その後の廃車体
廃車体の棲む家1(石鳥谷町)
石鳥谷町は花巻市の北側にある町。南部杜氏発祥の地として知られ,南部藩主の御膳酒が毎日盛岡まで運ばれたそうです。という歴史とは関係ありませんが,古いバスの廃車体がひしめいている写真が届きました。ある私有地の中に置いてあるということのようですが,1960年代のものから1980年代のものまで,多種多様です。また,いずれもかつてどこかの貸切バスとして活躍していたものと見られますが,その外装デザインも想像をかき立てられます。
廃車体 日野RC300P(左)・RC100P(中)
撮影:一関市民様(石鳥谷町 2004.1.3)
何の意図があってか、コの字形に並べられた観光バスの廃車体。
左は元藤田観光自動車(東京都)と思われる車両。前後路線マスクですが,メトロ窓の大きさなどから,ロングサイズのRC320Pと推察しました。
中央は,色がかなりあせていることから元の所属会社がよく分かりません。車体は1967年までの帝国ボディですが,このボディの傾斜メトロ窓は四隅の丸みが大きいのが普通です。この車両は左のRCと同様に丸みが小さいので,次世代との過渡期の車両ではないかと思います。
右に見える富士重工のフロントは,下の6RA106です。
廃車体
撮影:一関市民様(石鳥谷町 2004.1.3)
日産デ 6RA106
日産ディーゼルの観光バスです。後部の通気孔の形状から4R系であることが分かりますが,観光バスなので強力型のエアサス車であることが想像できます。型式は推定です。
富士重工製のボディは,その後部のスタイルから1970〜73年式であると考えられます。
カラーデザインは,どこかで見たことがあるような感じがするのですが、よく分かりません。
廃車体
撮影:一関市民様(石鳥谷町 2004.1.3)
トヨタ コースター
一番上のコの字形の内部に置いてあるマイクロバス。どこかの企業の自家用バスだった形跡があります。簡易な屋根がかけられています。
後には元藤田観光の顔が見えます。
廃車体
撮影:一関市民様(石鳥谷町 2004.1.3)
元はとバス 三菱B915N(1971年式)
撮影:一関市民様(石鳥谷町 2004.1.3)
この独特な外観は,かつて東京のはとバスで活躍した「スーパーバス」です。
スーパーバスは,はとバスが東京の定期観光バス用に特注した車両で,三菱のシャーシに東京特殊車体で,このような窓の大きいボディを架装しました。屋根上のロケットは,このスーパーバスが元祖です。屋根の中に納められなかったエアコンのダクトがこのようなロケットになったという話ですが,廃車体になって部品が外れてみると,なるほどそう見えます。
屋根上のロケットといえば,岩手県内では花巻観光バスなどに見られましたが,元祖のはとバス以外はダミーでしかなかったそうです。
(撮影者によると、2005年4月現在撤去済み)
廃車体
撮影:一関市民様(石鳥谷町 2004.1.3)
三菱 MS
富士重工のR1型フルデッカーです。
上下2分割のフロントガラスや側面のピラーレスカーブドガラスなど,新機軸にあふれたそのスタイルは,当時観光バス業界に新風を吹き込みました。それだけにシャーシメーカーは多様で,型式を見分けるのにも苦労します。
この車両は,この角度からはよく分からないのですが,三菱のMS5系と推察します。
元所属会社もよく分かりません。ライトグリーンのラインは,後ろの方は三重交通のような感じになっています。
廃車体
撮影:一関市民様(石鳥谷町 2004.1.3)
元中山観光自動車 日産デK-RA51T
上と同じく富士重工のR1型フルデッカーです。
こちらの方は,独特の形状のマスクを持ち、また側窓は最前部が1段下がったメトロ窓です。
カラーデザインは茨城県の中山観光自動車と似ています。同社は日産ディーゼル単一の会社なので,この車両も後ろのほうがよく見えませんが,日産ディーゼルのK-RA51Tではないかと推察します。
廃車体
撮影:一関市民様(石鳥谷町 2004.1.3)
三菱 K-MS615S
富士重工のR3型フルデッカーです。初期のこのボディの特徴である大型のバンパー,側面のカーブドガラスが健在ですが,フロントのヒサシが浅いので1982年式くらいでしょうか。
この角度からは見えないのですが,左側面後部にエンジンの通気孔がない画像もいただいているので,三菱車と推察しました。
ボディは白一色に塗られているので,前所有者の想像は全くつきません。
ちなみに右側に並んでいるのは、ナンバーのついたトヨタコースター。
廃車体
撮影:一関市民様(石鳥谷町 2004.1.3)
元岩手急行バス 日野RC100P
この車両は、岩手急行バスとの重複掲載になります。
角度は正面から見たところで、障害物がありますが、正面窓上の明かり窓やライトベゼルの形状がある程度分かるかと思います。
(撮影者によると、2005年4月現在撤去済み)