その後の廃車体

廃車体の棲む家5(岩泉町)

岩泉町にある国鉄バス廃車体が集合している場所は、2007年に一関市民様から2009年にキュービック様から報告されていました。
あれから15年ほどが経ち、2024年の光景を、幹アキいーろく様より頂きました。残念ながら、中央部に3台が集結していたモノコックボディのいすゞLVは姿を消していましたが、それ以外の面々はほぼそのまま安泰でした。

廃車体
RB10P

撮影:幹アキいーろく様(岩泉町 2024.5.3)

日本国有鉄道 日野RB10P

元国鉄バスで岩泉町の安家洞地区で無料バスに使用されていたと思われるエアサス車。経年のせいで、固定窓のガラスが複数枚なくなっています。
撮影者によると、この車両だけは所有者が別の方だそうです。

廃車体(岩22か1822)
RE141

撮影:幹アキいーろく様(岩泉町 2024.5.3)

JRバス東北 日野RE141(1978年式)

この敷地の外側に並ぶ路線タイプ車両の一番後ろにある車両です。長尺の中ドア引き戸車。
国鉄バス時代にはなかった「乗合」表示がJRバスになってから書かれるようになりました。
車番は537-8001

廃車体(岩22か2035)
CCM410

撮影:幹アキいーろく様(岩泉町 2024.5.3)

JRバス東北 いすゞCCM410(1980年式)

これは後ろから2番目にある中型バス。車番は331-9006で、久慈営業所にいた車両のようです。

廃車体
BU04

撮影:幹アキいーろく様(岩泉町 2024.5.3)

日本国有鉄道 いすゞBU04(1974年式)

後ろから3番目のBU04ですが、今回初めて車番が531-4028であることが判明しました。
近い番号で久慈営業所にいた車両と同型車だとすれば、中ドアツーマン車。

廃車体
RE100

撮影:幹アキいーろく様(岩泉町 2024.5.3)

日本国有鉄道 日野RE100

後ろから4番目にあるRE100は、2009年に前中折り戸で「一般乗合」の文字があることが判明していましたが、非常口側にも「一般乗合」の文字がありました。
車番は不明でしたが、後日撮影者から537-6008であろうとの連絡がありました。

廃車体
BU10

撮影:幹アキいーろく様(岩泉町 2024.5.3)

日本国有鉄道 いすゞBU10(1975年式)

後ろから5番目にある車両で、今回前面に残る車番から、531-5020であることが判明しました。中ドアツーマン車でありながら系統幕付。

廃車体(岩22か1272)
RE101

撮影:幹アキいーろく様(岩泉町 2024.5.3)

JRバス東北 日野RE101(1978年式)

後ろから6番目、つまり一番前にある車両。車番は537-8009で、北福岡営業所の車両。
JRバス東北の社名や車番なども残されています。

廃車体(岩22か2404)
RU638AA

撮影:幹アキいーろく様(岩泉町 2024.5.3)

JRバス東北 日野P-RU638AA(1985年式)

日野のミドルデッカーで、貸切兼高速路線車。撮影者の調査で、車番が647-5975であることが確定しました。
前面に日野のウィングマークとブルーリボンのロゴが取り付けられています。国鉄バス・JRバス時代はもちろん、この場所に来てから2009年時点での写真にもなかったアイテムです。

廃車体
トヨタ

撮影:幹アキいーろく様(岩泉町 2024.5.3)

トヨタ レントゲン車

今まで顔が見えなかったトヨタの検診車が顔を見せていました。前照灯4灯のキャブオーバー車で、フロントの窓下が膨らんでいます。トラックシャーシでしょうか。
前面窓の形状から、一次架装は川崎車体でいいようです。

廃車体(岩手22き388)
LV314M

撮影:幹アキいーろく様(岩泉町 2024.5.3)

JRバス東北 いすゞP-LV314M(1984年式)

富士重工の5Eボディで冷房車。車番は531-4472
現役時代の登録番号は、1997年発行の「バスジャパン・ハンドブック」を参考にしました。

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80s岩手県のバス“その頃”