして欲しいものです。
廃車体
撮影:終点横川目様(北上市 2004.6.26)
岩手県交通 いすゞBU04
撮影:終点横川目様(北上市 2004.6.26)
後面に通気孔の穴がある73〜74年式のBU04。
撮影者によると,この時処分のためか奥から引出されてきていたとのこと。しかし,翌朝にはもう姿を消していたということなので,これが最初で最後の撮影チャンスだったかもしれません。
廃車体というのは稀にこういうことがあるので,目を離せません。
廃車体
撮影:岩手県交通ファン様(盛岡市 2004.7.21)
岩手県交通 いすゞBU04
元国際興業のBU04です。73〜74年式でしょうか。
車内にはカーテンが張られ,何かに使用されているようです。
(撮影者によると、2005年9月頃に撤去済み)
廃車体(岩22か2088)
撮影:岩手県交通ファン様(矢巾町 2005.6.15)
岩手県交通 いすゞBU04(1973年式)
撮影:岩手県交通ファン様(矢巾町 2005.6.15)
元国際興業のBU04で、ここまで来ると岩手県内で一番多い廃車体がこのタイプではないかと思えてきます。
リサイクル法が施行された今、廃車体黄金時代の最後の役者がBU04かも知れないという気もします。
廃車体
撮影:終点横川目様(北上市 2007.5.5)
岩手県交通 いすゞBU04
後面に通気孔のある1973〜74年式。リアガラスに「北上」のシールがありますので、最終配置は北上営業所だったと思われます。
山の中の木々に埋もれているようです。
廃車体
撮影:終点横川目様(花巻市 2007.5.28)
岩手県交通 いすゞBU04(1973年式)
撮影:終点横川目様(花巻市 2007.5.28)
りんご畑の中で綺麗に青く塗装されたBU04です。こうやって塗装されるとモニュメントの一つのようにも思えます。ガラス類などもちゃんとマスキングの上再塗装された感じです。窓ガラスに落書きがあるのは残念ですが。
撮影者によると車内は青色モケットの三方シートとのことなので、1973年式です。
(幹アキいーろく様によると、2024年5月現在撤去済み。ストリートビューでは2023年8月時点で存在していますので、その後に撤去)
廃車体
撮影:終点横川目様(北上市 2007.6.1)
岩手県交通 いすゞBU04
後面に通気孔のある1973〜74年式。農家の物置として利用されています。
ちなみに73年式と74年式の違いは室内の座席配列のみで、車内を覗かないと分かりません。
廃車体
撮影:終点横川目様(花巻市 2007.11.18)
岩手県交通 いすゞBU04
元国際興業のBU04です。
側面の出入口表示幕が、前ドアが「出入口」、中ドアが「しめきり」になっているとのことですが、現役時代にそのような使われ方をしていた例はあったのでしょうか。中ドア脇には行き先表示板入れがありますが、その形がちょっと変っています。
廃車体(岩22か2277)
撮影:終点横川目様(矢巾町 2007.11.18)
岩手県交通 いすゞBU04(1974年式)
一面茶色に塗られていますが、焦げたのか塗られたのか正面は黒ずんでいます。
後面スタイルはよく分かりませんが、前照灯上の通気蓋がないので、1973〜74年式の元国際興業車。
りんご畑の物置として使用されているそうです。
(登録番号は幹アキいーろく様により判明)
廃車体
撮影:終点横川目様(八幡平市 2008.7.13)
岩手県交通 いすゞBU04
撮影:終点横川目様(八幡平市 2008.7.13)
岩手県交通のエリアから離れた八幡平市にある廃車体。農家の倉庫という定番の使用方法ですが、エンジンがなくなっています。出入口には材木が当てられていますが、侵入対策でしょうか。
点検蓋に通気孔があるようなので1973〜74年式。
廃車体(岩手22か2354)
撮影:岩手県交通ファン様(滝沢村 2004.3.22)
岩手県交通 いすゞBU04(1974年式)
撮影者によると元の登録番号は岩22か2354。1986年の譲受ですので、私も出会っている車両です。どこの営業所に配属されていたかは記憶にありませんが。
この年式から国際興業譲受車もオール前向き座席になり、車内の居住性は格段に上昇したのですが、それも思い出です。
廃車体
撮影:岩手県交通ファン様(沢内村 2005.6.11)
岩手県交通 いすゞBU04
元国際興業のBU04で,後面にエンジン通気孔のない75年式以降。
廃車体
撮影:終点横川目様(山田町 2007.12.8)
岩手県交通 いすゞBU04
後面にエンジン通気孔のない1975年式以降のBU04。前ドア周辺はよく見えませんので、年式は分かりません。屋外に置いてあるため、かなり錆が進んできています。
BU06のところでも書いた気がしますが、後面方向幕部分の広告枠から系統幕がはみ出すのが、当時の私は好きになれませんでした。
廃車体
撮影:一関市民様(一関市 2008.12.14)
岩手県交通 いすゞBU04
藪の向こうで屋根とブルーシートがかけられた廃車体。後面にエンジン通気孔はありません。この画像では見えませんが、正面の方向幕が入ったままになっています。
廃車体
撮影:岩手県交通ファン様(滝沢村 2002.7)
岩手県交通 いすゞBU04(1977年式)
元国際興業のBU04の廃車体です。方向幕が中ドア次位にありますが,扉の窓が小さいので1977年式と思われます。
(撮影者によると、2003〜2004年の間に撤去されたそうです)
廃車体
撮影:一関市民様(水沢市 2003.11.15)
岩手県交通 いすゞBU04(1977年式)
元国際興業のBU04の中では、窓配置に特徴があるサブエンジン冷房車。前ドアの窓が小さい1977年式です。
初期の路線バス冷房車には,貸切バスと同じサブエンジン冷房を採用する例が多く見られました。前輪後位の通気口がサブエンジン部分で,ここからダクトが屋根につながっているので,一部の窓柱が太くなります。70年代半ばには「冷房車は一部の窓柱が太い」という見分け方をしていたのも事実です。
廃車体
撮影:終点横川目様(花巻市 2007.6.2)
岩手県交通 いすゞBU04(1977年式)
数多いBU04の廃車体の中でも、方向幕が中ドア後ろにある車両、つまりサブエンジン冷房車はあまり発見されていません。これらが廃車になり始めた時期から、廃車体の流通が減り始めたということかもしれません。
撮影者によると、花巻営業所所属車。
廃車体
撮影:終点横川目様(花巻市 2007.6.2)
岩手県交通 いすゞBU04(1977年式)
同様にサブエンジン冷房車で、花巻営業所所属車。民家の物置として使用されているそうです。
ホイールの色が薄緑色ですが、国際興業カラーが顔を出したようです。転入当初は銀色に塗られるのですが、使い回しているうちによくこんな感じで走っている姿を見かけました。
廃車体
撮影:岩手県交通ファン様(松園営業所 2004.10.17)
岩手県交通 いすゞBU04(1978年式)
元国際興業のBU04で,1978年式。この写真ではよく分かりませんが,折戸の窓が大型で,リアにエンジンの通気孔がありません。
廃車体
撮影:岩手県交通ファン様(矢巾町 2005.6.26)
岩手県交通 いすゞBU04(1979年式)
元国際興業のBU04の廃車体では、この時点では最も新しい1979年式。前ドアの窓が大きいBU04の廃車体はあまり見つかっていません。
前横ともに方向幕が現役時代のまま残っています。系統幕には「301」と出ています。