その後の廃車体
岩手県交通9(元国際興業1)
岩手県交通(一部は岩手中央バス時代)が国際興業から譲受した車両の廃車体のうち、BU04以外のものをここにまとめます。1970年に国際興業グループ入りした岩手中央バスは、1971年に国際興業からの車両譲受を開始します。当初は岩手中央バスカラーに塗り替えて使用されましたが、岩手県交通成立をまたぐ1975年頃〜1978年頃には国際興業カラーのままでの譲受になります。そしてそれ以降しばらくは岩手県交通カラーに塗り替えての転入になりました。
廃車体
撮影:一関市民様(川井村 2007.5.3)
岩手県交通 いすゞBA741(1963年式)
撮影:一関市民様(川井村 2007.5.3)
国際興業から岩手中央バスが譲受したワンマンカー。国際興業カラーのまま転入した最初のグループです。錆びてはいますが、下の2両に比べるとまだましなほうです。
国際興業時代の車番1452が残っているとのことです。
廃車体
撮影:左党89号様(二戸市 2006.12.30)
岩手県交通 いすゞBA741(1963年式)
撮影:左党89号様(二戸市 2006.12.30)
国際興業から岩手中央バスが譲受したワンマンカー。かなり錆びていますが、岩手県交通エリアから離れた県北部に残っていました。
車体に残っていた広告看板(右写真の下枠)には「弘前相互銀行」の名前が見えますが、この銀行は1976年には合併により「みちのく銀行」に名前を変えています。撮影者によると側面の社名が「岩手中央バス」だったとのことなので、県交通合併前に廃車になった可能性もあります。もっとも、このタイプが岩手入りしたのが1974年ごろなので、ちょっと早すぎる気もしますが。
廃車体(岩手22か594)
撮影:岩手県交通ファン様(滝沢村 2005.4.29)
岩手県交通 いすゞBA741(1963年式)
国際興業カラーの廃車体。私も“その頃”に撮影していますが、だいぶ錆が進んでいます。
この車両は、岩手中央バスが国際興業から譲受したもので、国際興業カラーのままで使用された最初期のものです。
廃車体(岩22か789)
撮影:終点横川目様(花巻市 2002.10.14)
岩手県交通 いすゞBU10(1965年式)
国際興業カラーの丸型BU10の廃車体。岩手中央バスエリアでは大量に活躍し,県交通に国際興業カラーを広めた張本人でした。もっとも,この車両の消滅とともにこのカラーは一旦県交通から姿を消しています。
今,同じカラーの後輩達が再び活躍しているのを知ってか知らずか,静かな余生を送っています。
(とまります様(掲示板2004.7.27)によると,この廃車体は2003年春には解体されたそうです。)
(注1)
廃車体(岩22か803)
撮影:終点横川目様(花巻市 2005.4.9)
岩手県交通 いすゞBU10(1965年式)
撮影:終点横川目様(花巻市 2002.3.23)
国際興業カラーの丸型BU10の廃車体。右の写真のように建物の間に挟まれていましたが、左の写真のように姿を現しました。
方向幕が入っていますが,終点横川目様によると「崖・中央市場経由盛岡バスセンター」と表示しているとのこと。矢巾営業所所属車でしょう。また,側面に残る国際興業時代の車番は2088です。
撮影:つっと様(花巻市 2006.5.20)
岩手県交通 いすゞBU10(1965年式)
上の廃車体ですが、周りのものが取り払われてよく見えるようになりました。
つっと様には方向幕の文字に「飯岡十文字」の文字が見えるとのこと。いずれにせよ矢巾営業所の路線です。
(一関市民様によると、2009年4月現在撤去済み)
(注2)
廃車体
撮影:岩手県交通ファン様(沢内村 2003.7.27)
岩手県交通 いすゞBU10(1966年式)
撮影:岩手県交通ファン様(沢内村 2003.7.27)
元国際興業のの廃車体。岩手中央バスカラーです。中央バスが国際興業グループ入り間もない1972年ごろに譲受したものです。
周囲の状態や損傷具合からして、本文の廃車体のページにある同型車と同じ廃車体ではないかと思われます。フロントをはじめとしてガラスの外れている部分が多く、錆も進行しており、廃車後20年の年月を知ることが出来ます。
(撮影者によると、2005年6月現在撤去済)
廃車体
撮影:終点横川目様(花巻市 2007.11.18)
岩手県交通 いすゞBU10(1966年式)
撮影:終点横川目様(花巻市 2007.11.18)
県交通カラーの廃車体。車体にはかなり錆が出ているようです。国際興業時代の車番は2118とのことです。
車内は三方シートが並び、降車ボタンも古いタイプとのこと。確かに昭和40年代初期の車両なので、いたし方ありません。
県交通カラーに塗り替えられているので、1977年ごろに譲渡されてきた車両だと思われます。県央・県南部に多く見られました。
廃車体(岩22か1066)
撮影:終点横川目様(花巻市 2008.3.22)
