その後の廃車体
花巻観光バス
花巻市に本社を置く花巻観光バスの廃車体です。岩手県北自動車の資本下にありましたが、車両面では共通性はほとんどありませんでした。
廃車体(岩22か2154)
撮影:幹アキいーろく様(岩手県 2024.11.3)
花巻観光バス 日野P-RU638AA(1985年式)
撮影:幹アキいーろく様(岩手県 2024.11.3)
花巻観光バスの日野車で、屋根上にあったロケットは取り外されています。
宮沢賢治の詩や作品をイメージしたイラストが描かれていますが、定期観光バス「ポラン号」として使用されていたようです。
車内の後ろの方は畳敷きに改造されていますので、休憩所だったのでしょう。
廃車体(岩22か1648)
撮影:岩手県(2016.7.9)
花巻観光バス 三菱B820J(1971年式)
撮影:岩手県(2016.7.9)
1970年代の低床試作車B820Jの廃車体が紫波町にあると、わんこ様、トーマス様から情報をいただきました。写真を見せていただいたところ、正面に花巻観光バスのマークがあり、カラーは東亜国内航空のYS11のデザイン。この型式で正面窓の上に横長の明り窓があるのは、どうやら東京空港交通でランプバスに使われていた車両の仕様と共通します。
花巻観光バスに所属していたのは明らかとして、用途は何だったのでしょうか。花巻空港でランプバスが必要だったかは疑問ですし、空港関係職員の契約輸送が存在するほどの施設規模だったかにも疑問符が付きます。
我慢できなくなった私は、盛岡バスセンターとお別れをするのと合わせて、自分自身の目で確認させてもらうことにしました。この写真は、わんこ様、トーマス様のご案内により、私自身で見てきたときのものです。
撮影:トーマス様(岩手県 2016.5.27)
撮影:岩手県(2016.7.9)
幸い、所有者の方とお会いすることができ、お話を聞いたところ、やはり花巻空港のランプバスとして使われていたことが分かりました。1981〜83年に滑走路を2,000mに延長する工事を行っている間、空港ビルから離れたところに発着するため、ランプバスによって旅客を輸送したとのことです。
車内を覗くと岩22か1648と読める車内表示がありました。1981年の登録です。所有者によると、通常は空港構内での運転ですが、車庫は外にあるので出入庫の際に公道を走るためナンバーがついているとのこと。
色々な謎が一気に解けました。
廃車体(岩22か233)
撮影:終点横川目様(岩手県 2007.6.2)
花巻観光バス 日野RC300P(1972年式)
撮影:終点横川目様(岩手県 2007.6.2)
花巻観光の旧カラー。私も現役時代に撮影している岩22か233です。
車両整備工場の敷地内に置いてあるとのことですが、隣の建物が花巻観光バスの車庫とよく似ているので、現役時代の写真と一瞬錯覚しました。
後面の帝国ボディのプレートの下に「岩手Hino納入」というプレートが付いているとのことです。こういうプレートも珍しいのではないかと思います。
廃車体
撮影:終点横川目様(岩手県 2007.5.4)
花巻観光バス 三菱B806L
撮影:終点横川目様(岩手県 2007.5.4)
懐かしい旧カラーの花巻観光バス。呉羽ボディのずんぐりした観光ボディ。
なお、このカラーは高速バスの草分けの一つである日本急行バスのカラーのコピーだと思われます。
廃車体(岩22か374)
撮影:岩手県(2016.7.9)
花巻観光バス 日野RV730P(1973年式)
撮影:岩手県(2016.7.9)
花巻観光の旧カラー。現役時代に撮影している岩22か374です。
ドアが外れていることと樹液で黒ずんでいること以外は、かなり上質な廃車体です。
ランプバスのB820Jと同じ敷地で物置代わりになっていました。
廃車体
撮影:岩手県交通ファン様(滝沢村 2004.3.30)