岩手県交通 いすゞBU10(1966年式)
撮影:終点横川目様(花巻市 2008.3.22)
同じく県交通カラーに塗り替えられています。撮影者によると、後部の広告から推察して盛岡市内で使用されていた車両であろうとのことです。国際興業時代の車番は2127。
右の写真は、割れている後部窓の外から撮影した車内の写真です。この時期の都市型路線バスは中向きの座席が並ぶいわゆる三方シートが標準で、今のような前向きシートはありませんでした。このあと転倒事故防止などの観点から前向きシートが普及するわけですが、近年では着席のしやすさなどから再びロングシートも見直されており、バスの座席一つ取っても機能と形態の選択の難しさを感じます。
現役時代の登録番号は53様よりご教示いただきました。
廃車体
撮影:一関市民様(一関市 2006.11.5)
岩手県交通 いすゞBU10(1966年式)
県交通成立後に次第に県南部への配置されるようになった元国際興業のBU10です。屋根上の標識灯がこのグループの特徴。一関営業所にも何両かいましたので、それだと思います。
(撮影者によると、2009年12月現在撤去済み)
廃車体
撮影:岩手県交通ファン様(巣子車庫 2002.10)
岩手県交通 いすゞBU06(1972年式)
巣子車庫の片隅に置かれた廃車体です。
タイヤやエンジン点検蓋などが外されており、錆も出ているなど、状態はあまりよくありません。中ドアが開いていて、車内は物置になっているようです。
それでも、かつて大量に盛岡市内で活躍していたBU06が、1両でも自社敷地内に残されているというのは、ありがたい話です。
廃車体
撮影:岩手県交通ファン様(紫波町 2002.10)
岩手県交通 いすゞBU06(1972年式)
車内にパイプ棚が取り付けられ、タイヤ置き場として使用されているような廃車体。
正面スタイルは次世代ながら後面は従来の形という合いの子のBU06は、試作低床車で全国的には珍しい存在でしたが、盛岡市内には大量に走っており、至極当たり前のバスだったものです。
廃車体
撮影:一関市民様(金ヶ崎町 2003.9.21)
岩手県交通 いすゞBU06(1972年式)
撮影:一関市民様(金ヶ崎町 2003.9.21)
金ヶ崎町に残っていたBU06の廃車体。現役時代は花巻営業所が南限だったので,廃車体となってから南下してきたのでしょうか。
周囲には草が生い茂り,このまま土に帰っていくのではないかという雰囲気です。
(撮影者によると,2003年12月現在撤去済み)
廃車体
撮影:海さん様(八幡平市 2005.10.1)
岩手県交通 いすゞBU06(1972年式)
活躍エリアからかなり北にある廃車体。岩手県交通の廃車体というのは県内全域にあるようです。
廃車体
撮影:一関市民様(花巻市 2007.5.4)
岩手県交通 いすゞBU06(1972年式)
撮影:終点横川目様(花巻市 2007.5.4)
久々に発見されたBU06の廃車体。建設会社の敷地内で物置になっているようで、後面窓はベニヤ板に変わっています。
なお、この2枚の写真、撮影者は異なりますが同じ日です。二人は別々に行動しており、偶然のニアミスだそうです。
廃車体
撮影:終点横川目様(矢巾町 2007.6.2)
岩手県交通 いすゞBU06(1972年式)
撮影:終点横川目様(矢巾町 2007.6.2)
建設会社の資材置き場にあったBU06の廃車体。盛岡市内で使用されていた車両で、当時の広告板がついたままです。
国際興業では後面の方向幕の左側に系統幕を併設していましたが、県交通に来てから方向幕部分をセンターにして広告をつけたため、系統幕が中途半端にはみ出すようになってしまいました。
廃車体(岩22か1936)
撮影:終点横川目様(花巻市 2007.11.18)
岩手県交通 いすゞBU06(1972年式)
撮影:終点横川目様(花巻市 2007.11.18)
緑色1色に塗られた廃車体。後面の方向幕のところの広告はついたままです。
撮影者によると登録番号は岩22か1936とのこと。確か盛岡市内に配属されていた車両だと思われます。
廃車体
撮影:終点横川目様(八幡平市 2008.7.13)
岩手県交通 いすゞBU06(1972年式)
建設会社の敷地内に2両並んだ廃車体ですが、右側がBU06で、左側は元岩手中央バスのBA20。年式は2年くらいの違いですが、BU06のほうがかなり錆びてきています。この違いは何でしょうか。
廃車体
撮影:終点横川目様(北上市 2008.5.4)
岩手県交通 いすゞBU06(1972年式)
撮影:終点横川目様(北上市 2008.5.4)
建設会社の敷地内に置かれた廃車体。以前は県交通カラーのままだったとのことですが、塗り替えられています。
下半分にはネットがかけられていますが、小動物の進入防止策でしょうか。側窓の上の方が少し開いていますが、川重ボディのユニットサッシは上段が下降するものが標準でした。